皆様いかがお過ごしですか~爆笑キラキラキラキラルンルンルンルン
 
今日はとても良いお天気だわおねがいおねがい太陽キラキラキラキラ
 
 
本日も、アタシのブログ読んで下さって
ありがとうございますぅー!!!!
 
 
 
 
 
さんぺーのブログぅ~~
 
 
 
 
 
スターティ                       ン!!
口笛口笛口笛口笛口笛口笛口笛口笛口笛口笛口笛口笛口笛
 
 
 
 
アタシは、大阪で、10年の修行を終え、
宮崎に帰り、アタシの妹と、産みの母と、
3人で、鉄板焼の店を始めたの。
 
 
 
それは、とてもとても順調で、
営業してから、3年半の間で、
父親の多額の借金も返済し
これから、どんどん貯金が出来ると言う、
 
 
 
矢先に、アタシが倒れてしまい、
トータルの入院生活が、半年以上と言う、
過酷な病気でした。
 
 
アタシは、無事に歩けるようになり、社会復帰
しても、バタバタする仕事は、
無理と言われ、お店を売買した、
そのお金で、妹とスナックを始めたの。
 
 
妹は、お酒に長けていて、接客上手。
アタシは、お酒の事は、全くわからず、
妹が、頼みの綱だったの。
 
 
アタシの役目は、お話と、歌口笛口笛
 
お話も、アタシ的には苦手なんだけど、
回りは面白いって集まってくるのアセアセアセアセ
 
多分、キャラクターだと思うけど(笑)(笑)
 
 
その前頃から、NHKのど自慢で、優勝して、
全国大会に出たわカラオケキラキラキラキラ
 
 
全国大会で、優秀賞を頂き、スカウトが来たのおねがいおねがいおねがい
 
 
 
お店も初めていたし、東京には行けずに、
九州で、お店をしながら、歌手の仕事もしていたわアセアセアセアセ
 
 
あの頃は、本当に恵まれていて、あちらこちらから、スナックを訪ねて来られるお客様で、
結構忙しかったわ。
 
 
芸能界の仕事も、そこそこ順調で、やはり、
NHKの力は凄いと思ったほどよびっくりびっくり
 
 
ただ、妹は、スナックをしたい訳じゃ無くて、
一人で、大阪に行き、独立したいと、
                                         ずっと言ってたの。
 
 
アタシは、従業員を募集し、2人新たに入れたわ。
 
妹は、そのまま、大阪に行き一人暮らしを始めたの。
 
 
今まで、妹ありきで、スナックをしていたので、従業員たちに、落ち着いて貰うまでは大変だったアセアセアセアセ
 
 
何回か従業員が変わり、最後には、男の子2人と、女の子一人を雇い、週末は、4人で回していたわ。
最後のスタッフには、本当に感謝してるの。
 
 
 
 
アタシは、もう1つ、営業の仕事も副業でしていて、睡眠時間は、2、3時間が平均睡眠だったわ。
 
 
まだ、父親の肩代わりをしていた、母親の
借金も残っていたので、アタシは本当に必死で働いたの。
 
 
でも、やはり身体は正直。
  また、体調を崩し、胆のう全摘手術をすることになり、無理が利かない身体になったわ。
 
 
 
その時に、アタシは思ったの。
 
 
アタシが思っていた、大事にしてきた順番は
間違ってたた事に気が付かされたわ…。
 
 
                     1番は、お金。
                     2番は、お金。
                     3番は、お金。
 
お金で、15歳から苦労していたので、
お金さえ有れば、何でも出来るし、
健康ですら買える!ってそう思っていたわ。
 
 
最新の医療だって、お金が無ければ受けられないし、ある意味健康も買える。
 
 
 
お金が無ければ、家族のギスギス感が取れ、
余裕が生まれる。結果、良い方向に行く。
 
 
ずっとそう思って生きてきたの…。
 
 
それは、何故なら、アタシは、15歳から貯めたお金の全額を、父親に渡し、
手元にはへそくりで貯めた、50万円しか残らなかった。
 
 
足らない部分の軍資金は、叔母さんが
その50万に付け足してくれて、宮崎で店を
出させてくれたの。
本当に感謝しかなかったわm(_ _)mアセアセアセアセ
 
 
 
