NY滞在記 10の1
そもそもは、私の1996年〜1999年までの2回目の長期NY滞在の記念として、現地の演奏家とレコーディングしCDと言う形に残しておこう、と言う事に端を発しました。当初、自分では全くその気が無かったのですが、帰国すると言う事をスモールズ関係の友人に話すと、そう言う事なら、音源を録音して帰った方が良いと言われ、スモールズで演奏していた、ベースのリッチーグッズとジョージコリガンとのトリオで録音しました。今や2人とも、この業界では、確固とした地位を築いていますが、当時は新進のジャズ界のホープとして、リッチーはピアニストのマルグリューミラーのバンド、ジョージはドラムのジャック デジョネットのバンドで大活躍していた頃でした。
1作目のCDは帰国前に6曲、これでは、1枚分の曲がたらん、と言うことで、翌年、短期滞在して、6曲、の中から9曲選んで、CDにしました。
最初は本当にCDにする気は無く、まあ、デモ音源作るか?くらいの感じで、撮って帰ったの、ですが、帰国して、今は無き、博多のジャズクラブの名店、ブラックベリーの初代オーナー、平田さんに聞かせたところ、(おい、中川、これは、おまえ、良い内容だから、ちゃんとCDにした方がええぞ)といわれ、大丈夫かなあ?と半信半疑で、もう半分、録音しに行った感じです。
この頃から、少しずつですが、世間から認知されて来た感じで、少しはお袋にも、安心してもらえるな、と思っていたのですが、世の中甘くなくてwww 意外と神様も人が悪いのう〜と、思ったものですが、中洲を原付バイクで移動中、タクシーから突然、ドアを開けられ、右手の中指が第一関節の上から、皮一枚でぶら下がった状態になってしまいました。幸い、病院で手当てして、くっ付いたのですが、今でも、中指の感覚は有りません。もし、これが左手だったら、もう、ギタリスト生命は完全に終わっていたわけですが、その時は、それをバネにIT企業の社長かなんかに華麗なる転身を遂げ、今頃は、孫正義氏を脅やかす位の大社長になっていたりしたかもしれません、、、それはないか?www
まあ、そんな状態になりながらも、右手中指に芋がぶら下がっとるんやないかと思われるくらい包帯を巻いた状態で、ブラックベリーの演奏の仕事はこなしてしまうところが、我ながら、スゲー根性だなあと自画自賛で感心するところではあるのですが、いかんせん、コンサートとかツアーとかは無理だと言うことで、CDの発売に伴うキャンペーン演奏も自粛。
お袋にまたまた、心配をかけるような事態になり、しばらくは、悶々とした日々を過ごす事になってしまいました。
まあ、後日、この1作目のCDと最後の10作目のCDだけは完売してしまうのですが、、、
この続きは、また、後日。今日はここまで。
NY滞在記 9
なかなか、雑務に追われ、ブログが先に進みませんがw
NY滞在記 9話は、秋のNYツアートリオに参加してくれるベースのDezron Douglas 氏について、書こうと思います。
7作目のTardo Hammar氏とのデュオアルバムを録音後,2011年に春と秋、九州ツアーを行ったのですが、その後、ベースを入れて、トリオでツアーを企画しようということになり、8作目でベースのタル ローネンとの録音をおこなったのですが、当時、タル ローネンのビザの問題で、ワーキング ビザが取得しづらい事が判明。これは、困ったな、、、となって、誰か他の人にベースを頼まなければいけなくなり、以前、スモールズで演奏していた、Dezron Douglasの事を思い出した。デズロンは私の友人のグレイトテナーサックス奏者、グラント スチュアートのグループで演奏していて、ピアニストでタードさんも参加していたので、タードさんにお願いして、彼を紹介してもらい、そうそう、コンタクトを取って、とりあえず、9作目のレコーディングに参加してもらうことになりました。
デズロンのプロフィールを翻訳して行く過程で彼の大学のジャズ課の先生がアルト サキソホーンのレジェンド 、ジャッキー マクリーン氏であることが分かりました。私のジャズのメンター、ピアニストのギル コギンズ氏とジャッキー マクリーン氏は幼馴染でハーレムのシュガーヒルという地域でソニーロリンズ氏などと一緒にジャズを勉強した仲間。私もギルさんに連れて行ってもらって、ジャッキーさんのコンサートに行ったことがあります。
ジャズを真剣に掘り下げて行くと、こうやって、人と人が繋がって行くもんなんでしょうか?なんか、不思議な、何かを感じました。
レコーディング当日、ベースのサウンドを聞いて、その、太くて強烈なビートに、度肝を抜かれる思いでした。生音で、これだけ良くなるベースサウンドを出せる奏者は世界に何人もいないでしょう。黒人特有のバネのあるリズムは共演者を心地よいフィーリングで包んでくれます。なんの音をだそうが、瞬発力で拾って、音楽にしてくれそうな、創造的破壊力w ❗️
この人がレコーディングに参加してくれて、本当に良かったなあ、と思いました。
これは私見なんですが、黒人でこのクラスの奏者は、白人奏者にない、なにか、テレパシーの様な物が演奏中に出てるのを感じます。こんな事書くとなんか、危ない奴の様に思われるかもしれませんが、まあ、ある意味、危ない奴なのかもしれません?www 今まで、沢山の白人、黒人のプレイヤーと演奏しましたが、演奏中、不思議な感覚になる事があるのは、ほぼ、黒人の奏者と演奏した時です。思うに、黒人特有のビートが作るパルスが、人間の脳に直接働きかけ、脳を活性化させる、何かを持っているのではないか?と思います。え、?気のせい?
