石川鏡介の旅ブログ

古寺名刹、神社、城跡、名所旧跡。さまざまな旅の思い出を綴ります。


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 真言宗善通寺派総本山善通寺の説明によると、「大師は唐(中国)より帰られ、大同二年(807)より6ヶ年の歳月をかけて、父君菩提のために恩師である恵果和尚の青龍寺を模して、ご両親のお屋敷に七堂伽藍をお建てになり、御父善通卿の名を寺号として善通寺と称し……」云々とあり、また、金岡秀友編『[新装普及版]古寺名刹大辞典』(東京堂出版)には「大師が渡唐し、帰朝後大同二年(八〇七)真言宗の立教開宗の勅許を得られたとき、父の善通卿が、その居宅を挙げて寄進し、造営されたのがこの寺である」とあり、NPO四国路おへんろ倶楽部発行の「讃岐二十三ヵ寺 高野山参り」には、「……誕生地である讃岐屏風ヶ浦の地に鎮護国家、済世利人の道場を建立せんと発願。讃岐の豪族だった父・佐伯直田公善通から邸宅地の一部を貰い受け……」とあり、平幡良雄著『四国へんろ』(満願寺教化部刊)には、「真言宗弘通の勅許を得たので、先祖の氏寺の建立を発願した。父の善通卿は大いによろこび自身の荘田を提供されたので、その年の十二月から工事にかかり、六年後の弘仁四年六月十五日、七堂伽藍は完成した」とあります。

 どちらにせよ、弘法大師はご自分のふるさとに寺を建てた、ということには間違いなく、大師以前に佐伯氏の先祖をまつる氏寺があったとする説を採用したとしても、大師ご自身が工事に関係して伽藍を整えた、ということには間違いないでしょう。亰都の東寺や紀州の高野山が出来るより前のことなので、真言宗の最古の寺院といわれます。

 善通寺のホームページをみますと、現在の東院が大師建立の伽藍で、西院は、大師在世当時はまだ佐伯氏の邸宅だった、というように書かれています。また、今でこそ東院と西院は一つになって善通寺という巨大な寺院としてまとめられていますが、昔は、東院と西院は別々のお寺だったようです。

 さて、そのような縁起のある善通寺ですが、長い歴史の中では外護者を失ったり兵火で焼かれたりと、盛衰を繰り返してきました。

 たとえば金堂は戦国時代の永禄年間に三好氏の兵火により焼失し、江戸時代の貞亨二年(西暦一六八五年)に再建されたとのこと。現在、私たちが拝観する金堂はこの江戸時代の建物です。

 詳しく説明(引用)しますと、『[新装普及版]古寺名刹大辞典』には、「寛喜元年(一二二九)以後は東寺に属し、金堂・講堂・護摩堂を具えて盛えていたが、建治・弘安(一二七五-八八)のころ衰退し、後宇多により復興された。そののち、暦応三年(一三四〇)焼失したものを、中興の祖といわれる宥範が、実に二二年の年月をかけて復興した。これには、足利尊氏・直義・義満などが寄進したといわれる。しかし、この堂塔伽藍も、永禄元年(一五五八)、三好・香川両氏の兵乱ですっかり焼失してしまった」とあります。その後、江戸時代の歴代領主や皇室の尊信・外護によって復興し、さらに昭和になって出来た新しい建物もあったりで、現在の姿になったようです。

 
 
 
 

 

 

 

(2013年11月12日の「石川鏡介のブログ」の記事を再編集)

 


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