「治部少(三成)に 過ぎたるものが二つあり 島の左近と 佐和山の城」
などと揶揄された石田治部少輔三成が主人公?の映画「関が原」を観た、原作が司馬遼太郎という事なので少し期待して・・・
感想は、悪くはないけど少し残念な感じでしたね。。。。。。。
司馬遼太郎の小説【関が原】は死ぬほど面白かったのに、司馬遼太郎感がなかった
ナレーションは司馬遼太郎の小説のくだりを読むのだけど・・誰かは不明ですけどヘタでした
家康役は役所広司ですが、悪くは無いんだけど・・・・・なんか違う気が・・・・・悪くは無いんだけどね
石田治部少役がジャニー岡田君だが、、、、イケメンすぎて石田感ゼロでしたw
それと大谷形部はとめたが、最後仕方なく友のために西軍に付くという感じじゃなかったっけ??
あと島津も・・・・・・・・・・・・・・・・もうキリがないわw
一方で良かったのは、女性陣と方言ですね~
尾張弁なんですが、いわゆる昔の名古屋弁というんでしょうか・・みゃあみゃあ言うやつw
北政所がお歯黒塗ってみゃあみゃあ喋ってたのはリアリティがありました(笑)
淀殿もなんか雰囲気が良かったし、有村架純も可愛かった
石田治部少がなぜに加藤、黒田、福島あたりに殺されそうになるほど嫌われているか・・・・という所がまったく触れられてないのが残念
石田といえば現代で言う【事務】といったところでしょうか?
一方で福島や黒田は【現場】でという位置になると思う
その【現場】は主に合戦なので生と死を取り合ってる、まさに前線です
一方の【事務】は国でそろばんを弾いて物資や金の計算をします、しかし大事です
しかし天下統一がなされた後は、現場人たちには現場がなく、なんとなく政権から遠くなっていくのに対して、事務方の仕事は増すばかり、当然秀吉にも頼られ地位も上昇、いつしか現場人は嫉妬するようになります
しかし石田が嫌われる原因は彼の言動にあります。
まあ現代で言えば職場に一人はいる【融通の利かない、真面目すぎ、言葉足らず】な人だった事
大勢の死傷者を出し飢えに苦しんだ1952年の朝鮮出兵ですが・・朝鮮で小西行長と加藤清正が武功争いみたいなのをして加藤がルール違反を犯したんだけど、まあ結果的にはもの凄い活躍をしたんですよね・・
しかし小西は石田と仲が良かったのでチクる訳です、そして石田は秀吉にさらにチクるんです
結果、朝鮮から帰国すると労いはなく待っていたのは懲罰でした
黒田長政も同様に石田にチクられて懲罰を受ける羽目になります・・・
元々仲が悪かったのもあって、この一件にはらわたが煮えくり返るほどの怒りを覚えるのです
要は「石田のヤロウは現場に出てもいないくせに、秀吉様の傍で俺たちの事を色々と悪く言いやがってもう我慢できねえぶっ殺してやる」という事です。
朝鮮には金吾中納言(小早川秀秋)も総大将として参加して同様の目にあいますw
金吾中納言もこの件で石田に恨みを覚えたとも言われていますね
石田冶部は正しいですが、正しくないという感じでしょうか?
その後の関が原も人望の無さと謀略を嫌った事が負けに繋がったのだと思います
それを良く言えば義に生きた人物となりますけどね・・・・
悪く言えば甘ちゃんで正義が勝つのが当然と幻想を抱いていたのかもしれません
一方で腹黒い家康は天下を手中にします、終わってみれば当然の結果なんでしょうね
調略や情報戦を徹底的に尽くした結果の関が原は戦う前に決まっていたのかもしれません
合戦では西軍は善戦したようにも見えますが、わずか1日であっさりと負けたとも言えます
まあでも関が原合戦は面白いですよね~
個人的には家康役ではやっぱり津川雅彦が一番だと思うなぁ・・・・・・・・・・・・・
今ではまったく観なくなった大河ドラマだけど・・
【徳川葵三代】は最高傑作だと思う