『学校納入金等取扱マニュアル』を読む(下) ― ないがしろにされる保護者一人ひとりの意思 | まるおの雑記帳  - 加藤薫(日本語・日本文化論)のブログ -
2012-07-16 23:54:21

『学校納入金等取扱マニュアル』を読む(下) ― ないがしろにされる保護者一人ひとりの意思

テーマ:PTA問題の実際的解決をめざして
<保護者の多様性に対する思慮の欠如>
宮崎市教委ももちろん、何でもかんでもPTA等の団体から財政支援を受けていいと言っているわけではない。
「18 宮崎市立学校納入金等取扱要綱」の第三条(学校納入金等会計の取り扱いの基本)「運用方針」では、次のように、慎重な取り扱いを学校に求めている。

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○学校施設設備の整備費や学校管理及び教科指導等の経費は、基本的には、公費で負担すべきものである。
○必要な実費を受益者負担の観点から「学校納入金」で負担したり、あるいは、学校施設設備や進路指導等において、より良い教育水準を望む保護者等からの要望に応えて、市の一般的な水準を超える部分について、PTA等の「団体会計」から支援を受けることは例外的に容認される。この場合は、当該経費が公費ではなく、学校納入金等会計で負担することが適切か、または容認されるものかを十分に検討して処理にあたらなければならない。(p.50)
(色付け、まるお)
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しかし、問題は二つあると思う。
一つは「学校施設設備や進路指導等」の費用を保護者が負担することは地方財政法(第27条の3,第27条の4)に触れないのかという点だ。
もう一つは、(こちらをこれから問題にしたいが)「より良い教育水準を望む保護者等からの要望に応えて」の部分だ。

宮崎市教委のロジックは、
「一般的な水準は公費で賄われなくてはならないが、それ以上の水準を保護者等が求める場合には保護者側からの財政支援は容認される」
というものだ。

しかしながら、少し考えれば明らかだと思われるが、「より良い教育水準」に対する考え方は保護者によってさまざまだ。

部活に意義を認める親もいればそうでない親もいる。花壇を立派な花で飾ることに意義を感じる親もいればそうでない親もいるだろう。体育館の緞帳を新しくした方がいいと考える親もいれば、そんなことにお金を使うならこっちの方に回すべき…という親もきっといる。
そして、そもそも、「一般的な水準」が満たされていればそれで十分だと考える保護者がいてもぜんぜんおかしくない。

『学校納入金等取扱マニュアル』のロジックには、このような保護者の多様性への思慮が欠如していると言わざるを得ない。


<役員の合意得れば保護者全体の合意得たことに>
なるほど、「15 団体会計」(p.40)では、次のようなことが述べられ、保護者に対する「強要」にならないよう、しつこいくらいの強調がなされてもいる。

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(3)財政的支援の取扱い
団体会計からの財政的な支援については、当該団体と毎年度協議を行い、合意したうえで支援を受けます。
その際、学校として、当該団体に支援の強要等を行うことは許されるものではないことを認識した上で、その財政的支援が、当該団体の構成員自らの発意に基づくものであること、また、学校教育活動遂行上の必要最小限のものであることとし、これら2つの要件が満たされて初めて支援を受けるものとします。
(強調は、原文)
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しかしながら、「当該団体の構成員自らの発意に基づくもの」との認定がどのようになされるのかといえば、「18 宮崎市立学校納入金等取扱要綱」の第19条(団体からの財政支援の取扱い)「運用方針」には次のように述べられているのだ。

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○団体会計からの財政的な支援については、学校が決して強要してはならず、「真に団体構成員からの発意に基づくものであること」、「学校教育を実施する上で必要最小限のものであること」の2要件が満たされていることが必要である。漫然と前例を踏襲することなく、PTA役員等と学校との間で十分に協議を行い、双方が合意したうえで支援を受けるものとする。(p.55)
(色付け、まるお)
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引用部分の最後の文に注目いただきたい。
つまりは、役員との間で合意が成立し(そして総会で形式的に承認され)さえすれば、「真に団体構成員からの発意に基づくもの」と扱われるとこうことだ。

ここでも、やはり、保護者一人ひとりの考え方や事情がかえりみられることはないわけである。


<教委担当者と議論 
-「多数決の原理」の拡大適用では?>

保護者個々人の意思がないがしろにされているのではないかと当方の疑問を宮崎市教委の担当者氏に率直にぶつけたところ、

「民主主義ですから。多数決で決められたことには従う必要があるのではないでしょうかね。」

と言うのである。

当方は、「これは全国的な問題なので、何も宮崎市教委だけの問題ではないですが」と断ったうえで、「議会の決定や法令には拘束されても仕方がないが、どうして一人ひとりの保護者が『PTAの決定』に拘束されなくてはいけないのでしょう? PTAは、法令上、任意に構成される団体であり、権利能力なき社団ですよね。教委職員としてはぜひそのあたりのPTAの法的な位置づけを意識していただきたい。」とお話しした。

以下は、現時点での当方のコメント。
聞くところによると、宮崎市の公立学校のPTAも、ご多分にもれず、全員自動参加方式のようである。

確かに、たとえ私的な団体であっても、本人の意思により加入している場合には、その団体の決めごとに拘束されることはあるだろう。
しかし、その団体に有無を言わせず加入させられ、抜けるという選択肢も事実上与えられていない状況下で、「多数決には従うべきだ。それが民主主義だ」と言うのは、民主主義のはき違えではないのか。

保護者一人ひとりの自己決定権が「総意」の名のもとに抑えつけられるという問題は、役職の強要にも通底する、PTA問題の核心部分にあるものだと思われる。


保護者から学校への財政的な支援が認められるとしたら、それはあくまでも保護者一人ひとりの自発的な意思に基づくものでなければならないはずだ。
公立学校への財政支援が「多数決の原理」により決まるのだとしたら、地方財政法第四条の五で禁止されている「寄付の割り当て」に相当する可能性があるのではないだろうか。



次のエントリでは、「児童、生徒の保護者に負担を求めることが適当でない経費」をめぐって国立大学法人の附属学校に対して文科省が示した指針(「附属学校の運営に要する経費等の取扱いについて」(平成12年6月13日 文部省高等教育局大学課教育大学室長通知))を取り上げたいと思います。

ちなみに、以前、
・「直接」払いたい親心もあるのでは(07.01のエントリ第1,2コメント)
・流用を見込んで会費を集めていいのか?(07.06エントリ第7コメント)
という、一見相対立するとも言えるコメントがTRKさんから寄せられましたが、この文科省の指針は、その問題意識の両方に対する解決策になっているのではと思っています。


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