昨日、どうしても
なにか書きたい衝動に駆られる事件があった
事件?!
?とあるできごと。かな。
亡くなったんだよね
登山家の方が。
故人のことかくのは
不謹慎な気がしてちゃんと文字にできる勇気がなくて。
やっぱ私には書けないなっておもって
もやもやと胸の中にしまっておいた。
でも感じること思うことはたくさんあって。
そしたら
メルマガもとってる
君塚さんのブログに
書かれていた。
君塚さんと全く同じことを感じたわけではないけど
みなたぶんおなじようなことを考えていた。
引用をお許しください。
実はいのちのことを目の当たりにすると
君塚さんがまず思い出されるのです
それはなぜか。
まず↓のブログを訪れて
知らない人は
君塚さんが癌を克服したばかり(寛解)
というのにもおどろくだろうけれど。
生きること
なんだろうって
改めて考えてしまったよね。
私は当人(登山家)にお会いしたことはない。
初めて目にしたのは
友達からのシェア記事だった。
指を9本失った後の動画で
結構衝撃的なものだった。
だから記憶に残ってる。
たくさんの著名人と絡むことが多かったようだし
いろいろとネット上でも目にする機会もあった。
おそらくサービス精神旺盛な
人柄もよくて
やさしそうな
そのかた(登山家)さんが想像つく。
スポンサーやたくさんの著名人とすんなり仲良くなって
それが彼の魅力で、
人並みよりちょっと実力があって。
たくさんの人に勇気を与えることが
彼の仕事みたいになってしまって。
頑張り続けなければ
そこに存在しないような気になってしまって。
いつしかそれが
誇張のようなかたちで
自分自身を追い詰める結果に
なってはいけなかった。
彼はどうしたら「生き残れたのだろう?」
ひとは無謀な挑戦をするな
とは言わないけれど
これはチャレンジが失敗に終わったってことだけじゃないと思う。
本人は多少なりとも
山とかかわってきたわけだし
命にかかわることの線引きが
わかっていなかったわけでもないと思う。
(登山家)業界からは警告も充分あった。
風邪をひいていたようだけど
それでも登らなくてはいけなかった・・・?
個人にスポットが当たるいまだからこそ
周りが知らずのうちに
過剰な期待を与えすぎることの
重大さ・繊細さ
感じていかなければ
と思ったところでした。
栗城さんのご家族の方と関係者の方へ
謹んでお悔やみ申し上げますとともに、
心からご冥福をお祈りいたします。
君塚さんのメルマガ。
いつも神ががってるなって思いながら拝読しております。
なにか感じ取っていただけたら幸いです。
ふじなわまどか



