株式はギャンブル、もし色々なことが計画して起きているのなら、意図的に起きているのなら、インサイダー情報によるボロ儲けができる。競馬で言う「養分」は一般の投資家がする。


日経平均株価

リーマン・ショック後の最高値が更新されている、とのこと。
2015年2月19日 最高値 18,322.50円
2015年2月19日 終値 18,264.79円


nikkei1970~


1950年 9月7日 - 東京証券取引所が現在の算出方式(修正平均株価)で計算を開始(名称は「東証第1部修正平均株価」、取引所再開時の1949年5月16日までさかのぼって算出)


1日最大の上昇幅
1990年10月2日 +2,676.55円 終値22,898.41円 (+13.24%)
上昇率でも算出開始以来2番目の数値。バブル景気が崩壊しかけていた時期で、前日に2万円を割り込んだ反動と、橋本龍太郎大蔵大臣(当時)の株価対策発表による

1日最大の上昇率
2008年10月14日 +14.15% 終値9,447.57円 (+1,171.14円)
世界的な金融危機が起こっていた時期で、前週に1週間で3000円以上下落していた反動に加え、取引前日に相次いで発表されたG7各国の金融危機回避策が好感されたため。

1日最大の下落幅
1987年10月20日 -3,836.48円 終値21,910.08円 (-14.90%)
ブラックマンデーのため(東証1部銘柄の約49%がストップ安)。・・・下記

1日最大の下落率
1987年10月20日 -14.90% 終値21,910.08円 (-3,836.48円)
ブラックマンデーのため。 ・・・下記

2008年10月16日 9,547.47 8,458.45(▲11.41%)・・・下記
2011年3月15日 9,620.49 8,605.15(▲10.55%)・・・311震災直後
1953年3月5日 378.24 340.41(▲10.00%)
2008年10月10日 9,157.49 8,276.43(▲9.62%)・・・下記

バブル経済崩壊後最安値
2008年10月28日 最安値 6,994.90円
2009年3月10日 終値 7,054.98円

リーマンショック
2008年9月15日に、アメリカ合衆国の投資銀行であるリーマン・ブラザーズが破綻したことに端を発して、続発的に世界的金融危機が発生した事象を総括的によぶ。
2007年のサブプライムローン(サブプライム住宅ローン危機)問題に端を発した米国バブル崩壊を動機に(サブプライムローンという債権をあたかも資本と思い込ませた借金の転売による多重債務)、多分野の資産価格の暴落が起こり、破綻。負債総額、約6000億ドル(約64兆円)という史上最大の倒産により世界連鎖的な金融危機を招いた。同社が発行している社債や投信を保有している企業への影響、取引先への波及と連鎖などの恐れ、及びそれに対する議会政府の対策の遅れからアメリカ経済に対する不安が広がり、世界的な金融危機へと連鎖した。日経平均株価も大暴落を起こし、9月12日の終値は12214円だったが、10月28日には一時は6000円台(6994.90円)まで下落し、1982年10月以来26年ぶりの安値を記録した。日本は長引く不景気からサブプライムローン関連債権などにはあまり手を出していなかったため、金融会社では大和生命保険が倒産したものの直接的な影響は当初は軽微であった。しかし、リーマン・ショックを境に世界的な経済の冷え込みから消費の落ち込み、金融不安で各種通貨から急速なドル安が進み、米国市場への依存が強い輸出産業から大きなダメージが広がり、結果的に日本経済の大幅な景気後退へも繋がっていった

=>だいたい64兆円なんていう負債がそれまで野放しになっていることが気違い沙汰であり、勿論他者の債務も背負って破綻したのは明確でしょう。史上最大の「飛ばし」。



ブラックマンデー(テクニカルインサイダー取引の始まりかも・・グリーンスパンの時代に入る・今日の金利はグリーンスパンのカバンが厚いか薄いかで決まる、など)

1987年10月19日に起こった、史上最大規模の世界的株価大暴落。
1987年10月19日月曜日、ニューヨーク株式市場が過去最大規模の暴落。ダウ30種平均の終値が前週末より508ドルも下がり、この時の下落率22.6%は、世界恐慌の引き金となった1929年の暗黒の木曜日(ブラック・サーズデー、下落率12.8%)を上回った
しかし、このときの証券市場の激震は、その後の金融当局による適切な対応の結果、実体経済へは甚大な被害をもたらすにはいたらなかった。日経平均株価については翌日2037.32円高(9.30%)となっている。これは上昇幅で当時の歴代1位、上昇率で当時の歴代2位の記録である。

アメリカの貿易収支の赤字幅が予想以上に膨らんでいたことや、1985年のプラザ合意以後のドル安打開のためにドルの金利が引き上げられる観測が広がっていたことが要因として挙げられる。

マイロン・ショールズとフィッシャー・ブラックによるブラック-ショールズ方程式のように高度な金融工学の登場とコンピュータの普及とが相まって、オプション市場と先物市場は爆発的な成長を見せた。コンピュータの普及とブラック-ショールズ方程式の登場は大規模な株式ポートフォリオに保険を提供するようになっていた。このポートフォリオ・インシュランスは先物を使ったヘッジ手段である。ポートフォリオの価値が市場を大きく上回っているときには先物売りは少ないが、市場が下落しだすと売りを増やし、損失と先物売りの利益がほぼ同じようになるようにする。従って、市場が下落し始めるとコンピュータが自動的に売り注文を出すようになり、売りが売りを呼ぶ展開となった。

この二ヶ月前、FRB議長職がポール・ボルカーからアラン・グリーンスパンへ引き継がれていたことも市場の不安心理をあおっていたと見られる。

1970年代の世界的なインフレーションと1980年代初めの高金利時代において株式は割安に放置され続けていた。1980年代、インフレ抑制に成功した世界ではディスインフレーションと金融緩和が進行していた。1970年代のインフレーションによって名目の利益水準は相当膨らんでいたため、世界中の割安な株式市場に流動性が流入し活況を呈した。しかし、行き過ぎた活況は金融引き締め観測により終わりを告げた。

この中、金融緩和を続けた日本では、日経平均株価は半年後の1988年4月には下落分を回復。すでに1986年頃に始まっていたバブル景気は更なる膨張を続け、1989年12月29日には史上最高値(38,915.89円)をつけることになる。


以下は「本当の株価、理論的な株価」と言えるのかもしれません。(インサイダーではない)

最長の連騰日数
1960年12月21日 - 1961年1月11日 (14営業日)
日本では岩戸景気の好景気期にあった。

最長の続落日数
1954年4月28日 - 1954年5月18日 (15営業日) 351.67円 - 323.92円 (-7.89%)
日本では朝鮮特需の終結による反動不況が続いていた時期である。

最安値
史上最安値
1950年7月6日 終値 85.25円
ドッジ・ラインの影響。

最高値
史上最高値
1989年12月29日 最高値 38,957.44円
1989年12月29日 終値 38,915.87円
バブル景気による。


アメリカ、ダウ平均株価
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