1時間ほどの実演をして契約をする。
言い換えれば
①話完結の舞台(パフォーマンス)を演じ、お客さんの拍手(契約)を頂くのが当時の仕事でした。
いかに脚色し組立するかで同じことを言ってもまったく違うように伝わります。
ですからセールストークはより身近でどなたでも経験していそうなことや知っていそうなことをベースに組み立てなければ一方通行的な営業になりがちで相手の壁を崩すどころかさらなる頑丈にそびえ立つ壁になりかねません。
いかに短時間でお客さんの情報収集を
聞くのではなく会話をしながら自然に見つける作業をしなければならないので判断が正しいと契約に繋がり間違えると契約に繋がらないという結果だったような気がします。
今から思えば当時のたくさんの経験は豆腐屋には役な立たないと思ってましたがかなりのウエイトで反映されてることに気づかされます(笑)
『経験は色や形を変えて身を助けるを知る事件‼︎』
当時の営業でのエピソードですが、
長野オリンピック冬季大会の後に利用していた飛び道具です。
かなり以前から冬になると私は雪印所属のスキージャンプ原田雅彦選手に似ているっていろんな方々に言われてきました。
さ~て
どちらが私でしょう?(笑)
その彼が日の丸飛行隊として金メダルを獲得したのです。
こんな美味しいネタはめったにないと
ダンボールで金メダルを作りました。
もちろん
その金メダルを胸に営業にまわるわけです(笑)
インターホンを押し
扉の向こうに
いきなり金メダル着けた奴が立ってるわけだから驚いたでしょうね(笑)
しかしながら
金メダルと私の顔見て大抵の方は
プッ‼︎っと吹き出しました^_-☆
自己紹介で名刺を渡すと
苗字が同じで
名前も似ている
『まさひこ』と『まさし』
『本名ですか?』とか『仕事用の名前ですか?』
とよく食いついてくれました。
『彼は雪印ですが、
私は無印です‼︎(笑)』
当時はこんな私にも嫁がいて嫁の名前も似てたのでそれもネタにぶち込んでました(笑)
大抵の方はこの時点で壁は外してくれてました^_-☆
その後
私は無印からバツ印になったので早く原田選手も離婚してくれたらまたネタに使えるんだけど…と思っております(笑)
そんな訪問販売の世界とのお別れが近づいてるとはこのとき全く気付いていなかったのです。Part⑥に続く…