子沢山*てんかん*知的障害育児*たのしい⁉︎うちゅージン一家の日常

子沢山*てんかん*知的障害育児*たのしい⁉︎うちゅージン一家の日常

請負で在宅ワークを始めて2年→最近デザイン業を起業〜。4児の子沢山&てんかん障害児育児真っ最中の、まるが綴る、ちょっと地球人離れした??うちゅージン一家の日常です。

うちゅージン的面白さの家族7人の日常を綴るブログです。つながる食堂、在宅デザイナー業、フリーランス、自営、開業、町おこし、てんかん知的障害児、4人のがぎめらーずの子育てなど。

もう前回どんなことを書いたか

確認するのも億劫で



重複してることも多々あるも思いますが



ここで一度現在地の確認がてら

一連の流れを含め綴っておきます








昨年夏の終わり、義母が突然亡くなり

家を引き払わなくてはならなくなり



義母宅で寝たきりだった義祖母に

施設に移っていただくための手続き



幸い良い施設に順番を譲ってもらい

嫌がっていたお義祖母ちゃんも

穏やかに移ってくれた



施設では

見る間に弱り



もう長くないよと

施設の人に言われるたびに

きょうだい達を招集



持ち直しては

悪くなり

また招集



もうすぐか

まだ大丈夫か

の繰り返しが続いたが



足の血管が詰まり

壊疽してしまい

もはや切断しかないと

病院に駆けつけるも



このまま処置せず

看取りまで

塗り薬だけで対応しましょうと



痛いに苦しいに違いない

お義祖母ちゃん

それでも

笑顔で感謝の言葉をくれる

すごい人だと涙があふれる



同時に

義母の死をきっかけに
義妹の病気が悪化して
入院させることに



入院できる病院を一緒に探すも

何件も断られ難航…


気持ちが折れかけたとき
ようやく入れたのは東京の病院



入院後も
何度も高速で送迎や荷物運び



とても良い病院で

みるみる良くなり胸を撫で下ろす



のも束の間

無情にも

最長入院期間はたった2か月



まだ不安が残るため

転院先を探すことに



ギリギリで地元の病院に

転院できることになり

ホッとしたところ



義妹の転院の日の朝

義祖母が危篤との連絡



足の壊疽の傷口から

バイキンが入り

敗血症になった様子



私は義妹を東京まで迎えに行き

転院先の予約時間があったので

そのまま入院手続きして



義祖母の施設に駆けつける



呼吸が苦しそうだが

特に入院などはせず

施設でこのまま

看取りをすることに



きょうだい

親戚

それぞれお別れを言えて

静かに夜中息を引き取った



葬式は

親戚、きょうだい

みんな出席予定だったけど



コロナウィルスの感染拡大で

近場の二家族だけ

会食も中止



雨の日

ふと雨が上がり

納骨のタイミング



帰り道

日が差す

神々しい景色を見る



義母の死から

悲しむ暇もくれない

相続問題



義祖母の死で

第二段階を迎える



足繁く弁護士さんのところへ
それでも分からなくて

裁判所へ何度も何度も

足を運ぶ



相続人である

きょうだいや

義いとこたちからの

問い合わせに答えるため



また裁判所へ

足を運ぶ



やたら書類が必要になり

一つずつ調べて

問い合わせて

郵送で取り寄せる



不備があって

送り直しも

気が遠くなる



無事転院した義妹も

まだこのままでは

1人での生活が難しいため

退院後に暮らせる施設を探すことに



役所での手続き

諸々進み

ようやく

施設の見学、体験

というとき



コロナウィルスが街に上陸で

病院が面会も外出も禁止に



義妹と会えず

施設の見学、体験もできず



諸々

遅々として進まない



入院費用だけがかさみ

お金の問題で

入院もそう長くできない

焦っても仕方ない

けど焦る



独り暮らししながら

何とか施設探しをするしかない



なるべく不安がないように

どうにかして

サポートをする

そう腹を決めたが



やはり主治医も

きょうだいも

心配は拭えず



病院と相談して

知恵を出し合い

入院期間は延びたけど



なんとか



本人抜きで

