わたしが、ときどき話をすることのひとつに、なりわいの話があります。
宮澤賢治のエピソードについて、 『教師宮澤賢治のしごと』(畑山博、小学館)には、こんなことが書かれていました。
「教師とは菩薩業」
与え施すこと、ひとを愛することをなりわい(生業)にしていること。
そのことをいつも胸に抱いて、日々を過ごし、教壇にたつ。
ひとをあいすることを、そのまますなおになりわいにできることのしあわせ。
でもね。ほかの仕事でもそうであってよいとおもうのです。
わたしが教育学部の門を叩いたのは、好きだった女の子に「やさしいひとがすき」と言われたことも大きなきっかけでした。
それまでは、母子家庭のわが家を守るために、「強く強く生きること」をわが信条として、それに突き進んできた。野球選手になって、大きなお金を稼いで、ままっちや、にいちゃんをしあわせにするんだ。政治の世界に進んで、社会を変えるんだ。強くならなきゃだめなんだ。そんなことばかり考えていた。
でも、小さなひとことが、ひとを変える。
「やさしいひとがすき」
これって、どういうことなんだろう。
ひとを愛することの意味や、「やさしさ」の意味について、教育学部だったら答えがあるのかもしれない・・・。そんなことが、わたしの大学選択に大きく働きかけたのでした。
そしてもちろん、大学時代も、その意味を求めて、さまよい続けていた。心はあらゆるところへ。傷つけあうこともあれば、包みあうこともある。
それでもやはり、価値を見出せるのは、「ひとを愛することをなりわいにできること」の素晴らしさです。
たしかにわたしは学校の教壇にも立たなかったし、最終的には予備校の教壇も降りた。
でも、この思いはぜったいに失うつもりはない。
「ひとを愛することをなりわいにする」
いかなる職業であろうと、いかなる立場であろうと、
この思いをひとりひとりが持ち続けることができれば、
確実に社会は変わる。
「Make a difference」(小さなことが、少しずつ社会を変えていく)
そう、愛するということから、小さな愛の積み重ねが、社会を変えていくんだ。