[ケン神父様のお説教] 年間第30主日 | カトリック円山教会のブログ

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2016年10月23日 
年間第30主日
カトリック円山教会
ケン・スレイマン神父

第一朗読 シラ15b-17、20-22a
第二朗読 二テモテ4・6-8、16-18

福音朗読 ルカ18・9-14

 

みなさん、おはようございます。

今日は「世界宣教の日」です。

宣教の目的はイエス様の福音を伝えるためです。

福音の意味は良いニュースで英語で「good news(グッドニュース)」と言います。

最近皆さん良いニュースを聞いたことはありますか?

昨日私は素晴らしいニュースを聞いて、宣教の大切さを改めて感じました。

2年半前の物語です。

その時、今年と同じく早く雪が降りました。

その日、天使大学で仕事をして、終わった後、マイレット神父様から連絡があり、「ケン大変だ、大切な話があるので、18時頃会いましょう」と連絡がありました。

そして、仕事を頑張って終わらせて、外で車の雪を降ろしていました。

途中でわからないうちに私は大切な物を忘れてしまいました。

それは金のロザリオの指輪です。

その指輪は、お母さんからのプレゼントでした。

神父になった日お母さんから貰いました。

お母さんには目的が3つありました。

一つ目は結婚指輪の場所につけて女性達の誘惑から守る事でした。

もう一つはロザリオの祈りの為でした。

三つ目は、もしお腹がすいた時にお金が無ければ売って食事をとれるように、買い取ってもらいなさいという事でした。

ずっと23年間しっかりつけていて、お母さんを思い出しました。

とにかく雪降ろしの後で、マイレット神父様とレストランに行きました。

マイレット神父様の大切な話を、私は「はい、そうですか。」と聞いて、その時に、指輪が無いことに気づき、テーブルのそばを探しました。

無かったので、店員さんに大切な指輪と伝えて、見つかれば連絡が欲しいと言いました。

そして、名刺を渡しました。

その日からひとつの習慣が出来ました。

もう一つは指輪を探すために毎月一回、そのレストランに行って食事をすることです。

そして必ず同じ席に座って探しました。

いつも、お金を払う時に「指輪見つかってないですか?」と聞いていました。

そして昨日カトリック円山教会で、カトリック日本看護協会の黙想会がありました。

北海道で働いているカトリック看護師が13人位参加をしました。

その中で、1人が2年半ぶりに参加をしました。

彼女が教会のホールに入ってくるのを見て、すごくハッピーでした。

そして、奇跡が起こりました。

彼女は私のところに来て、「ケンちゃんごめんなさい、2年半前、あなたが車の雪降ろしをしている時に落としたロザリオの指輪を見つけましたが、忙しくて渡すことが出来ませんでした。」と言いました。

そして、指輪をもらいました。

すごくうれしくて泣きそうでした。よかったね。

お母さんから頂いたものなので、大事なものでした。

皆さん偶然ですが、今日の福音の中で似ている箇所です。

二人の男性が祈りのために神殿(教会)に登場しました。

1人はパリサイ派の人、もう一人は徴税人でした。

パリサイ派の人々が徴税について悪口を言いましたが、徴税人は自分の間違いを神様に赦してもらうために祈りました。

やはりその祈りの方法で徴税人がパリサイ派の人よりも成長しましたね。

世界宣教の日の今日と私の指輪の奇跡があったので、良いニューズの大切さについて黙想しました。

やはり私達人間は悪口の習慣は福音宣教の反対の運動と感じました。

神様の愛を伝えるために良いニュースだけを伝えるようにしましょう。

最近フランシスコ教皇様が悪口の習慣について、沢山の説教を行っていました。

やはり、教皇様になって、沢山の悪口を聞いたからです。

教皇様が「悪口はテロと同じです。なぜなら他の人の人生に悪い影響を与えるからです。」と言っています。

それによって、その人の人生の評判が悪くなります。

教皇様は悪口を言う人はアダムとイブの箇所の悪魔に似ていると言っています。

その悪魔が楽園の平和を破壊したからです。

また、教皇様のもう一人のイメージはカインです。

カインは武器を通して殺そうとしましたが、悪口を言う人は言葉を武器にして殺そうとします。

福音宣教は悪口ではなく、人々の心を高めるためです。

なぜなら、周囲の人々は神様のイメージに似ているからです。

悪口を言う人のするべき課題は、福音の中の徴税人と同じように自分の間違いを告白してこれから変わるように頑張らなければなりません。

新約聖書の中で、聖ヤコブは悪口について書いた文章があります。

「舌が体の中で最も小さい部分ですが、他の体の部分より相手に一番損失を与えます。」

そして、悪口を言ってしまうと取り返しのつかないことになってしまいます。

何年か前の、カトリック系の映画の中で悪口について出てきました。

そのシーンで、神父が赦しの秘跡をしていました。

神父が信者に「悪口を言えば、高い建物から羽枕を切って羽を散らばしてることと一緒で、収集出来なくなります。」と教えました。

すごいイメージですね。

どうぞ皆さん、世界宣教を進めるために、悪口ではなく、世界をより良くするために、愛の業とお互いについて優しい言葉をいいましょう。

ありがとうございます。