こんばんは、デジkota9です!
久しぶりに夜中に出掛けた時のお話です。
夜明け前に行動開始!
この日は北九州に向かい、夜が明けそうな時間にまずは小倉南区のラ・ムーというお店に到着しました。
ここではちょこっとつまむものを調達。
ラ・ムーは中部地方から近畿、中四国・福岡かけて出店するにディスカウントのスーパーのようで、以前テレビで「安い」と放映されていて一度行ってみたいと思っていたのです。
トルコのミネラルウォーター(27円)とホテルパンという30個入りのパンをお買い物。
パンは賞味期限の関係で3割引で252円。たしかに安い!
味も自分の好きなミルクパンっぽく、近くにあれば通いたいお店でした。冷蔵冷凍保存してしばらくいただきました
ラ・ムーがあるのは企救半島の付け根から少し入ったあたり。目指すのは部埼灯台で、半島の突端まではまだまだ距離はあります。
梅雨時期には珍しく天気も悪くありません。こんな日は朝陽が昇る時間帯に訪れたいものです。
さて間に合うのか…
うん、まずまず良い日の出は見られました
この太刀浦海岸には一際目を引く大きな像があります。
自由の女神? ノーノー
メンズです
それは僧 清虚(せいきょ)像
のちに詳しく解説いたします
僧清虚像がすぐ目の前にある駐車場から、階段を上がって部埼灯台を目指すことにします。
紫陽花を横目に、つづら折りの階段を上がっていきますと…
部埼灯台
小高い丘に建ち、そこは部埼山と解説にはありました。
部埼潮流信号所
写真ではわかりづらいですが、矢印などを電光で知らせています。
僧清虚火焚場跡
ここで再び清虚(せいきょ)の登場です。
灯台と同じ場所に構える火焚場跡。
僧侶である清虚ですが、実は灯台とは無関係でない逸話を持っている人物で、江戸時代後期に関門海峡で船を導く火を焚き続けた僧侶というように記されています。
ここ部埼はその昔、狐埼とか念仏埼と呼ばれた浅瀬の多い航海の難所だったそうで、天保8年に高野山へと修行に上る途中に立ち寄った僧 清虚が、ここの海域の危険性に気付き、この辺埼山に小庵をつくり、囲炉裏の火を焚いて往来船の安全を見守ったとのこと。
要するに部埼山の中腹で火を焚くことで、今でいう灯台の役を担ったということでしょう。
元は豊後国伊美村出身 今でいうと大分県の国東半島の町の一つで、下関を経由しての船移動の途中だったようです。1850年に亡くなるまで清虚は火を焚き続け、のちに遭難を免れた船頭たちから評判になり、辺埼山に火焚場を造ることとなりました。僧が焚き続けた火は13年に渡り、その後、火焚場の火は1872年(明治5年)洋式灯台が完成するまでの21年間地元の住民によって守り続けられることになります。
この洋式灯台こそ部埼灯台となります。
清虚のとった行動が後に功績を讃えられ、部埼灯台下の海岸に松明をかざした高さ18mに及ぶ立像が建立されているというわけなんですね(°∀°)b
みやこ町豊津花菖蒲公園
朝もまだ早かったので花菖蒲を見ていこうと思いました。ただしここにきて天気はどんより
まぁ欲張っても仕方ありません。それでも花はちょうど見頃な感じでしたね!
たしかに5月下旬から開花をはじめ、6月中旬頃に満開とありました。6月初めころに訪れてます
3,000株、約4万本、約50品種の花菖蒲が花を咲かせるそうで、色とりどりの花菖蒲が楽しめました(^^)
ある夜にはホタル鑑賞へ
新しい蛍スポットを開拓しました。
佐田の郷だそうで、場所は住まいの宇佐市と同じですが、旧安心院町にあります。
ホタル出没のタイミングは雨降りの前日が良いと言われますが、訪れたときは晴れ続き。
それでも結構な数のホタルの乱舞が見られました。ここ、なかなか見ごたえアリです
標準ズームの広角端 24mmにて
50mm標準レンズにて
10.5mmフィッシュアイにて
同じく魚眼レンズでは人工衛星でも写り込んだでしょうか?
妙な点線のクロスもありでした(^^ゞ
ホタルの光の軌跡もここまで小さいと何がなんだかって感じでもあります。
肉眼で見るのが一番ファンタジックかもしれません(^o^)
町(村?)をあげてホタル鑑賞のサポートをしてくださり、駐車の管理などされている地元の方からおにぎりもいただいちゃいましたラスト1個にありつけました
お米も美味しいとのことでアピールも欠かしませんが、何気にいつも食べているお米は安心院も含めた宇佐の米。
十分わかっとります♪ 他所の市からの方にも知って頂けたのではないでしょうか。
肝心のホタル鑑賞もバッチリ堪能させていただきました。