w そうかもしれません。この感じはジャズ演奏者のみが感じる、感覚的なものなのかもしれません。しかし、私はそう、感じるのです。
その後、2013年 、タードさんとのトリオで2015年にドラムのニール スミスを加えたカルテットで九州ツアーに参加してもらいました。
今回、2019年、秋、久しぶりの九州、5箇所での演奏、とても、楽しみです。演奏中、脳内麻薬全開で楽しめる様、秋まで精進します!皆さん、宜しくお願いします❗️
NY滞在記 8
今回の滞在で聞いたギタリストは滞在記 7までで書きましたので、ここでは、2019年11月7日〜11日まで行う、NYトリオツアーに参加してくれるのが決まった、ピアニストのTardo Hammer 氏について書きます。
タードさんの演奏を初めて聞いたのは、33〜4年前の最初のNY滞在時で、その後、各所で演奏を聞いたり、CDをチェックしたりしていましたが、2009年、6枚目のCDをレコーディングする為にNY滞在したおり、スモールズでタードさんの演奏を聴きに行き、演奏が終わった後、2人で外で、当時のパッツと言うバーやアングリースクエアと言うジャズバー、伝説のアルトサックス奏者、Cシャープ、私のメンターである、グレートピアニストのギル コギンズの事などを話して、機会があれば是非とも、一緒に演奏したいですね、と言って帰った。その後、福岡に帰国後しばらくして、タードさんからメールが来たので、来年あたりデュオでレコーディングしましょうと言う事になり、出来たのが7作目のCDでした。
ところで、アングリースクエアと言う店、よく映画に出てくる様な古いバーの一角で演奏するのですが、(自分も演奏した事があります。) 当時は、この様な小さなバーにも、ロン カーターさんとかが演奏に来たりしてたんですよ!今では、絶対ありえないでしょうwww
あの当時、ロン カーターでも100ドルギャラが出れば、演奏に来てくれる、と言うのを、地元のジャズミュージシャンから聞いて、当時、自分は23〜24位だったのですが、日本ではスーパースタープレイヤーのロン カーター様が!、、、信じられない、アンビリーバボと思ったものです。まあ、恐れ多くて、実行には移せませんでしたがwww 当時はまだ、フュージョン全盛期で、ストレートなジャズは不遇の時代だったのですが、(ジャズは死んだ、とか、馬鹿な雑誌で言い放つ、大馬鹿な評論家もいたりした。) NYのみ、今はもうほとんど、亡くなってしまった1940〜60代に活躍したジャズミュージシャンがまだ、現役で頑張って演奏していました。アート ブレイキー、トミーフラナガン、なんかが、ジャムセッションにふらっと立ち寄って、演奏するような時代です。それまでレコードでしか聞いた事の無いようなグレートジャズミュージシャンが目の前で演奏する、あるいは、一緒に演奏してくれるのだから、もう、福岡くんだりから出てきた、23〜4の田舎モンのガキには、目ん玉とき○た○が入れ替わる位のカルチャーショックですよ。自分はこの時、ハッキリとジャズギタリストとして生きて行こう!と言う、根拠のない自信を持って、真っ直ぐに運良く、現在に至っている訳ですが、ああいう経験が出来たのは、本当にラッキーだったな、としみじみ思います。
タードさんの話からだいぶん、脱線してしまいましたが、タードさんは自分と同世代でありながら、バップ全盛期のプレイヤーから直接に現場で教えを受けた、彼ら真のバッププレイヤーの流れを継ぐ、数少ないリアルバップピアニストなのです。
秋のツアーで自分がタードさんを招聘したのは7回目になります。今回はベースのデズロン ダグラス氏も加わり、素晴らしい演奏になると確信しています。皆様、是非、ツアー会場にお越しくださいませ。宜しくお願いします。
NY滞在記 7