私と別の義妹で施設を見学

ビデオ通話で

施設の様子を本人に見せて



気に入ったところに

体験と同時に退院することに



空いている施設は少なく

割と遠いところばかりで

ピンと来ない



そんな時

たまたま友人から

素敵な施設を紹介してもらった



義妹も気に入り

トントン拍子に話は進み



予定より半月遅れたが

退院することができた

お金もギリギリなんとかなりそう



思った以上に

施設のスタッフの温かさもあり

義妹の回復が目覚ましく

とても嬉しい



そんなこんなしている中
ちけの足のゆがみが

中敷では戻せなくなり
手術を検討していた件で


これまでのリハビリ病院から
手術をしてくれる大学病院へと

紹介してもらい通院することに


混雑する狭い駐車場
ようやくバギーを出して載せる
容易じゃない


院内も半端なく混んでいる
延々と待たされる
どっと疲れる
 

2回目の受診後に
突然じっちゃんが
手術させたくない!とキレる


仕方なく一緒に受診する


先生も手術した方がいいのか
余計に悪くなるのか
判断つきかねるという話になり


ひとまず
5月末に手術の予定を組み



しばらくリハビリをしながら

詳しく足の様子を見て

手術が必要か

良くなるのかどうか

判断することに



もし不要もしくは

悪化する懸念があれば

手術キャンセルすることに



ひとまず

今のより頑丈な

装具を作ることに



役所に届けを出すも

1か月経った今も

認可がでない



学校は全て休みとなり



ちけはデイサービス頼み

他の子は全員在宅で遊び時々勉強



私は3月末でちょうど

通いの仕事が一段落し



4月から在宅の仕事のみ



5月からは

通っていたアロマサロンもお休みとなり



美容院も行っていいものか

髪は白くなり

伸びてまとまりがなくなってきた



足繁く通った

裁判所

弁護士事務所

役所

病院

も一段落して



出かけるところもなくなり



買い物とコインランドリー

ダンナの食堂くらい



ダンナの食堂は

もともとお客さんが少ないので



密になるライブは

中止にして

夕方から夜の短い時間だけ営業



週2回だけ昼間から

がぎめら連れてパパと勉強タイム



最近は食堂以外に配達の仕事かけもちで

ほぼ近場の単身赴任状態

店が住処のようになっていて



子どもたちに会えないから

勉強を口実に招集



お客さんの手作りマスクが

好調な売れ行き



ぽつんぽつんと来店する

もともとの集客状況が

今は感染対策としてありがたく



窓を開け放しても

心地よい季節となり

余計にありがたい



私の仕事も

半減まではせず



義母が亡くなってから

バタバタが続き



ずっとお願いして

待っていただいていた

顧客の仕事をようやく始められ



在宅で腰を据えて

パソコンに向かうことができて

ありがたく



毎日

がぎめらーずにご飯を作り

勉強しろと声をかけつつ



仕事に精を出す生活



ちけは

眠りが浅くなり

夜中によく起きる



寝る時間になっても遊んでいる



寝るのが遅く

夜中に何度も起きるのに

朝早く起きる



私は起こされてすぐ寝られないから

辛い



もうアラフィフ

身体がついていかない…



ちけ…

そろそろ寝よう



あ…

地震

こんな時に大地震が起きたら

どうなってしまうんだろう



うちゅージン一家も

色々あり

第一波

第二波

第三波

何とか乗り越えて

ようやく落ち着きを取り戻し



雨降って

地固まる



と言えたらいいなと

思っているところです



ちけ

洋服のサイズは150

そろそろちびてきました



おむつはまだ

グーンのビッグより大きい

もうそろそろやばいけど

SSはまだ股から漏れそうで

踏み切れず



オムツシートは

6回吸収タイプへ

尿の量が半端ない



それでも昨日は

久しぶりに

朝布団がびしょ濡れに



そんな時

何故か彼は

防水シーツから外れたところに

寝ている



びちょびちょの布団に

気持ちが落ち込む

私の布団も!



