不育症 公的支援までの道⑥ | 不育症から3 Rainbow Kids mamaになれました◡̈

不育症から3 Rainbow Kids mamaになれました◡̈

2013年に後期流産(死産)と早期流産を経験。不育症検査・治療を経て3人のレインボーキッズのママになれました!
不育症の公的支援依頼活動・天使パパママイベントにも関わります。
お酒・甘いもの・鉄道・地元を愛す保育園ママ8年目・ワーママの日常を綴ります♡


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ランダムに綴っています。

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不育症 公的支援までの道
(在住市で支援制度実現までのストーリー)



今回はメディア協力の話です。




▷▶︎▷▶︎20157



不育症の当事者団体

「不育症そだってねっと」代表の方から

1本の連絡がありました。


あるTVプロデューサーさんから


夕方やっている

とあるニュース番組の特集コーナーで

不育症を取り上げたものを制作したい。

当事者の方で協力してくれる方は

いないか?


という連絡が来たそうでした。




当時の不育症そだってねっと埼玉では

私たちの想いに賛同してくださる

議員さんたちのお力を借り

自治体での議会開催中に

会派回りをするなど

結構活発に動けていました。


⋯そんな理由で

埼玉メンバーに声がかかったのかと記憶しています。




しかしよくよく話を聞いてみると

そのプロデューサーさんは私と同じ市にお住まい。


私も育休中のため時間はある。




おぉ!




⋯ということで

私がプロデューサーさん、そしてカメラマンの方と

お話をすることになりました。




結局

プロデューサーさんの作りたい番組と

私たちが協力できることがマッチせず

私たちの出演は特にありませんでした。




そのため

私の不育症でかかったクリニックと

主治医の先生を紹介するだけにとどまりました。




ちなみに

現在妊娠中で

取材にあたっては実名顔出し

出産シーンを取り上げたい

ということでした。

ちょっと難しい条件かも滝汗




「陰ながら」という形ではありましたが

私たち不育症そだってねっと埼玉も

「人の紹介」という形で

協力させていただきました。




そして、だいぶ時間は経ちましたが

20163月下旬。

その時はやってきました。



余談ですが

この番組の最後に

コメンテーターの医師の方が



不妊症



っておっしゃったんですよ。




何だったんだチーン



今まで何を見ていたんだこの人は

と、ため息しか出なかったです泣




K田さんっ‼️