日々のさまよい

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[補足] 祷家神事─神魂神社の古殿祭~初夏出雲行(34)←(承前)




揖夜神社の随神門をくぐって、なぜか茫然と境内を見渡しています。


かつて出雲国造の本貫地として意宇郡の中心であった神魂神社の鎮座する大庭から、ここは東方に少し離れた約6kmほどの位置となります。

出雲国造と縁の深い意宇六社の中でも、熊野大社は南方に、揖夜神社は東方に、それぞれポツリと1社だけ離れて鎮座します。


・・東出雲まちの駅女寅/出雲國意宇六社めぐり/意宇六社周辺マップ



もともと熊野大社は、さらに南方の熊野山(現天狗山)から今の人里へと遷座しており、それでも冬は雪深く往来も困難なことから、大庭より遙拝するため出雲国造の廷内に神魂神社を創建したということですから、1社だけポツリと南方に鎮座することに不思議はありません。

けれども、揖夜神社が東方に鎮座することの意味は、もしかして何かあるのではないかと思ってしまいます。


『日本書紀』斉明天皇5年の条に「狗、死人の手臂を言屋社に噛み置けり」とあり、天皇崩御という最凶の不吉を予兆した、とされるのが揖夜神社です。
狗(イヌ)が死んだ人の手を言屋社(イウヤノヤシロ=揖屋神社)に置きました。
言屋は伊浮瑘(イウヤ)と言います。天子が崩御する兆しです。
そして、黄泉国への境界とされる黄泉比良坂(よもつひらさか)の伝承地も至近に擁しています。
「あの世」の祭祀、それを揖夜神社は担って来たと思われるのですが、それが立地に深く関連しているのではないでしょうか。




拝殿。
壁がなく広々としています。


主祭神:伊弉冉命(いざなみのみこと)
・・・・大己貴命(おおなむちのみこと)
・・・・少彦名命(すくなひこなのみこと)
・・・・事代主命(ことしろぬしのみこと)

配 神:武御名方命(たけみなかたのみこと)
・・・・経津主命(ふつぬしのみこと)


ところで「あの世」をイメージさせる方角は、一般的に西となります。
それは多分に、仏教の阿弥陀信仰による西方浄土の影響が強いのであろうと思われます。

また、東方に出る朝陽が生成のイメージなら、西方に沈む夕陽が死滅のイメージに繋がることは、しごく尤もであると納得されます。

しかし、例えば南海におけるニライカナイという概念の場合、東方は海の彼方であって、それは神界でもあり、死者の魂が還り行く「あの世」でもあって、祖霊が生まれる世界でもあります。
この概念は本土の常世国の信仰と酷似しており、柳田國男は、ニライカナイを日本神話の根の国と同一のものとしている。
となれば、荒唐無稽な思いつきかも知れませんけれど、日本へ仏教の伝来するよりもずっと古い時代、出雲では海流に乗って渡来した人々の影響も大きかったと思いますから、往古には東方が「あの世」と意識されていたかも知れません。

それとともに、ヤマトから見た場合は逆になって、出雲は西方であることから、西=「あの世」=オオクニヌシの幽界=出雲国として位置づけられ、揖夜の地はその入り口と考えられたのではないかと思われます。


意宇に広がる平野の東端に、揖夜神社は鎮座しています。


東方から陸路にて辿り来たヤマト側の人間にとって、揖夜の地はまさに出雲の入り口であり、「あの世」との境界であったかと思われます。

それはまた、先祖伝来の地に大きな勢力を築いて誇り高く生きて来た出雲としては、このように自分たちの地を余所者から「あの世」と一方的に規定されることは、とても屈辱的な思いだったのではないでしょうか。


そこで、もしかしたらですけれど、揖夜の地における出雲とヤマトの「あの世」に対する思惑が、東西真逆に解釈されて来たかも知れない、などと妄想してしまいます。

出雲は揖夜から東を「あの世」と考え、ヤマトは揖夜から西を「あの世」と考えていた、ということです。
どうなんでしょうか???


