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創建:380年(仁徳天皇68年)
ご祭神:応神天皇、神功皇后、武内宿禰命
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※ご祭神の表記は神社のそれに倣っています。
一國一社の八幡宮です。
一國一社とは、国衙(各地の国司が地方政治を行った役所のあった区画)や国分寺(聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、当時の日本の各国に建立を命じた寺院)の鎮守の役割を担っていた八幡宮のことです(「国府八幡宮」とも)。古事記や日本書紀には登場しない八幡神ですが、奈良時代に突如現れます(しかもいきなり格が高い)。
応神天皇と習合したのはいつ頃なんだろう…。
現代では、商売繁盛、除災招福、五穀豊穣、天下泰平などにご利益があると伝わりますが、源頼朝公や徳川家康公、小田原北条氏ほか、名のある武家の方々が崇敬していたことから、勝負運にもご利益があると伝わります。
八幡神(応神天皇、神功皇后、武内宿禰命)は、三韓征伐の主役の神さまです。つまり「武神」としての性格をもっているんですね。
当社の創建は仁徳天皇の御代。
この地方に大地震がおこり、人民が苦難する様を聞召した天皇が、国土安穏祈願のために応神天皇をお祀りしたのがはじまり、と伝わっているようです。
仁徳天皇は応神天皇の皇子ですね。応神天皇の積極的な朝鮮半島への出兵により、疲弊した国力を回復するよう努めた、心が広くて恵み深い天皇だったそうです。聡明で容貌も美しかったとか。記紀によると、皇后さまはヤキモチを焼いて大変だったみたいです…。
仁徳天皇の皇后は武内宿禰命の孫娘とされる「磐之媛命」です。父親は、外交に尽力した葛城襲津彦といわれています。
武内宿禰命は300歳以上生き、五代の天皇に仕えたと伝わるお方。実在しない人物という説もあったりしますが、まあそれはさておき、磐之媛命の入内は(もし実在していれば)皇族外の身分から皇后となった初例です。
その昔は、「鶴峯山八幡宮」と称えられていたそうで、いまは、境内の東御池の浮島に鎮座する稲荷社が「鶴峰山稲荷社」といい、おなまえが残されています。
こちらが、その鶴峰山稲荷社(平塚八幡宮の末社)
手水舎です。
狛犬さんと獅子さん(マスクをしてる、、)
三の鳥居は青銅で網のような扁額には「平塚八幡宮」の文字が。
拝殿です。
境内にはたくさんの末社がありますが、そのなかの三社。
右から
「諏訪社」(ご祭神:建御名方神)
「若宮社」(ご祭神:仁徳天皇)
「神明社」(ご祭神:天照大御神、事代主神、徳川家康公)
※ご祭神の表記は、すべて平塚八幡宮の表記にならっています。
舞台の上に鳥(鷺?)←最初、置物かと思った、、