今回は、1960年代後半に九州で運転されていた3つの短命急行列車を「3兄弟」と半ば強引にくくりw、3回にわけて紹介しています。

 

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今回は、その3「末っ子」急行べっぷ号です。前回のくさせんり号の長崎・佐世保延伸運転された九重号から、豊肥本線部分の運転を取りやめて残ったのが、べっぷ号と誕生のきっかけとなります。

 


 

 言わずもがな、世界有数の温泉地から命名

列車名の「べっぷ」は、大分にある世界でも有名な温泉観光都市別府市から命名しています。ここには、源泉数、湧出量ともの日本一の温泉がありますが、その詳細は割愛します。

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663highland, CC BY-SA 3.0 <http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/>, via Wikimedia Commons

 
 
これだけ有名な名前です。今回取り上げる「末っ子」時代以前にも、べっぷ号かつては山陽本線〜日豊本線の急行で活躍しています。
 
1961年10月から1964年9月いっぱいまで、広島から別府間のディーゼル急行列車として運転されていたようです。
時刻表完全復刻版 1964年10月号 より
 
 

 

 小倉経由の「九州横断」急行列車 

先達の皆様はご存知かと思いますが、今回とりあげる「べっぷ号」以外に、別府と大分・佐世保を直行列車で結んだ九州の横断急行列車として、急行西九州号が存在していました。
こちらは1964年10月の準急としてキャリアをスタートしたあと、1980年10月のダイヤ改正で廃止されるまで、15年あまりの運転区間を誇っていたことからも、この2つのエリアを結ぶ需要自体は存在していたことは証明されます。
 
西九州号は九大本線を経由、べっぷ号は小倉経由というコースから、一見、九大本線経由の西九州号が時短ルートと思いきや、高規格路線を通過するコースだったことから2つの列車の所要時間はほぼ同じだったようです。そんな条件下で「末っ子」は、脈々と続いてきた「小倉経由」の伝統を守ることになりました。
 
そこで、かんたんに運転区間と時刻の整理をしておきます。
東行き
(長崎・佐世保発)
長崎9:00発、佐世保9:34発 
→ 別府15:08着
西行き
(別府発)
別府15:35発 
→ 長崎21:44着、佐世保21:12着
使用車両は、キハ58系8両編成。急行九重号時代から踏襲しているようです。
 
東行きのダイヤを、当時の紙面で追ってみます。
まずは長崎本線・佐世保線上りの紙面から。当時の長崎駅、佐世保駅発優等列車の始発列車でした。また長崎編成はオール一等車の急行なのも、なぜか誇らしさを感じます。
 
交通公社の時刻表 1967年 10月号より
 
 
鹿児島本線上りの紙面です。誤植でしょうか、べっぷ号の列車番号が「302」と客車列車になっていました。
交通公社の時刻表 1967年 10月号より
 
 
日豊本線下りの紙面です。当時は1時間1本程度の優等列車の設定のなか、その重要なひと枠をべっぷ号も担っていました。
交通公社の時刻表 1967年 10月号より
 
 
このべっぷ号も運転開始から1年間で運転取りやめになります。
 
この「末っ子」べっぷ号のスジを継承した列車ですが、西行きは設定時刻は若干異なるものの、大分発の急行いなさ6号、弓張4号と見ることができそうです。しかしながら、東行きでは通し運転はなくなり、博多でいなさ号・弓張号と急行ゆのか号(博多〜大分間)に分割されています。
 
ちなみにこのべっぷ号の名称は、1968年10月1日からは新大阪(大阪)〜大分間の臨時急行列車として活躍の場を山陽本線〜九州に「戻し」ています。
交通公社の時刻表 1968年 10月号より
 
 

今回は以上となります。

 

なお、過去のシリーズをまとめたページがあります。よろしかったらバックナンバーもご覧ください。

 

本文内写真、カバー用写真:663highland, CC BY-SA 3.0 <http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/>, via Wikimedia Commons

参考資料:別府市(Wikipedia)

交通公社の時刻表 1967年 10月号、1968年 10月号

JTBのMOOK 時刻表完全復刻版 1964年10月号 JTBパブリッシング

日本鉄道旅行歴史地図帳 12号 九州沖縄 新潮社