短い出会いでも長く心に残ることがあります。新鮮な出来事であったり、心惹かれる場面であったり、日常を破るような一瞬であったりしたからでしょう。反対に、時間的にやたら長くても、あまりに長たらしくて心に留まらないこともあったりするものです。

 

 この間、例のようにウオーキングに出かけて、区境の静かな住宅地を通って台地に立ち、そこから見える森の樹々や洋風の建物や木間隠れに見えるフランス学園、またタワーマンションや地上数十メートルを行く年々複雑に立体化する都市交通の一角を見ながら、くねる階段を右手に降り、背の高い銀杏の木をまいて途中のベンチが見え始めた時、久しぶりにそこに人が休んでいました。行き過ぎようとして振り返るとどこか異国情緒を留める女性で、アレっと思いつつ、左に曲がって階段に向おうとしましたが、思い直して声をかけたのです。日本人は東洋人の人種のるつぼ的な顔をしていると普段から思っていますが、日本人にもそのような女性がいます。

 

 話しかけてみて、この若い女性はネパールから5か月前に日本に来たまだ18歳の女の子でした。長い名前を教えてくれましたが、ここではSさんと言っておきます。カトマンズから少し離れた所の出身で、両親は牛や鶏を飼い、稲作農業で生活しているとのこと。豚も鶏も日本語で言っても分からず、私は豚の鳴き方をまねたり、雄鶏の鳴くかっこうをして声高らかに鳴いて見せたので、Sさんは声をたてて笑って、そうだと言って、心がほぐれたのか急に親しくなりました。片言の日本語ですが、本国で4年間日本語をネパール人から習ったそうです。東京で、今運送会社で働き、休みに日本語を習い、3人でシェアハウスで暮らしているとのこと。引っ込み思案な孫娘と同じ18歳ですが、勇敢にも誰も知人のいない国にやって来たことに甚く心打たれました。若いネパール人Sさんの目の動きや笑顔が遠く異国のヒンズーの国を思わせて私の胸に焼き付きました。

 

 この森の辺りは私の好きな所で、時間があると今日はあそこに寄ろうと思って、中央図書館まで出かけ、帰りは中央公園の森を抜けてここに来るのですが、公園のサンゴジュで囲まれた小さな広場の一角は必ず通るコースになっています。というのは、この一角に非常に背が高く、2本のケヤキが広々と高い天蓋を作って聳えているのを見ることができ、その天を衝く枝ぶりはなぜか私に勇気を与えるのです。

 

 もう一人も簡単に記しますが、心に留まる人。日本人ですが、私が腰掛けていた見晴らしのいい台地のベンチの隣りのベンチに来て、オレンジ色の毛吹きのポメラニアンを足元に放して休みましたが、そこに2人の小学生が連れ立って来てポメラニアンと遊んだので、彼女は彼らの母親だと思って見ていましたが、しばらく遊んだ子らはひと言も言わずに去って行きました。へえ!子どもらは知らない人でも、かわいい犬の所には親しげに寄って来るのだと知って、驚きながらこの女性に話しかけたのが話のきっかけでした。30代と思った女性は小学生の母親どころか二人の娘さんはもう大学生だそうで、年齢は40代後半かも知れません。警戒するかと思いきや何ら用心する様子もなく、馴れ馴れしくはありませんが会話は打てば響くように流れるように続いたのも驚きでいた。やや離れた家から遠出して、疲れてベンチに掛けたようです。犬の話に尽きましたが、トリートメントが高く自分の美容院を節約しているとか。私は警戒されないように気遣いながらの話でした。心に残ったのは、区境の人通りの少ない空き地にある二つのベンチなのに、あまり警戒心もなく自然な話し方をする人で、その自然な上品さと素直さに驚きました。別れ際に、スマホでかわいいポメラニアンを撮らせてくださいと言って女性も一緒に撮らせてもらったのですが、どっちを撮りたかったのか罪なき男とは言えません。ポメラニアンも素直で明るく社交的、毛並みのいい美人でした。「も」と書いてしまいました。やはり罪なき男ではないようです。

 

 最後にごく短く男性のこと、彼とは王子の音無親水公園の橋の下の河原で会いました。今はホームレスですが、以前は会社を経営していました。彼とは少し立ち入った話をして、社会への見方で大いに考えさせられました。

 

 「心を調べる方は見抜いておられる。魂を守る方はご存知だ。」(箴言24章)

 

   7月16日