湖水地方の少年の家はこの上にあり、いつもこの坂を上り降りしています。

                                   利発そうな愛想のいい子でした。

 

(グーグルマップによる板橋大山教会)

https://www.google.com/maps/@35.7508634,139.7058769,3a,19.3y,358.08h,101.1t/data=!3m6!1e1!3m4!1sPGofUcK4VQCAPth8ql7jOg!2e0!7i16384!8i8192?hl=ja

 

                        

                    

                        強く雄々しくあれ

                                     ヨシュア記1章1-9節

 

 

               3)

  ヨシュア記は、「強く、大いに雄々しくあり」「僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない」と語ります。モーセが命じた律法とは神の戒めであり、神のみ言葉です。そこから右にも左にも逸れてはならないと命じるのです。むろん私たちキリスト者はコチコチの律法主義者のようにモーセの律法を遵守する者ではありません。しかしここで言われている趣旨は、神の言葉に堅く立脚せよという事です。

 

  私がこれまで最も影響を受け、今も影響を受け続けているのは、カール・バルトという20世紀最大のスイスの神学者です。何年か前には彼が教鞭をとったスイスのバーゼル、彼が出席していたミュンスター教会を訪れて感慨を深くしました。彼はこう書いています。「教会が、人間が、神に聞くというこの一事(いちじ)によって、――すなわち、神が人間に語られるゆえに聞き、神が人間に語られることを聞くという、この一事によって、教会は基礎づけられるのである。この一事において、教会は真に大であるか、真に小なのである。このことが起っている所、そこではたとえ2、3人の集まりであっても、またこの2、3人が決して選りぬきの人でなくても、また高い水準に達していなくても、いや、むしろ人間の屑に属する者である場合にも、教会はここに存在するのである。」これは、私たちの教会のために語られている言葉のように感じます。

 

青年時代に読んだこの言葉は今も真理だと思います。   ―――― 以下略

 

                                      2020年3月15日

 

                                      板橋大山教会  上垣 勝