先日、一ヶ月がようやっと経ちました。
数ヶ月ではあるものの、家に帰るといつも同じ人がいて、
仕事がどれだけ大変でも、家に帰ることが楽しみな毎日は終わってしまいました。
最近は、仕事が早く終わっても特別やることもないので、
やたら残業して時間を感じないようにしていました。
しかしやはり、22時になってみんなが帰るその時、
みんなから発せられる開放感とは異なり、
僕には空虚感とでもいいましょうか、それだけが残ったまま、
一人湘南新宿ラインで帰るわけです。
一人ホームで電車を待つため佇んでいるのは大変寂しく、
それを紛らわすために、i-podと片手には文庫本が手放せなくなりました。
僕は、何か取り憑かれたように音楽を耳に入れ、文字をむさぼります。
気になった言葉は都度メモを取り、携帯の用途はほぼそれがメインであるかのように
googleを表示するようになりました。
2つ、気づいたことがあります。
1つは、自分はこんなにも様々なことに興味を持とうとしているのかという、自分への発見、
もう1つは、なんでこんなに必死になって外との繋がりを持とうとしているのかという、自分への違和感。
理由はよくわかりません。
ただ、僕の好きだった人が、気になることはすぐに調べるという癖があり、
それを心からいいなぁと思っていました。
それが影響しているのでしょうか。
だとしたらば、それは何か切ないことです。
だとしたらば、この行為が報われないことに気づいたとき、自分はそれをやめてしまうのでしょうか。
分かりません。
ただ、それをしていて自分で楽しいのも事実です。
全く興味のなかったことに対して、自分からの働きかけで知識が広がることは、
人間としての醍醐味に溢れているように感じます。
世の中が、本当に色んな人の手で作られていることの実感が、
本なりネットなりの媒体を通して、やんわりと感じ取ることができます。
こういう行動を始めたきっかけは、間違いなく失恋です。
失恋前には、間違いなく僕は生きることに消極的な態度を取っていました。
失恋で溜まったパワーが、僕の場合はこういった方向に出てきたようです。
きっとそれは素晴らしいことなのでしょう。
こういう僕になれたことは自分でも嬉しいし、
こういう僕は嫌いじゃありません。
むしろ憧れてさえいました。
そんな自分へと変貌することができた自分のパワーに驚きつつも、
そのきっかけをくれた彼女に対し、誠に勝手ながら、やはり感謝を禁じえません。
それが迷惑と言われようとも、きっとそれは事実なのですから。