こんな生活

いつまで続くのかと嫌になるけど



1番上のえいぼーも

あっという間に16歳

バイトして自分で稼ぐようになり



子どもは気づかないうちに

どんどん大きく成長して

離れていくものだと

実感



あと4年したら

えいぼーは成人

ちけは高校生

おーぴゃんは中学生



早いものです



ちけのイタズラも

早く過去のものになって欲しい



うちゅージン一家のバタバタが

世界規模のバタバタになってしまったけど



早く収束して

悲しむ人が1人でも少なく

済んで欲しい



人ごとではなく

うちも気をつけて



こもり生活

感染対策

続けます







義母が亡くなってからの怒涛の日々…

義母宅の片付け、引き払い。

義祖母の特養老人ホームへの入居、手続き、準備、それまで利用していたサービス事業所へ支払い回り。

義妹、体調悪化、通院先が合わず転院を繰り返す。通院付き添い、ようやく入院。

ちけ、足を痛めたと学校から電話、結局捻挫で通院。

と思ったら、ちけ、前歯が抜けかけて流血と学校から電話、本をかじっていただけだったらしいが、歯の根がまだきちんと丈夫になっていないらしく、よく物をかじるので、徐々に根元が弱っていったのではないかと。

抜けかけた歯を戻して、接着剤で固定。
何とか大丈夫そう。
引き続き通院。

そして、ちけの足の手術の話。

小さな頃から足が変形してしまっていて、始めは中敷を使って強制していたが、だんだん中敷だけで足りず。

足首を固定するカバーを靴の下に履く形をとっていたが、それもだんだん矯正しきれなくなり。

前回の中敷と靴が壊れてしまい、作り直してもらうも、なかなか矯正できず、装具技師さん泣かせ。

ようやく完成して歩けたはいいが、このまま身長が伸びて体重が増えると、余計に足に負担がかかり、真っ直ぐに成長出来ないことで、歩くのが困難になる可能性があると。

ということで、手術の検討を。

いつも、てんかんとリハビリをお願いしている病院に、隣市の大きな病院から整形外科の執刀が出来る先生が月イチで来られるとのことで、昨日受診。

どんな手術にするかは検討が必要だが、やはり手術は必要。

今回は骨は切らずに腱だけ切って伸ばすとか。

来年度は6年生で、修学旅行やら謝恩会やらの行事もあり。

3月までは、私の仕事も決まっているので。

春から仕事をセーブして、治療を目指すことに。

今のリハビリ病院だと、じっちゃんが自転車で行ける距離だから、なにかと入院には都合がよさそうだけど。

隣市の大学病院での入院となるかも…
どうなるか?

また来週、てんかんの主治医と、リハビリ病院の整形外科の主治医の受診あり。


履かせるのが難しくて、デイのスタッフさん、学校の先生に履かせ方が浸透しきれず。

中敷カバーを履かせて、バックルを留めたらギュッとベルトを引いて締めなければならないし、親指と人差し指の間にゴムベルトを入れて、マジックテープに留めないといけないのだ…

中敷カバーを履かせた後、靴を履かせるのも一苦労。

出かける前にくたびれ果てる。

さらに、最近、朝方の覚醒、寝かしつけ数セット。
また、朝の行きしぶりが始まりバス乗れず…

年末年始デイが休み〜実家への帰省で、家で長期間過ごしてから、ダダこねまくるようになった気がする…
休みボケ長い…😭

疲れているのに眠れない〜😭😭😭😭

昨年の春ごろに話をいただき、面白くなりそうな仕事の企画を進めていたが、今の状況では進められそうもなく、断ることに。

他の制作の仕事もお待たせしている状況。
気持ちばかり焦る。
既に決まっていた職業訓練の講師だけは何とかこなす。もっと事前に講義の内容を準備できれば良かったなと思う気持ちもあれど、どうにもならなかった。

