東京都水道歴史館

文京区本郷2-7-1

薔薇を見に来て、偶然見つけた歴史館。平成7年開館とのこと。

音声ガイドをお借りします。(入場も音声ガイドも無料びっくり

パンフレットの表題は、江戸~東京 発展の流れを創った水の道 400年

2階の東京水道の起源にせまる江戸上水から、周ります。

角型木樋・・・江戸時代に使われた木製の水道管

固くて腐りにくい松や檜を用い、くり抜いたり、継ぎ合わせたりしながら、水漏れの少ない水道管を作ったそうだ。

今でも残っているのが凄いわね~~

槙肌・・・檜や杉の内皮を砕き、やわらかい繊維としたもの。

舟・桶・木樋などの合わせ目、接ぎ目に詰め込んで、水漏れを防止。

木樋の結合部分には、組み合わせる木樋同士がわかるように、絵印の刻みを入れるなど工夫あり。

逆サイフォンの原理を用いた水道管

サイフォンの原理とは、液体をある地点から目的地まで、出発点より高い地点を通って導くための原理だが、写真の水道管は、その逆の原理を応用している。

この原理を利用するには、木樋の中を真空に近い状態にしなければならない。

そのため気密性の高い木樋をつくるための工夫がなされている。

神田上水・・・天正18年(1590)徳川家康の江戸入府に先立ち、城下に飲料水を供給するため家臣・大久保藤五郎に上水開設を命じた。

藤五郎は小石川に水源を求め、目白台下の流れを利用し、神田方面へ通水させたと伝えられている。

これが小石川上水の誕生であり、その後随時拡張され神田上水となった。

井の頭の池や善福寺池、妙正寺池を水源とした。

玉川上水・・・徳川家光が三代将軍になると”参勤交代の制度“”大名正妻・嫡子の江戸在府の制度”により諸国の武家が江戸に集まってくるとともに、その生活を支える町人が増え、江戸の人口が増加し、水需要が増大した。

この江戸の都市化に対し、神田上水に加え新たな上水の開設が必要になった。

江戸町人、庄右衛門・清右衛門兄弟により、多摩川を水源に承応3年(1654)に玉川上水が開設された。

亀有上水・・・明暦の大火後の江戸の復興に伴って、本所、深川の町づくりが万治2年(1659)以降に行われており、このころ開設されたと思われる。

隅田川西側には、神田・玉川上水より給水されていたが、東側に給水することができず、このために元荒川に堰を作って溜井とし、埼玉県北足立郡を経て、亀有に入り、南下して本所方面に給水された。後に本所上水と呼ばれるようになった。亨保7年(1722)に廃止。

徳川家康の命を受けた大久保藤五郎は小石川上水の”みたての功”により「主水」の名を与えられた。

主水・・・水が濁ることを嫌い「モント」と発音するように命ぜられる。

この小石川上水がのちの神田上水の原型である。

また、藤五郎は菓子の調製が上手で三河餅や主水菓子をつくり献上した。

主水と言えば、必殺シリーズの中村主水、こちらはもんどと濁って読むのよね~

架空の人物ですが。

玉川上水物語、アニメと人形劇(庄右衛門・清右衛門兄弟等)

羽村取水口から四谷大木戸までの全長約43kmをわずか8ヵ月で開削、しかも標高差はわずか約92mの緩勾配。

当時の水利技術の高さをうかがえる。工事請負人であった庄右衛門、清右衛門兄弟は、褒章として玉川の姓を賜った。

 

江戸時代の上水井戸と木樋

昭和57年、千代田区幸町で発掘されたもの。

地中の木樋から上水井戸に配布。

江戸時代の長屋の様子。

上水井戸の給水の仕組みを紹介。

 

  

2Fを見終わり、1Fへ。

近現代水道のエリアとなります。

 水質の悪化と江戸上水の危機。コレラの流行。

上水の歴史は、下水の歴史とセットになっているのよね。

下水の歴史も、このような施設があるのかしら?

左・・・水圧計(東京市水道局)
中央・・消火栓
右・・・蛇体鉄柱式共用栓 (水の出口に龍頭が)「蛇口」の語源とも言われています。

龍というより猪?

鋳鉄管の色々。 木樋(もくひ)からの進化ね。

日本最大級の水道管

Φ2,900の管は、鋳鉄管の水道管の中では日本最大のものであり、羽村取水堰から村山・山口貯水池までの導水管に使用されている。

水道事業のうつりかわり

戦災からの復興

小河内ダム建設

漏水対策、高度浄水処理、東京都の今、配水量のお話で音声ガイドはおしまいだったかな。

昭和のお風呂模型が懐かしくてパチリカメラ

思いがけずに、面白い社会科見学ができました。

歴史を学び、未来へ続く水の道を考えるためにも、こういう施設は大切よね。

まん丸な日々