先日upした“石上神宮“の参拝後に、山の辺の道をメインにのんびり歩きながら、古墳や博物館、各摂社をめぐりつつ、さいごは大神神社まで行ってまいりました。
本当は、橿原神宮まで行きたかったのですが、時間が足りず…。
(この時点で万歩計は約3万歩を表示しており、へとへとだったというのもあります。苦笑)
大和国一之宮です。
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創建:不明
ご祭神:大物主大神
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※ご祭神の表記は神社のそれに倣っています。
当社のご神体は“三輪山”で、ご本殿はありません。拝殿から、かの有名な三ツ鳥居を通し三輪山を拝します。
縄文から続くアニミズムや自然崇拝の形を今に伝えていて、日本最古の神社のひとつです。
なので創建年は不明と書くしかないですが(汗)、古事記や日本書紀にはそのご由緒はしっかり書かれています。
ところで、ご祭神の大物主大神とはどのような神さまなのでしょうか?
大物主神のお話をするにあたり、まず古事記に出てくる大国主命の国づくりのお話からご紹介します。
大穴牟遅神(おほなむぢのかみ 出雲大社のご祭神・大国主命の別名)が出雲の御保の岬(美保岬)にいるとき、ガガイモの実の殻のような舟に乗って、蛾の皮をそっくり剥いで作った衣服をまとった神さまが波頭から現れました。この神さまは名を少名毘古那神(すくなびこなのかみ)と言い、神産巣日神(かみむすひのかみ)のお子神だといいます。神産巣日神に確認すると「これはまちがいなくわたしの子。この子を弟として迎え、兄弟となって国を治めなさい」と言われました。そこで大穴牟遅神と少名毘古那神は力を合わせて国を作り固めました。
(ご祭神の表記は古事記のそれに倣っています。)
…このようにあります。
“オホナ“と“スクナ“は、“大”と“小”、または“兄”と“弟”を表す言葉で、「大きな体の力のある神と小さな体の知恵を持つ神が、人々に農業や医薬を教えて国づくりをした」と日本各地で古来から語り継がれてきたお話のようです。
(オオナムチとスクナヒコナの二柱をお祀りする神社は日本各地にありますよね。)
こうして葦原中国(地上の世界)は豊かな国となったわけですが、ここで突然、スクナヒコナは常世国へ行ってしまいました。
オオナムチは相棒がいなくなって途方に暮れていると、海を照らしてこちらへやってくる神さまがあります。
そう、ここで海を照らしながらオオナムチの前に現れる神が大物主大神なのです
オオモノヌシは「私のために宮を造って祀るのであれば一緒になって国つくりをしよう。そうでないと国をつくるのはむずかしい」と言います。
「どのようにお祀りすればよいでしょうか」オオナムチがそう尋ねると、「倭の青垣の東の山の頂上にお宮を作って私を祀りなさい」と答えました。
そこで「御諸山の上にこの神を祀った」と古事記にはあります。
これが、大神神社のご由緒なのですね
そしてもうひとつ、日本書紀にはとっても気になる記述があります。
「大国主神、別伝(一書の六)」に「一書に曰く、大国主神は別名を大物主神、また別名を国作大己貴命と言う。また葦原醜男と言い、また八千戈神と言い、また大国玉神と言い、また顕国玉神と言う。その御子は全部で百八十一柱いた」
こんなふうに書いてあるんですね。
気づかないくらいサラっと書いてあったのですが、気づきましたでしょうか?笑
“大国主は別名を大物主神”って書いてあるのです。
さらに日本書紀では、海を明るく照らしながらやってくる不思議な光があり、それが語るには「もしも私がいなければ、お前がどれほど威張ってもこの国を平定することはできなかった。私があるからこそ、お前は国を作り成すだけの功績をたてることができたのだ」と(光がしゃべった ?)教えられ、オオナムチが光に向かって「汝は誰だ?」と尋ねると「私はお前の幸魂、奇魂である」と答えた、と記されています。そしてこのオオクニヌシの幸魂、奇魂を「大和の国の三詣の山に神殿をつくり、そこに祀った」とあるのですね。
神さまの魂は和魂(にぎみたま)と荒魂(あらみたま)のふたつに分けられていますね。
和魂は、穏和で調和的な神様のお力、そして荒魂は、活発で能動的な神様のお力。
さらに、和魂は幸魂(さきみたま)と奇魂(くしみたま)に分けられるといいます。
幸魂は、人々を平和で幸福に導く働きがあり、奇魂は、霊妙な力で物事を成就に導く働きなのだそうです。
つまり、日本書紀では大国主命と大物主大神は同一神と伝えているようです。
このほかにも、記紀には大物主大神が随所に登場するのでご紹介したいのですが、ご由緒を書いたところで大分長くなってしまいました…。
続きは次回にしたいと思います。
漢字の表記が古事記と日本書紀で違ったりで、ちょっとややこしくなってしまったかもしれませんが、ここまで読んでくださりありがとうございました
参考書籍
「現代語訳 日本書紀」
訳:福永武彦
「古事記」
訳:池澤夏樹
「古事記と日本書紀 どうして違うのか」
著:武光誠