ちなみに出雲では、古来より猪目洞窟(いのめどうくつ)が黄泉の国の入り口と考えられて来たとのことです。
出雲国風土記に「夢にこの磯の窟の辺に至れば、必ず死ぬ。故、俗人古より今に至るまで、黄泉の坂、黄泉の穴と名づくるなり」とあります。
この猪目洞窟は出雲大社のほぼ真北、日本海沿岸の岩礁に横長の口を開けた洞窟ですが、その有り様が、沖縄の風葬地にそっくりのような気がします。
イザイホーで名高い沖縄の久高島は、北東から南西に伸びる細長い周囲8.0kmの小さな神の島ですが、東岸はニライカナイを祀る聖地とされて、西岸の限られた地域に後生(グソー)と呼ばれる風葬の場が設けられています。

このような南海における東西の配置が、出雲の揖夜と猪目洞窟の配置にも通じるものがあるように思われてしまいますけれど…




拝殿の屋根。
このビヨ~ンと伸びた屋根の部分を鳥衾/鳥伏間(とりぶすま)と呼ぶらしいのですが、その上に、その名のまんま野鳥が止まっています。




アップしました。

何という名前の鳥なんでしょう。
なぜだか怒っているような表情ですけれど(笑)




瑞垣に設けられた本殿前の門。
主祭神はイザナミとのことですから、どうしても神陵、というイメージで見てしまいます。



揖夜神社の創建は古代ということで年代は不詳です。
もちろん主祭神がイザナミとされたのは、記紀神話が成立して以降のことかと思いますが、もとよりそのような黄泉国の主宰神に相応しい、古来からの出雲の女神が祀られていたのではないかと思われます。

もしかしたらそれは、今の本殿横で境内社に祀られている三穂津姫かも知れません。
神社には、「軒を貸して母屋を取られる」という例が枚挙にいとまないということで、いつの間にやら本殿と摂社末社の祭神が入れ替わることも珍しくないそうです。

八重垣神社で見たスサノオと青幡佐久佐日古命の関係などが、その一例となります。




本殿の向かって右側。
手前の祠が、三穂津姫神社。

祭神:三穂津姫神(みほつひめのかみ)
ミホツヒメはコトシロヌシと並ぶ美保神社主祭神二柱の一柱です。

拝殿の両側には、本殿の建つ高台へと登ることのできる階段があります。
そこで出雲大社に倣い、反時計回りで参拝させて頂きました。




本殿の裏側を通る際に、心御柱を拝見しました。
伊勢では絶対に見られない心御柱ですが、出雲では大らかに見せて頂けますから、有り難いことです(笑)

この揖夜神社も、主祭神がイザナミということで、神魂神社と同じく女造りですから、神座はここから見ると心御柱の右手前となります。




本殿に降り注ぐ陽光。
時刻は16:00少し前です。

揖夜神社は少しだけ北寄りにほぼ真西を向いていますから、一年を通じて夕陽が正面方向から望まれることになります。


ちなみに、蘇る/甦る(よみがえる)とは、黄泉(よみ)から帰る、という意味だそうです。
そして黄泉(よみ)とは、死後、霊魂が行くとされる所で、死者の国のこと。
古事記では、火の神カグツチを産んだため女陰(ほと)に火傷を負って死んだイザナミの亡骸は、出雲と伯伎(ほうき・伯耆)の国境にある比婆山へ葬られたとされています。
そして、イザナミに還って来て貰おうと黄泉国を訪れたイザナギは、固く禁じられたにもかかわらずイザナミの腐乱した死体を見てしまい、逃げ出しました。
それに激怒したイザナミは、黄泉国と葦原中津国(あしはらのなかつくに・日本国)の境界である出雲の黄泉比良坂、後に伊賦夜坂(いふやさか)と呼ばれる地点まで追いかけますが、イザナギはその坂道を千引岩で塞ぎ、遂にイザナミと離縁してしまいます。