6月3日 、日曜日のお昼、ギタリストのエド チェリーがロキシーホテルと言う所で演奏する、との情報を入手。本人にメールして、詳細を教えてもらった。
トライベッカという、自分にピッタリの上品な地域にそのホテルはあったが、1泊、3〜400ドル位はしそうな高級感を感じた。
中に入ってコヒーを飲んでいると、開演 15分前に、エドさん登場。後のメンバーも定刻どうりに集合した。
この日のメンバーはEd Cherry ギター Mike LeDonne ピアノ Gary Wang ベースのトリオ。
まずは、エドさんに挨拶。実に温和で優しい人、時間より前もって会場に来て、サウンドチェック。ここら辺は同業者としては、とても好感が持てるところ。ミュージシャンのなかには、非常に時間にルーズな人もかなりいて、こういう、ちょつとした、まあ、当たり前の事が出来ない人達もたくさんいる中、確実に時間厳守で現れる人は安心感が持てる。まあ、一流のプロフェッショナルの必須条件だと思う。
今まで、自分の経験からだと、演奏者で時間にルーズな人は、ほぼ、タイム感あまり良くない人が多いです。
まあ、自分も、仕事において、時間がルーズな人嫌ですね。
演奏はワンステージだけ聞いたのですか、曲は以上のような選曲。
1 Bb ブルース 2 スターアイズ 3 リコーダーミー 4イエスタデイズ 5 キャラバン
エドさんの演奏は一音一音とても丁寧で綺麗な音。リズムも黒人特有のグルーブ感があり、バッキングも要所要所でキメるとこはバシーっと決まるコンピングです。流石。
初めてエドさんの演奏を聞いたのは30年くらい前、ディジー ガレスビーのバンドでブルーノートで演奏していた時ですが、その時と比べ、現在の演奏は音数が少なくなったように思います。これは、無駄な音をそぎ落とし、熟考された、意味のある音符を厳選しているため、と思われます。あれから、長い年月、人生かけてコツコツと精進しておられたのですね!非常に尊い事であると思います。
このように、レベルの高い演奏家の演奏をまじかに聞いて、色々な思いを巡らす事がじつは、机の上で勉強することより、意外と重要な様な気がします。
NY滞在記 6
6月1日 。お昼、セントラルパークの北端の近くにある、カフェで、ベーシストのアリ ローランドの奥さんでボーカルのYaala Ballin がギタリストのGreg Ruggieroとデュオで演奏すると聞いたので、行ってみました。
ギタリストのグレッグさんは、古い友人のベーシスト、ニール マイナーとピアニストのマイケル カナンとトリオで1930年代〜40代くらいのスイングスタイルとビ バップの間の中間派のスタイルで、古いアメリカンスタンダードを彼ら独自の手法で演奏しています。個人的には、自分の好きなスタイルで、私自身、NY滞在時には、イタリアンレストランやバーで、この編成で良く演奏していました。1930年、40年、50年位までは、NYに沢山、この編成で演奏していた、レストランやバーが沢山あったと思われます。
ギタリストのグレッグさんはソロも良い感じなのですが、バッキングが特に素晴らしいと思いました。スイングの4つ切りのタイミングも良く、イントロ、エンディングもお洒落な感じ、歌の間に入れる、オブリガードも絶妙な感じで、ハッとする必殺技を入れてきたりします。曲は勿論、メモリーで譜面は見ていませんね。NYスタイルです。私の知らない曲も何曲か有りましたが、概ね、20年以上前の在住時、良く演奏した曲でした。が、これらの曲、九州に帰ってきてからは、もう、ほとんど、演奏しなくなりました。今後、少しづつでも、演奏して行こうと、反省。やらんと、忘れてしまうんですよねー、これがw
まあ、このグレッグさんも、相当、曲を覚えていそうですね。大したものです! 最近はこういう感じの若いギタリストが、少しづつ増えてきている様な気がします。新しい目の、カート ローゼンウインケルの路線が圧倒的に多いのは事実ですが、、、個人的には、スイング、バップ系のギタリストが好きですし、やはり、そちらのスタイルを目指している人達を応援したくなりますね。
