私の看護師長時代、周囲に嫌われている看護師長が数人いた。

彼女らは、嫌われていることを自覚していたが、私のように

恐怖を感じていなかった。

なぜ、そう思わなかったのか。

 

 

ある日、彼女らに尋ねたことがある。

「部下のシフトを組む時、休みの希望を優先すると夜勤の間隔が

短くなり、部下の心身に負担が掛かると思うが、その時どうするか?」と。

すると、彼女らは、「彼女らが納得するまで、当人と話し合いをする。」と答えた。

もちろん、私もそうするが、中には納得しない部下もいるわけで……。

そんな時は、「看護師長の権限で『「こういうシフトにします。』と当人に話す。

もちろん、理由を伝えて。」、そうだろうけど、それで自分は苦しくないの❓

 

 

もちろん、精神的に辛い思いをするし、できれば言いたくない。

でも、言いたくないことを言うが師長の仕事。

嫌われても仕方ないと思っているし、そもそも全員に好かれようと思っていない。

嫌われても私は私だし、だれでもそもそも合わない人がいて当然。

シフト作りと、周囲との好き嫌いの問題は別だ。

と答えた。

 

 

 

すべて、想定済みの答えだった。

私もそう考えていたし、彼女らと同じことをしていた。

私は、部下にそう伝えた後、少し不満そうな部下の表情を見て

密かに傷ついていた。

私は、割り切れていなかったのだ。

頭では分かっていたが、心では納得していなかった。

 

 

私と彼女らと決定的に違ったのは、

「そもそも皆に好かれようと思っていない。嫌われても私は私だ。」、と

考えている点だ。

彼女らの場合、性格形成時に、「どんな自分でも存在して良い」と

いう考え方があったのだ。

 

 

 

私の場合、「人に嫌われること。=自分の存在理由がない。」と感じていた。

 

 

こういう考え方は、エリック・バーン(カナダ出身アメリカ人、精神科医)が提唱した

「人生脚本」(交流分析の中の心理学用語)の中にある。

成長発達中の子供に、~してはいけない、~しろ、という言葉で話された子供は、

無意識の中に、ネガティブ思考として、思考ルートを形成すると提唱した。

 

私はその中の、「禁止令(12項目のうち)」=~してはいけない、という言葉、

                 「実行するな」、「子供であるな」、

                 「近寄るな」が該当した。

  「ドライバー(命令5項目のうち)」=~しろ、という命令形の言葉、

            のうちの「人を喜ばせろ」、「完璧であれ」、「努力しろ」

の項目に、該当した。

 

 

「人生脚本」は、0歳~7歳までの成長発達段階で、無意識に周りの

大人(主に親)から受ける言葉によって、形成される性格・パーソナリティのことだ。

人生において、この「人生脚本」は書き換え可能だが、

0歳~7歳までの刷り込みは核となり無意識に残されており、

その思考パターンから人生の局面で、同じ行動を起こす、または選択する、

という考え方である。