なんで豆腐屋になったの⁇Part② | 大分県 中津市 ソーシャル豆腐屋 『まさしの豆腐奮闘記』 ブログ

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SNSを活用しながらお客さんとの関係性を深めていくスタイルで手造りとうふの移動販売を大分県中津市を中心に県内外でやっています。私がお届けしたいものは、お豆腐を通じてどれだけハッピーになってもらえるかが一番大事に思っています^_−☆

『まさしの豆腐』の方がわかりやすいと言われてる三楽工房の原田です^_-☆

最近よくされる質問に
『どうして豆腐屋になったの⁇』
Part①はこちら
↓↓↓↓

何故最初の就職先が
営業の仕事だったのかと言いますと
学生時代に某量販店でアルバイトしたのですが接客とかやったことがなかった当時の私は習ったことのみを素直に受け売りで接客を一生懸命やっておりました。

当然おぼつかない接客ですから全く売れませんでした(笑)

しかし

バイト期間の後半に差し掛かったあたりから変化が起こったのです。
『兄ちゃん買いに来たよ‼︎』

と私を指名で購入されるお客さんが1人、2人、3人…
それが
みなさん高額購入の方々ばかりで社員さんを抜いて売上1番になってしまいました(。>∀<。)

この時のお客さんから言われた言葉が忘れられず接客することつまり営業の世界に興味を持つようになったのです。

その言葉は

『お兄ちゃんが一生懸命説明してくれたから買う時はこのお兄ちゃんにしよう‼︎って決めて改めて来たんよ‼︎』

この言葉がなかったら接客の楽しさを知ることはなかったと思います(。>∀<。)

それからのアルバイトは接客や営業ばかりを選んでやってきました。

デパートに行けば実演販売を1時間でも2時間でも見ては感動してました。

これが今の対面販売にこだわる原点になったんではないでしょうか⁈

物を売るんじゃなくてこれを使ったらこんな風になりますよ‼︎ってイメージ(付加価値)を販売したらお客さんは笑顔になるってことを学びました^_-☆

豆腐屋になった理由にならないじゃん‼︎って思われるかもしれませんが

後々今の
油を売る豆腐屋のスタイルになる大きなウエイトを占めることになるのです!

(人を売れば物は売れる‼︎を何と無く知った事件‼︎)