2017年01月15日
年間第2主日
カトリック円山教会
ケン・スレイマン神父
第一朗読 イザヤ49・3、5-6
第二朗読 一コリント1・1-3
福音朗読 ヨハネ1・29-34
みなさん、おはようございます。
お久しぶりですね。
新年おめでとうございます。
昨年はいろいろありがとうございました。
今年も宜しくお願い致します。
年末年始は良い時間を過ごされましたか?
おかげ様で、私はアメリカとドイツ、オーストリアの旅行を無事に行くことが出来ました。
風邪をひいたときもありましたが、治りました。
今回、沢山旅をして日本に帰ってきて、よかったと感じます。
一番びっくりしたことは、ドイツの空港でした。
まるでハムスターのかごみたいでした。
小さくて暗くて、全然違う雰囲気でした。
良いことは、ドイツとオーストリアでおいしいポテトとフランクフルトとチーズとチョコレートを食べてきました。
今日の福音を通して、イエス様の洗礼式を思いながら、クリスマスの時期が完全に終わりを迎えます。
なぜなら、赤ちゃんイエス様が大人になったからです。
みなさんご存知のように、イエス様の洗礼式の後で、イエス様の人生は変わってきました。
大工さんの仕事を辞めて、福音宣教師になりました。
そのために、自分の故郷のナザレを出て、イスラエルの国をあちこち旅しました。
しかし、皆さん、今日のイエス様の洗礼が登場した目的は、歴史的な出来事を思い出すことよりも、カトリック教会は私達の洗礼を黙想するためでした。
洗礼について人々は、時々誤解をします。
沢山の人々が洗礼は人生の瞬間だけと考えています。
彼らは、洗礼が原罪を魂から取り去る役割だけだと考えています。
その役割も本当ですが、同時に洗礼は私達に命を入れることでもあります。
入れることは、新しい自信とアイデンティティです。
洗礼の後で、私達は新しい名前を授かり、人生に新しい使命を頂きます。
その時から、私達は神様を通して、イエス様と同じ仕事に呼ばれています。
その中で、一番大切なのは愛の業です。
私の専門は倫理ですが、その世界の中の有名な学者達、コールバーグとギリガンの共通の大切なポイントは、完全な人間になるために、周りの人々のための愛の行いを通して成人になることです。
イエス様の命はその実現が生き方です。
ですから、イエス様の洗礼の記念日を考えながら、日本の成人の日も似ているところがあると思います。
日本で20歳になると、お酒とたばこが法的に許されますが、それよりも日本の社会に社会人として貢献できる機会です。
今回新成人を迎えられた方々、おめでとうございます。
どうぞイエス様とマリア様の模範に従い、今よりももっと愛と平和がいっぱいの社会を作ってください。
人間の歴史はリレーに似ています。
前の世代からバトンを受けとり、走ります。
今回はみなさんのチャンスです。頑張ってください。
私もクリスマスの休みにドイツとオーストリアに行って、そのことを思い出しました。
行った目的は40年前に韓国のハンセン病病院にナースボランティアに行った時に、一緒に働いたカトリック系のオーストラリア人看護師達の映画を作るためでした。
二人はノーベル賞に推薦されましたので、私達は二人と共に働いた仲間として取材を受けました。
振り返って、私は間違った事もありましたが、その先輩たちのやさしい指導のおかげで正しい道を進むことができました。
本当に、この二人に出会えて神に感謝します。
そのドキュメンタリーを作りながら、黙想したことは、私達人間はお互いをつくると感じました。それは、私達の人格と模範を通してです。
私達の洗礼は心の中の滝に似ています。
ずっと私達を清めてくれます。
人生の目的はもっともっと愛一杯の人になることです。
今年は酉年です。
鳥が毎日卵を産むように、私達も毎日神様の栄光のために、愛の業を産みましょう。