「だから」の情意表出的用法成立の背景(その4) 論理なき帰結を語る「~わけだ」 | まるおの雑記帳  - 加藤薫(日本語・日本文化論)のブログ -
2011-04-16 12:29:13

「だから」の情意表出的用法成立の背景(その4) 論理なき帰結を語る「~わけだ」

テーマ:「だから」の情意表出的用法成立の背景
「~わけだ」については、先行命題を基に推論した結果(つまり、帰結)を表すのが基本的な用法であるとするのが一般的な見方である。

(1)
出掛けるとき2万円持っていった。帰ってから財布を見たら3千円しか残っていなかった。1万7千円も使ったわけだ。

(2)
A:洋子さん、結婚して会社辞めるそうよ。
B:寿退社するわけね。
(ともに、『中上級を教える人のための 日本語文法ハンドブック』より)

(1)では、「出掛けるとき2万円持っていった。帰ってから財布を見たら3千円しか残っていなかった」の部分が先行命題であり、「1万7千円も使った」の部分が先行命題から推論した結果(帰結)を表している。
(2)では、「結婚して会社を辞める」が先行命題。「寿退社する」が先行命題から導き出される帰結を表す。

寺村秀夫氏は、(「P。Qわけだ。」は)「QがPからの論理的帰結であること、あるいはPという事実はその当然の帰結としてQという意味をもつこと」を示すと述べている(『日本語のシンタクスと意味Ⅱ』(p.283))。

このような、「P」、すなわち先行命題の認められる用法は、「だから」の「本来」の用法と同様に、「論理に基づく帰結」を表していると言える。ところが、「~わけだ」には次のような使われ方もある。


(3)
(広中) だいたい数学をやっていると、「バカとコンピューターは使いよう」というわけで、コンピューターというのはある面で、バカと同類項なわけなんだ。ところが、数学者だというと頭の中に数字がいっぱい並んでいて、何かコンピューターみたいな頭脳を持っていると人は考えるわけなんだ。だけど、実は真反対なんです。
〔中略〕
(広中) 例えば、ぼくらが論文を書くときに、非常に論理的なアイデアとか構造の変化をどういうふうにとらえるか、という方法論みたいなものを書くわけね。だけど、その背景には、その理論に到達するまでいろいろ計算しているわけだけど、自分でやらなくても、コンピューターを使えば計算はできるわけだ。そういう点では、コンピューターというのは非常に有能な召し使いなわけです。だけど、コンピューター自身というのは何にも創造できない。
(広中平祐氏(数学者)と有吉佐和子氏(小説家)の対談; 前掲寺村(1984)より)


この発言の中に何回も使われている「~わけだ」には、先行命題は認められない(あるいは認めにくい)。寺村氏は、このような「~わけだ」を次のように規定する。

***
P → Qという推論の過程は示さず、Qということを、自分がただ主観的にそう言っているのではなく、ある確かな根拠があっての立言なのだということを言外に言おうとする言い方。乱用すると独断的な、押しつけ的な印象を与える。(前掲書p.285)
***

先に見た基本的な用法は(当方のタームで言えば)論理構成的用法であり、この用法は情意表出的用法と言える。
論理構成的用法においては先行命題と当該命題(PとQ)の関係性(「根拠・帰結」)の表示を伴いつつ、当該命題Qの受け入れが求められている。
いっぽう、情意表出的用法にあっては、先行命題と当該命題の関係性は姿を消し、Qの受け入れ要請の気分のみが大きく前面に出てきている。

図式的に示せば、以下のようである。


論理構成的用法
P。⇒Qわけだ。

情意表出的用法
P。⇒ Qわけだ。


このように、「だから」において見られた「論理の構築を欠いての権利としての受け入れ要請」は、文末辞「~わけだ」においても同様に認められる。


次回は、「~のだ」、「やはり」について整理します。

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