見えるもの | マサヒロ★ドット★コム

見えるもの

100個の目があれば


同じものを見ていても


きっと見えてくるものが違う事があると思う。



それは、見ている箇所が違ったり


見ている時の感じ方が違ったり

あるいは、目は見ていても


心はまったく違うことを考えていて


何も見えていなかったり…

心っていうのは、つくづく面白いもんだなって思います。



自分にさえ、ウソのものを見せようとするところがある。

ショックや悲しみを和らげるためとか。


人によって、いろんな「見えた」があるのでしょう。


だから
「私はこう見えた」
「俺はそう見えた」
「彼はああ見えた」


と論じて、本当のことを知ろうとしても無駄なのかも。


本当ってなんだ?


だってね。僕小さい頃いつも思ってました。


僕が見ている赤色は、実はあなたの青かもしれないって。


ま、それは飛躍しすぎかもしれないけど、実際そう思ってた。




だから、人と自分の見え方が違っても


そう見えたんだねって納得するしかないのかもしれない。



となると、事件や事故、歴史でさえ


事実と違う内容が含まれている可能性すらある。



いや確実にあるしね。


中国が尖閣諸島は己の領域と信じているのはまさにそれ。


事実でなくても事実にしてしまうのかって。


話は反れたが・・・。



人それぞれの「心」のフィルタを通して


見えているものは、それぞれ違うんだ


っていう理解はもっていると便利なんだろな。