[ケン神父様のお説教] 待降節第3主日 | カトリック円山教会のブログ

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2014年12月14日

待降節第3主日

カトリック円山教会

ケン・スレイマン神父


第一朗読 イザヤ61・1-2a、10-11

第二朗読 一テサロニケ5・16-24

福音朗読 ヨハネ1・6-8、19-28


みなさんおはようございます。

待降節第3主日いらっしゃいませ。

クリスマスはぼちぼちですね。あと10日ですね。

私達はベツレヘムのすぐそばまできています。よかったね。

ですから今日は喜びの日曜日といいます。

偶然ですが、水曜日にインターネットの妹のフェイスブックのページで、ニコニコしている私のお母さんと甥のキャルの写真がありました。

お母さんの家のクリスマスツリーの前です。

キャルは14歳で、歌が上手く中学校のクリスマスコンサートで歌うので、お母さんもそのイベントの服装をしています。キレイですね。

やはり私の母はすべての家族にプライドを持っていますので、できればひとりひとりのイベントに参加し、応援したいと思っています。

キャルは劇にも出ますので、お母さんは彼のファンになっています。楽しいですね。

それと同じように今日の福音も洗礼者ヨハネが出てきます。

彼もイエス様のファンです。

洗礼者ヨハネはイエスさまが世界のステージに出てくることを待っています。

私達と洗礼者ヨハネの違いは、私達はイエス様が救世主であるとはっきりわかっているという事です。

洗礼者ヨハネの時代の人々は、旧約聖書の中の預言だけがあり、誰がいつ来るかわからなかったのでみんな救世主を探していました。

今日の福音の中で、二つの宗教のグループが言っています。

一つは司祭達です。

その当時、神父になる条件はモーゼの兄弟であるアロンの子孫でした。

また、レビはモーゼが作った12の部族の一つの出身でした。

レビがいた部族の男性達は、ユダヤ教の中で特別な宗教的な役割がありました。

例えばイベントの時に音楽をかけたり、神殿を守る事などです。

当時の司祭達とレビ達は救い主に関心を持っていたので、洗礼者ヨハネに相談しました。

この箇所から学んだ事は、当時洗礼者ヨハネが有名で大きな役割があったということです。

別の福音の箇所の中でも、イエス様が洗礼者ヨハネの仕事をほめる場面があります。

今日は教会の黙想会です。

良い黙想をすることは、私達が将来天国に行き、イエス様に会った時、あなたにどんなほめ言葉を言ってくれるかに関わります。

私達カトリック信者達はユダヤの文化から信仰を頂きましたので、洗礼者の模範に従いました。

教会に入会するために洗礼を受けますし、生活しながら汚れた心があれば、赦しの秘跡を通してまた心を新たにします。

それは洗礼者ヨハネが行ったような、救い主のための心の準備ですね。

やはり2000年前の人々にとって心を清める行事は、喜びあふれるものでした。

お風呂に入ってさっぱりした良い気持ちと似ていますね。

昨日、お御堂で後藤神父様、場崎神父様、フィリポ神父様と協力して共同回心式で赦しの秘跡を行いました。

どうぞみなさん、参加できなかった方はケンちゃんに連絡をしてください。

クリスマスの前にみんな赦しの秘跡を受けれるように行いたいと思います。

私はローマに行った時に、ミケランジェロから告解の目的を学びました。

ミケランジェロは石像を作る前に石の前に立ち、想像しました。

そしてその中のものを考え、そして役割はその中のものを解放するために、必要のない部分の石を削りました。

人は罪を通して自分ではないものに呼ばれる事がありますので、そのために祈りと謝罪の生活が必要になります。

新たな自分になるという意味は、本当の自分を解放することと同じです。

どうぞみなさん、頑張ってください。

それもうれしい役割でしょう。

最後に今日は待降節第3主日の伝統について話したいと思います。

みなさんご存知のように、今日はガウデテの日曜日です。

ガウデテは「ハッピー」と同じ意味です。

伝統的にローズガーデンと関係があります。

アダムとイブは楽園に住んでいた時に、素晴らしいローズガーデンがありました。

救い主イエス様が生まれましたので、また楽園のローズガーデンが開かれました。

昔のヨーロッパの伝統で、教皇様が金のバラを祭壇に飾りました。

時々教皇様も立派な国民に尊重のしるしとしてその立派なバラを渡しました。

いつからかわかりませんが、カトリック室蘭教会の神父が室蘭市長にバラのプレゼントを贈ります。

素敵なアイディアですね。

それもうれしい行いですね。

どうぞみなさん、今日のよろこびの日曜日を祝うために、バラだけではなく挨拶や優しい業を通して、お互いの命を喜び合いましょう。

ありがとうございます。