さて、少し話が変わりますが、33〜4年前の私の最初のNY滞在時、良く演奏を見に行っていた、ギタリストのビック ジェリス氏が肝臓癌で大変な状況にあるそうです。
今から、33〜4年前、初めてNY滞在した時、小さなレストランバーで、ジョン ピサノ 、ジャック ウィルキンスと3ギターで演奏していたのを、何度か聞きに行きました。初アメリカの自分に親切に接してくれました。優しい人です。最近はニュースクールのジャズギター課の先生をされながら、演奏活動もされていた様です。素晴らしいギタリストです。良くなって、まだまだ、演奏を続けて欲しいです。
NY滞在記 5
6月1日 。Bar Next door にシェリル ベイリーと言う女性ジャズギタリストのライブに行ってきました。編成はオルガントリオ。オルガンはロン オスワンスキー、ドラムはジョー ストラッサー。ジョーはピーター バーンスタインの初期のオルガントリオのレギュラーメンバーで、もう20年以上前から、知っています。選曲はシェリルさんのオリジナル中心に演奏していました。
シェリルさんの演奏を見て感じたのは、ギターの指板上の指の動きに、無駄がなく、とても、スムーズな流れる様な指運びでした。右手のピッキングも白人にしては珍しく、逆アングルの奏法です。
じつは、シェリルさん、20年以上前に、ジャズローカル802と言う所でジャズユニオンが主催するジャムセッションで1度、お会いした事があります。この時は、右手も順アングルで、演奏も、もっとオーソドックスだったと思います。
確か1995年?のセロニアスモンクコンペティション、第1回のファイナリストで第3位、入賞者でした。因みに、一位が
オランダのジェシ バン ルーラー、二位、ヨタム シルバースタイン です。
自分はもうすでに、その情報を知っていたので、あ〜このひとが3位の人か!とすぐに分かりました。あれから20数年、CDやユーチューブで情報は得ていましたが、実際生でみるのは、その時以来でした。右手と左手のタイミングがじっに素晴らしく、音の立ち上がりも良いです。16分音符の粒立ちもハッキリしていて、かなり、跳躍の激しい音程の音も綺麗に出てましたね。いや、本当、素晴らしい。あとで、外で少し話しをしましたが、ジャパンツアーで博多に行ったことがあると言っていました。あと、バークリー音楽大学でギターを教えていて、自分の知り合いで、広島出身、アメリカ、日本で大活躍している、高免 信喜君の先生だったとの事です。いつか、彼女がスタンダードやバップチューンを中心にやっている、演奏も、是非、聞いてみたいと思います。願望です。
NY滞在記 4
伝説のジャズギタリスト、Johnny Quara ❗️
5月29日 ピアニストのTardo Hammer氏の演奏を聴く為に、75clubへ行きました。
今回の滞在で最高の驚き‼️ まさに、くりびつてんぎょう❗️
ジャズギタリストのJohnny Quara 氏、御歳95歳❗️素晴らしい演奏されておられました。
この方の情報は全く知りませんでしたがタルドさんの解説によると、
タルドさんが17〜8歳の時からの知り合いとの事。
世間では、あまり知られていないのは、演奏活動をほとんどせず、ジャズギター教師の仕事が中心だった事。
ジョニースミス、ジョーパス、ジミーレイニー、などの白人派のレジェンドと同期で、特にジミーレイニーと仲が良かった事
勿論、譜面なしで演奏するのですが、アメリカンスタンダード、イタリア民謡、クラシックなどを含め、1万曲はメモリーしていて、いつでも、アウトプットできるとの事。アンビリバボ。
こういう方が、おられるのがNYのふところが深く怖い所ですよ!