やはり女性は家庭、家族が一番大切で、何かあれば優先せざるを得ない。







葬儀が終わると、葬儀屋さんがお骨と仮の位牌、そして遺影などを置くための台や、供養をするためのセットを義母宅に持ってきて設置してくれた。



おばあちゃんはショートステイの施設が決まっていて、そこに戻ったのでいない。



空のベッドの脇に供養台が設けられ、一気に広くなった部屋を感じた。



不思議な流れで、私はぽっかりと葬儀の翌日まで4日連続でどこかへ伺う仕事は一つも入っていなかった。



自宅で作業する仕事はいくつか引き受けていたので、仕事先にお詫びして待っていただいた。



義母が亡くなってから、バタバタと、義妹たちと書類の整理などをしながら、お金の流れを把握して行ったけど、同居の義妹さえ知らないことばかり。



義母が一人でおばあちゃんのことや、家のことを管理していて、余命を宣告されても子どもに伝えていなかった。



生きる意志しかなかったのかなと感じた。
もちろん、いよいよ救急車を呼ぶほど身体が悪くなった頃には、伝える余裕もなかったに違いない。



こんなプライベートな金銭のことを嫁に知られたくはないだろうと申し訳なく思いながらも、義妹たちだけに任せる気にはなれず、心の中で謝りながら手伝っていた。



長男を立てる気もあるし、現実的に義妹たちも管理が難しいのもあり、おばあちゃんの施設とのやりとりや、年金の管理、義母のお墓もダンナが受け継ぐことになった。



ただ、仏壇は義弟のところに置いてもらうことになった。



義母はじっちゃんと仲は悪くなかったが、一緒にいるとどうしても喧嘩になってしまうし、もう、30年も前に離婚している。
そんなじっちゃんと末永く一緒にいることになるのは嫌かなと思ったのは、じっちゃんには言っていないが。



ちけがイタズラがひどいので、お仏壇もどうなるかわからないというのもある。
どれだけ気をつけていても、ふと気を抜いた瞬間に壊されてしまうかもしれない。



みんなにはそう伝えて辞退したところ、義弟が、うちに置かせてくれと言ってくれた。



新しい家を建てて、ちょうどお仏壇を置くための場所があったらしい。
奥さんも積極的に置くための提案をしてくれて、じっちゃんも喜んでいた。



うちには遺影とリンと線香立てを、じっちゃんの部屋に置こうという話になった。



じっちゃんの部屋は二階にあって、ちけは上がらない。



お仏壇は義弟夫婦が色々見て回り、きょうだい達に提案して、みんなでこれがいいね、というものを決めていた。



義母らしい、華やかなものになったなと思った。



色々、色々、現実的な手続きや、やらなくてはならないことが押し寄せるけど、どれからどう手をつけていいのか分からず手探りで進めていった。



義母の家も、おばあちゃんもいなくなり、義妹に引き継ぐことも難しいらしく、退去することになり。



そのための整理も進めなくてはならない。



おばあちゃんの施設は、週6日のデイサービスや訪問看護、訪問介護、レンタルベッドから、ショートステイの施設へ週7日で入れることとなり、そこから入所に向けて待つことに。



バタバタと手続きを行い、またしばらくして入所が決まり、また手続きを。



義母とやりとりをして来た担当のケアマネージャーさんが、本当に一生懸命やってくださり、義母の死を悲しみ悔しがりながら、おばあちゃんの世話を満足に出来ない家族の事情を考えて早く入所を決めてくれた。




ショートステイから入所までお世話になる施設は、とても評判が良く、明るくていい環境に思った。



ショートステイが決まるまでお世話になっていたデイサービスの社長も、ショートステイの契約時に立ち会ってくれてお会いすることが出来た。



出来るだけ体を動かしたり、なるべくご飯も柔らかくしすぎないようにしたり、起きている時間を長くしてくれたり、色々とおばあちゃんの体に良いことを実践してくれていたのが分かって感動した。



家で寝たきりになっていた時より、意識がはっきりしてきたのを皆んなが感じていた。



家族だけでなく、こうして頼ることも必要だと思い、ありがたかった。



引き継いでみると、義母が抱えてきたことの多さと重さを感じて切なくなる。



ダンナのきょうだいは6人いて、義母の抱えていたものを分散して引き受けられることも有難い。



義母が重い病気を宣告されたことを知り、気にはなっていたが、何も言わず明るく振る舞う義母に、何か手伝いましょうかと言ってもやんわり大丈夫と言われるだけだった。



嫁の私だけでなく、実の子供たちにも、同じように、大丈夫、大丈夫と言っていたようだ。



もちろん、時には、しんどいとか辛いとかこぼしてはいただろうけど。



6人育て上げるために苦労して、40過ぎてから車の免許を取り、その後、大型トラックの免許を取って、助手席に子どもを乗せて長距離の配送の仕事をしたり、勉強して看護師の免許を取り、夜勤もしたり。