 
実は、アタシが15歳の時、あの当時は、
本当は、大阪には行きたくなかったの。
 
宮崎で、調理科に進み、洋食のコックになりたかったわ。
 
 
でも、アタシの父親は、それまで絶縁だった
自分の姉とのパイプラインに、アタシを使い、
 
10年間、父親が叔母さんにお金を要求しては、
アタシが、毎月毎月返済して肩代わりをしていたの。
総額は、一千万円を超えていたわ…。
 
 
叔母さんは、弟である、アタシの父親の事は、大嫌いだったわ。
 
でも、情の深い、叔母さんは、アタシの為に、
沢山、我慢をして、アタシを手放したくなかったから、父親にお金を貸していたわ。
 
 
父親が亡くなったのを、きっかけに、
叔母さんが、こう言ったの。
 
『よっちゃん……。叔母さんは、
ずっと一緒に居たいけど、よっちゃんの
お母さんの気持ちを考えたら、痛いほどわかるの。
 
15歳で、手放して、どれだけ悲しんだだろうか…。
 
もう、よっちゃんは、立派に商売が出来る。
叔母さんは、太鼓のハンをついたげるわ!
 
自信もって、宮崎に帰って、お母さんと、妹と3人で商売をしなさい。
 
お金は何とかするから気にせんとき!
 
お父さんが、生きてたら、お金をせびりに来るから、商売は、させないつもりやったけど、
お父さん亡くなってしまったからね……。
 
田舎のお母さん、ちゃんと支えてあげや!
叔母さん、応援してるからな!
 
叔母さんは、泣きながらアタシにそう言ったわ。
本当に心に沁みた言葉だった……。
 
 
そう言う事があったから、全速力で働いて、
家族を守らなきゃ行けないと思い、
健康の事を後回しにしてしまったのね……。
 
 
本当に、若かったと思うわ……。
 
 
逆に、商売が出来ない身体に追い詰めていたのね……。本当にバカ……。
 
 
頭を打った今では、、、
 
            1番、健康=自分
             2番、家族。
              3番 、お金。
 
今は、こんな感じになっちゃってるわ(笑)アセアセ
 
 
やっぱり、アタシは頭を打たないとわからない
、体当たりの人生みたいショボーンショボーン
 
 
因みに、今では、父親には感謝をしてるのよ~ニコニコニコニコキラキラキラキラ
 
 
父親が、色々とパイプラインになってくれなかったら、大事な、叔母さんと知り合えてなかったからよ。
 
父親の事は、前にもブログで書いたんだけど、
亡くなる、3日前に全て許して、水に流したの。
 
最後の3日間、寝ずに看病して、顔を見ながら、色んな事を思い返し、手放す事が出来たわ。
 
 
 
そんな、こんなで、さっきの話に戻るけど、
アタシは、スナック業も続けて行くのが
大変で、泣く泣く閉店したわ……。
 
 
従業員も居てるし、任せて続けようとも思ったけど、アタシが、歌の仕事で、店に居ないと、
お客さんが帰ってしまうらしく、
身体は1つしかないので、とてもじゃないけど、両立は厳しいと思ったの。
 
 
辞めて、宮崎の田舎で仕事なんか無いし、
もう一度、大阪に行きたいと思ったの。
 
 
今度は、色んな飲食の仕事を経験したくてね…。
 
 
大阪には、妹が居てるので、妹に相談したら、
狭いけど、一緒に住もうって言ってくれたの。
 
 
アタシは、また、15歳のあの当時の様に、
30歳で、また大阪に戻って来たわ…。
 
 
それと同時に、叔母さんに会いたくて、
正直、嬉しい気持ちもあったわおねがいおねがいキラキラキラキラ
 
 
 
 
 
 
さあ、今日はここまでよウインクウインクキラキラキラキラ
 
また、ブログでお会いしましょ~!!
 
素敵な休日を過ごしてねーーおねがいおねがい
 
 
バイバーーーーーイ*.゚+ヽ(○・▽・○)ノ゙ +.゚*ラブラブラブラブグリーンハーツブルーハーツイエローハーツラブラブラブラブグリーンハーツブルーハーツイエローハーツキラキラキラキラキラキラキラキラ