パリで暮らしていたとき。

パリの住人は、
普通の人でも田舎にセカンドハウスを所有していて、
毎週末、田舎に通う。
そこで、家庭菜園をしたり、
長い時間をかけて、外でワインを飲みながらのお昼ご飯。

普通のサラリーマンも、
夏休みは4週間、冬休みは1週間連続して休めるから、
バカンスは田舎の家で、ゆったりすごす。

自転車に乗ったり、
トレッキングしたり、
パンとワインとチーズをバスケットに詰めて、
ピクニックしたり。
子供のように、無邪気に自然の中で、遊ぶ。


その生活は衝撃的でした。
なんて豊かなんだろうって。




日本に帰って、東京で就職したとき、
フランス人のように、
いつか田舎に家を持ちたいって、ずっと思ってた。


そして、みんなが、マンションを購入するのを横目に、
私は、田舎にお家を持つぞ、と賃貸暮らし。


願わくば、素敵なパートナーに出会って、
二人でお家を持ちたいなって思ってた。



そんな矢先に起きた3.11。
本当に怖かった。


パートナーに出会うのを待ってられない。

田舎に中古住宅を買うだけの貯金はあったので、
貯金抱えて死ぬのは嫌だ!
田舎に家を買おう!
と決めた。


先ずはネットで物件探し。
へーぇ、意外と、手の届く値段で家がある。


東京、有楽町の交通会館では、毎週のように、
地方自治体の田舎暮らしセミナーが開催されてる。


女一人の移住なんて相手にしてもらえるのだろうか、
と思いつつ、おそるおそる、岡山県のセミナー参加。


自治体の職員の人、親切。
やっていけるかも。
で、山梨、大町のセミナーに参加。

大町市の定住促進ツアーなるものに参加。


当初は、山梨と思っていたけれど、
いろんなご縁で、長野県大町市に決めました。
それが1994年春のこと。


移住先探し始めたのが、1993年秋のことだったから、
結構早かったかな。



決め手は、
北アルプスが見える。(当時は山ガール)
電車の駅が近い



最初は、東京で働きながら、ほぼ毎週末長野に通う生活。
金曜日の夜、仕事終わってから特急あずさに乗って、大町に来て
月曜日の始発の特急あずさでオフィスに直行。


そのうち、だんだん長野に住みたくなって、
1年後に仕事をやめてることを決めて、移住。


親族一同、みんなあきれてました。
「安定した仕事をなぜ捨てるのか、意味がわからない」
って。


だーれも知ってる人はいない土地。

仕事があるかどうかもわからない。
大好きな山が見える!
それだけで、一人で、エイヤ!っとダイブ。

そしたらね、来てみてビックリ!
一人で移住してきた女子が結構いる!

移住者同士の横のつながりがあって、
色んな人に助けてもらって、
田舎暮らしがスタートしました。


当初の夢は、
南仏プロヴァンスの田舎暮らしを、ここで実現すること。
そこからは、随分はずれたけど、
南仏名物のラベンダーだけは、元気に育ってます。
 

5年前の私。若いなー😆