今日も、イッツオンリーペッパームーン、スローボートトゥチャイナ、ティーフォートゥなどの名曲をつぎつぎに演奏されておられました。
タルドさんは彼を心の師匠だと言っていました。
世の中広いし、上には上がいるのを痛感しました。
ドラゴンボール的には界王神様か❗️www
わしもまだまだ修行せないかんわ、、、
ところで、会場には、驚異のギタリスト、パスコールも、ジョニーさんを聴きに来ていました!しかも、一番最前列で。あれだけの才能がありながらも、さらに、高みを目指して、貪欲に他の奏者から、なにか、、、サムシングを吸収しようと言う、前向きな姿勢、自分も含め、自分の周りの若い演奏者の皆さんにも見習ってほしいもんですね。(これは痛烈な皮肉と嫌味なんですが、わかるかな?、、、右から左か、、、www)
自分は後何年、現役でギターが弾けるのだろうか?出来るだけ、長く弾きたいなぁ。でも、95歳までは、チョット自信がないですねぇwww
そう言えば、ジミーレイニーさんは演奏中に発作で椅子から転げ、そのまま亡くなった、のだとか。最後まで現役のジャズギタリストだったのですね。
ジョニーさんとお会い出来て、良い時間を過ごす事が出来たし、大変、勉強させて頂きました。これからも、もっと長生きして、素晴らしい演奏で若いもんに喝を入れ続けて下さい。ありがとうございました😊
NY滞在記 3
NY滞在記 2
パスコールの事を書く前に、前の記事でジョン アバークロンビーの事を思い出して懐かしく感じたので、少し、アバークロンビーの事に触れてみよう。
1944年12月16日にニューヨーク州ポートチェスターにて生まれる。1967年にバークリー音楽大学を卒業後、本格的にプロとしてキャリアをスタートさせる。
2017年8月22日、ニューヨーク州コートラントマナーにて心不全のため死去[1]。 とある。
亡くなる前、オルガンのジャレッド ゴールドとヨーロッパツアーをよくやっていた。
実は、自分が20代なかば、一時期、アバークロンビーにハマっていた時期があり、スタンダードナンバーで彼の演奏する、バップ系とは異なる独特のメロディーラインや作曲方法に興味が湧いて、随分、彼の演奏をコピーした事がある。
自分くらいの世代のジャズギタリストは、皆、白人系では、ジョン アバークロンビー、ジョン スコフィールド、パット メセニーなどを聞き込んだ時期が、一度はあるんではないだろうか? 自分の場合は中学生の時からこの三人の事は既に知っていたわけだが、アバークロンビーとメセニーに関しては、中学生の時に買ったステレオのおまけにECMレーベルの非売品のサンプルレコードが付いて来て、その中で2曲づつくらい、彼らの演奏が入っていた。あとは、確か、ラルフ タウナーの演奏だったと思う。バップ系とは全く違う感じの演奏スタイルに、当時、こういう音楽を演奏する人達もいるのか、面白いな、と思ったものである。
パット メセニーなんかは、1作目のブライト サイズ ライフ、2作目のウォーターカラーズまでは聞いた、その後、段々、フュージョンよりのサウンドになって来たので、全く聞かなくなるのだが、、、
そういえば、高校2年位だったか、当時、無名のパット メセニーグループが博多に来て、それを、北九州から電車に乗って、見に行った事がある。はっきり覚えてないが天神のベスト電気の近くにあった、小ホールだったと思う。お客さんはパラパラでホント、今では絶対あり得ないほど少ない観客だった。演奏を最後まで聞いて、会場で立っていると、舞台の袖からメセニーが出てきて、手招きしてくれたので、側に行くと、笑顔でピックをくれた。スィンと言う一番ペラペラな薄いやつで、当時、自分はかなり硬いピックを使っていたので、よくこんなもんで弾けるな、と思った。
もしかしたら、自分は日本人で初めてメセニーからピックをもらったギタリストかもしれん?www
ピック、失くしたけどwww
話をアバークロンビーに戻そう。10台の頃からアバークロンビーについての情報はかなり入手していたわけだが、渡米した際、ビレッジボイスのライブ情報欄を読み漁っていると、なんと、普通のレストランでピアニストのアンディ ラバーンとデュオで1週間演奏すると言う情報を入手。早速、行ってみた。ビル エバンス系のスタンダード中心にオリジナルも交え1時間のステージ、3回やるのだが、時間の事など忘れる位、素晴らしい演奏で、結局、5日間続けて、演奏を見に行った。リズムセクション無しだが、2人のタイム感がピッタリ合っているので、聞いていて、全く疲れない。この時は、まだピックを使って弾いていたが、ダウンピッキング中心で視覚的にも、ユニークな奏法を行なっていた。
それと、実際にアバークロンビー氏と会う前、音だけ聞いて、想像していた人物像は、これだけストイックで透明感がある音を作る人なので、さぞかし、とっつきにくい、芸術家肌の人だろうと思っていたのだが、お会いしてみると、アメリカの気のいいおじさんと言う感じで、一気に親近感が湧いて来た。
アバークロンビー氏、2年前に亡くなられたが、本当に偉大で素晴らしいジャズギタリストでした。
自分も沢山の事を学ばせていただきました。ありがとうございました。
皆さんもアバークロンビー氏の音源、是非、聞いてみて下さいね。