ということで古事記に拠ると、ここ松江市東出雲町揖屋は、イザナギを黄泉がえらせ、イザナミを鎮魂する聖地、ということになります。

そこでもし、出雲で黄泉国が東方にあると考えられていたとしたら、イザナギはこの本殿裏側の東方から正面の西方へと帰還して黄泉がえり、祭祀は正面から東方へと行われて、イザナミを鎮魂することになります。

ですから、揖夜神社の西方に坐す意宇六社のひとつ真名井神社の主祭神が、イザナギとされたのかも知れません。
あと、残る意宇六所のひとつ六所神社は出雲国総社ですから、ここはオールスターで、祭神がイザナギ・イザナミ・アマテラス・ツクヨミ・スサノオ・オオナムチ、ということのようです。

ただ、そうだとしても、やはり神魂神社の主祭神が、何故イザナミなのかは不明ですけれど…。




本殿の向かって左側。
写真で半分切れてしまっていますが、左の祠は韓国伊太氐神社。

祭神:素盞嗚命(すさのおのみこと)
・・・五十猛命(いそたけるのみこと)

神奈備にようこそ/揖夜神社で、石塚尊俊「韓国伊太氏神社について」が転載されています。
「韓国」はやはり韓国そのものを意味し、そしてこれを冠する伊太氏神の原義は、あるいは「射立」神、すなわちかの八幡神が八旒の幡によって降臨されたというように矢となって降臨された神ということではなかったか。 
 出雲と韓国との交流は深い。紀の一書には素盞嗚尊・五十猛命が往来されたとあり、『出雲国風土記』には新羅の一部を引いたという国引きの話がある。こうした話にはやはりそれなりの史的背景があったであろうし、その痕跡が神社の場合はこの韓国伊太氏神社であると見ることもできる。




瑞垣内の大杉。
杉の右下向こうに、本殿の千木と屋根が見えています。


さてそこで、この本殿の前に建つ拝殿の真向かい、本殿正面から見下ろす向こう側には、まさに〝カオス〟としか言い表しようのない境内の一画があります。

これも神魂神社の「お柴」と同様に、何とも恐ろしげなギョッとさせられる光景です。
もちろん、それについて何も知らないまま、ここにも案内板などありませんでしたから、写真を撮っていません。


そこで、またですけれど、↓こちらをご参照ください。



中央の注連縄で囲まれた祠は荒神さまだそうですが、アップで見ると↓こんなことです。




これもまた、怖すぎですね。

見るからに民間信仰の有り様ですし、林立する御幣がまるで土佐物部村の「いざなぎ流」みたいです。



もしかして、夜な夜な村人が人目を避け、祈願や呪いをかけた御幣を立ててお百度参りに来るのかも、などと思ってしまいます。


…もちろんこれについても、つい最近までそう考えていました。


けれど、神魂神社「お柴」であのようなことでしたから、もしかして、と調べてみましたら、まさに案の定、というかこちらは何と、国が指定する無形の民俗文化財でした~~!orz

村人の皆さま、ゴメンナサイ(泣)



この行事は、荒神にその年の農作物の収穫を感謝する行事で、主に収穫後の11~12月を中心に行われる。
出雲地方ではコウジンマツリ、伯耆地方ではモウシアゲなどと呼ばれる。
巨大な藁蛇と大量の幣束を製作し、荒神を祀った木に藁蛇を巻きつけたり、石などに藁蛇を供え、その周囲や藁蛇に幣束を刺すことが多いが、なかには翌年の豊凶を占ったり、藁蛇を隠したりといった形態で行われるところもある。



平成26年度は意宇川流域の“荒神・神社にある御神木”を見て廻った。
社寺林や御神木はその土地の自然植生はもちろん、歴史・生活・信仰といった地域文化とも密接に関わっており、ある意味、人と自然との繫がりを象徴した存在ではないかという発想である。