もう定年はとっくに過ぎていたのに、派遣に登録して、看護師を続けていた。
重い病気を抱えながら、治療が一段落したらまた再開して少しずつ働いていた。



亡くなったあと、定期コースで無農薬野菜や、体に良い卵や、人参ジュースなど契約しているのがわかり、何とか直したかったのだと切なく思った。



救急車で搬送された日、スロージューサーと人参一箱持っていって、と、苦しみの中で私たちを気遣ってくれた。



すごい義母だ。



遺影を見て、ふと、もういないんだと思って悲しくなる。



義きょうだい達は、もっと悲しさを感じているだろう。
これからも助け合って行こうと思う。







お棺が閉じられて、男たちがお棺を持って車に乗せる。



車が出るのを見送り、火葬の式場へ各々の車で向かう。



いよいよ、身体が天に還るのか。
しみじみとした気持ちで一連の流れを見ていた。



棺が中に入り、扉が閉まる。
胸が締め付けられた。



お骨になるまで、一時間くらい。
その間の会食。



そんな強制的に取らされる時間が、遺族にとって必要な気がした。



会食が済んで、支払いとか、位牌はどれにするとか、仏壇は、とか、そういった現実的なことをこなすことも、気持ち的に必要なことなのかもと思いながら、きょうだい皆集まって話し合いながら進めていった。



ちけもバギーに乗りながら、代わる代わる面倒を見てもらっていて、大人しく過ごしていた。



お骨は、とても良い形で残っていた。



実父、そして叔父と、立て続けに亡くして、それぞれの葬儀に参列してきたけど、ここまで綺麗に形が残っていた記憶はない。



葬儀で皆が不思議なくらい和気藹々としているのも、お骨が綺麗に残っているのも、何だか義母が穏やかな気持ちで最期を迎えたという証のような気がした。



実父も、叔父も、最期の時まで、もう何年も会わず交流もなかったのに、葬儀の時は何故か悲しくて涙が止まらなかった。



義母の方が頻繁に会っていたし、尊敬していたし、大好きだったから、別れが辛くて悲しいのに、涙は出なかった。



もしかしたら、亡くなった人の悲しみとか、悔しさとか、苦しさのようなものを遺族が感じている、ということも、あるのかもしれない、と思った。



火葬式担当の女性が、お骨を壺に入れ、最後の最後にトレイに残った灰の粉までも、注意深く集めて入れるのを見守る。



何か一緒に入れたものの色が移ったらしいのだけれど、頭の骨がエメラルドグリーンやピンクの宝石のような色に変わっているのをみんなで不思議がった。



葬儀が終わると、卒業式のあとのような雰囲気で、それぞれの土地へと解散した。



九州の義妹も、最期の病院での時間を過ごしたあと、一度帰って、また葬儀前の儀式から葬儀が終わるギリギリの時間までいることが出来た。



さいたまの親戚も同様に。



そして、私も何故かぽっかりと予定が空いていて、全て立ち会うことが出来た。



近くに住んでいるほかの義きょうだいたちも。
子どもたちも、夏休みでなければ、これほど最期の時を一緒に過ごすことは叶わなかっただろう。



うちのダンナだけは、喪主なのに、相変わらず仕事で儀式に遅れたりしていたけれど、彼は義母との不思議な繋がりがあるから、これで良かったんだろうと思った。



続く。











火葬の日の朝、葬儀屋さんに集まって、お棺に花を入れた。



パステルカラーの優しく華やかな色合いの花々に囲まれて、本当に義母は美しく見えた。



ちけも、ちゃらこやえいぼーが花を持たせて、一緒に入れさせてくれた。



寝たきりのおばあちゃんも、車椅子に乗りながら、男たちがお棺の中が見えるところまで持ち上げて、花を一緒に入れることが出来た。



義母の家にいるときは、あまり周りを把握出来なくて、私のことも義妹と間違えて呼んだりしていたおばあちゃんが、しきりと義母の名前を呼んでいて、みんなの涙を誘った。



喪主は、長男であるダンナだけれど、自然と元夫であるじっちゃんが儀式の先頭に立てるよう、みんなが誘導していた。



何かと感情的に取り乱しがちなじっちゃんは、いつも子どもたちから心配されていて、義母の重病が分かった時も、入院した時も、同居の私に、お父さんにどう知らせるか?知らせたか?といつも尋ねてきたくらいだ。



そのじっちゃんも、落ち着き払って、義母への温かな思いの中で儀式を進行していた。



ずっと女手ひとつで育ててくれた母親の死が悲しくないはずがないのに、病院での看取り前の時間が長かったこともあってか、義きょうだいたちも落ち着いて心を込めた儀式を行っていた。



義母が、笑って送って欲しいと思っていて、その思いがみんなに伝わったのかなと思うほど、不思議と一般の葬儀のように泣き崩れる者は一人もいなかった。



もちろん、各々、一人になった時には涙を流していたに違いないけれど。



続く。