中国地方のなかでも、島根県東部の出雲地方から鳥取県西部の伯耆地方にかけては、荒神­にその年の収穫を感謝する荒神祭が伝承されている。
中国地方では、荒神は多様な性格を­もって祀られているが、この地方の荒神は、農耕の神、あるいは牛馬の神として信仰され­ている。
その祭りは、毎年収穫後の11月から12月を中心とする時期に行われ、巨大な­藁蛇と大量の幣束をつくり、荒神を祀る樹木や石などに供えることを基調としながら、様­々な形態をもって伝承されている。
その呼称も地域差があり、出雲地方ではコウジンマツ­リ(荒神祭)、伯耆地方ではモウシアゲ(申し上げ)、タツマキサン(竜巻さん)などと­呼ばれている。
なかには、藁蛇を引きずり回したり、子供が藁蛇を隠したり、また、荒神­を祀る場所に埋めた甕内の酒の発酵具体で豊凶を占うといった行事を伴う事例もある。
か­つては、出雲地方で広く行われていたが、今日では中断したり、規模を縮小して行ってい­る事例が少なくない。


う~ん、出雲の奥深さ恐るべし、ですね(泣笑)




そうして帰る際にじっくりと見た、狛犬「吽」。
やはりお尻を突き上げています。



最後に、揖夜にまつわる興味深い伝説をご紹介いたします。

神代の頃、中海のむこうの美保関に恵比須様という神様がおられた。
ある夕方、恵比須様が美保関へ帰ろうと櫓を漕いでおられると、南の方から「オーイ、オーイ」と呼ぶ若い女の声が聞こえてくる。
恵比須様は、その声の主を尋ねて船の舳先を南へ向け、力いっぱい櫓を漕ぎ始められた。
時々「オー、オー」と呼びながら大根島を過ぎて揖屋の灘へ到着された。
宵闇の浜に立って恵比須様を待っていたのは、近くの揖夜明神の美しい女神であった。
さあそれからというものは、毎日夕方になると恵比須様は揖屋へ通われ、一番鶏の鳴くのを合図に舟を漕いで美保関へ帰られるのが常であった。
ところが…

…このことがあってから、両神様のお心を考え神罰をおそれた美保関や、揖屋・意東・出雲郷・大草・春日・大根島などでは鶏を飼わなくなり、鶏卵も食べなくなってしまった。
現在では鶏肉や鶏卵を食べない人はほとんどいないが、大正時代までは揖夜神社の神罰を恐れて、鶏を飼ったり鶏肉鶏卵を食べる人は全く無かった。

詳しくは、↓こちらでどうぞ~。

けれども、コトシロヌシとイザナミが恋仲って、変ですよね。
いくら何でも、それは無理がありすぎると思います。

そこで「揖夜明神の美しい女神」って誰のことかと思っていると、ありました~。

折口信夫は、その理由として、事代主の妻訪い(妻問い)の物語を紹介している。それによると、「事代主は、夜毎海を渡って対岸の揖夜(イフヤ)の里の美保津姫のもとへ通っていたが、鶏が間違って真夜中に鳴いたため、事代主はうろたえて小船に乗ったものの、櫂を岸に置き忘れて仕方なく手でかいたところ、鰐(サメのこと)に手を噛まれた。以来、事代主は鶏を憎むようになり、それにあやかって美保関では鶏を飼わず、参詣人にも卵を食べることを戒める」としている。
折口信夫が、「揖夜明神の美しい女神」のことを「美保津姫」としています。
それなら三穂津姫しかないと思いますけれど、三穂津姫はオオクニヌシの妃神ですから、どうなんでしょう?

まあ、コトシロヌシの母神は神屋楯比売(かむやたてひめ)ということで三穂津姫が生母というわけではありませんし、大昔なら父親の彼女と恋仲になるというのも、それはそれでアリなんでしょうねぇ…
ともあれ、揖夜神社の元々の主祭神が三穂津姫だった可能性が高まりました(苦笑)


ということで、次は「神蹟黄泉比良坂伊賦夜坂伝説地」へと向かいます。







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