ぼうごなつこ先生はほんと、おもしろい。
マンガ家というのはず~っと勉強なされるものなのですね。

ぼうごなつこ、マルクスの「資本論」

まずは描いた動機がすばらしい!
僕も全く同意します。

普通に日常で聞かれる会話
「あら、安いじゃない。けっこう高いわね」
「安いわりにはいいわよね。」
「お得ね~。」

この価値感は「お金と交換するという根底があってのこと」ですよね。
というより、物はおろか全ての価値はお金で計れるのみになってきたということです。
窃盗や強盗する人は「かねめの物」を略奪するのも「貨幣至上主義」です。

言い換えて「マックのハンバーガー1万個と交換できる」という価値感とは全く違う。
だってマックのハンバーガーは1万個あってもしょうがない。腐ってしまう。
でも100円硬貨は1万枚持っていても苦にならない。銀行に行けば両替できる。
個人からみて、100万円とマックバーガー1万個は価値が違うという点ですね。

でも日本において「徳」と「得」は違いますけどね!(笑)

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お金は便利、好きな時に、欲しい時にそれと交換できる
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お金の呪いと祝福という感じでしょうか。

例えば肩が凝っているときに、家族や恋人、友人なんかに肩を揉んでもらうとしたら、やっぱり何かお返しをしなきゃと思ったり悪いなーなんて思ったりしますよね。頼みやすい頼みにくいという関係性も関係してきます。

その点、クイックマッサージに行ってお金を払って肩を揉んでもらえば、そんな気づかいはいりません。

ここでは肩を揉むということを例に出しましたが、そういった人の働き=労働の価値をお金に託して交換し合ううちに、本来は労働に価値があるのに、お金の方が主体、お金の方に力があるように見えてきてしまいます。

マルクスは、本来の人と人とのやりとりがお金と物(サービス)の交換に置き換えられ、皆がそのシステムが当たり前だと思うようになることを物象化、そして、人が作り出したお金や商品それ自体に力があり、それを当然だとする考え方を物神崇拝(または物神化)とマルクスは呼んだのだそうです。

一方、資本主義社会下で「ここまでしなくても…」と環境破壊を行っていくことは、「資本の自己増殖」が原因になってきます。


(貨幣はどう発達してきたのか?)
Money as Debtも参考にして下さい。(銀行家からみた貨幣というもの)

昔、お金として流通していたお米や塩は、たとえ交換ができなくても自分たちで食べることができました。まあ、貝殻は微妙ですけど、見て楽しいという使用価値がありました。家畜や布をお金のように交換物としていた地域もありました。交換価値もあるけど、使用価値もちゃんとある状態です。

お金代わりに使われていた物は世界各地でバラバラでしたが、そのうち金・銀に集約されていきます。

なぜ金と銀なのかというと、あらゆる意味からお金としてちょうどよい物質だったからだそうです。
金と銀はお金の他にもアクセサリーとか銀の食器とかいろいろ使い道がありますよね。

金と銀はお金にちょうど良かったものの、たくさんあったりすると家で保管するのも泥棒が心配ですし、持ち歩くのも重くて大変です。というわけで、たくさん金銀を持つお金持ちは貸し金庫に預けることが多くなりました。その預かり証が「紙幣」お札の原型です。

いま私たちが使っている紙幣、その昔は紙幣を銀行に持っていけば、実際に金と交換してくれました。

でも、そのうち市場に出回るお札に実際の金が追いつかなくなって、金と交換できる制度が中止となり、「国がお金を認めるからお金」ということになりました。これが今の紙幣です。

そして、データ上の取引の割合が多くなってきた現在、とうとうお金は交換価値だけで使用価値がゼロの存在になってしまいました。

交換価値があれば・・・BitCoinもそう。店でもらえるサービス券や商品券もそうです。
(通用範囲が限定されるが、交換価値はあるし、使用価値はない)


労働も当然ながら価値であるが、同時に貨幣として計れる
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いま「真面目に働く」と言ってまず連想されるのは、ここでいう労働者としての生き方、つまりどこかで雇ってもらって、ある時間分だけ労働力を売る働き方ですよね。本来、労働というのは自然に働きかけて価値を作ること。もう少し抽象度を下げて言うと、生活に必要なことはもれなく「労働」になるんだと思います。ですので、堅実な生き方イコールどこかにお勤めするというのは今の社会に特有の限定的な価値観なんですよね。

資本論では、資本主義が進んでいくと自営業や中小零細企業はどんどん大資本に駆逐されて行き、少数の大企業と圧倒的多数の労働者という社会になると書かれています。

私としてはのほほんと暮らしていける社会がいいなあ。


「資本論」は共産主義を書いた本ではない!
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たしかに2014年の現在から見ると、資本主義が崩壊して革命によって共産主義社会になってみんな幸せになりました、という流れについては微妙な気がするのですが、ただ、マルクスは共産主義社会が成立するのは資本論執筆当時のイギリスのような、資本主義社会が発達して、知的にも集団行動的にもよく訓練された労働者たちによってであると考えていたので、ソ連や中国のような資本主義社会が行き渡っていない国でそれが起こるとは想定外だったそうです。

また、池上彰さんによると冷戦以前のまだ今ほどに規制緩和されていなかった日本は、政府の規制によって資本主義経済の暴走が抑えられていた、ある意味、社会主義国だったのではないかということです。たしかに、景気の良かった日本は「世界一成功した社会主義国である」と聞いたことがあります。

ちなみに、マンガの中で共産主義と社会主義のどちらの言葉を使おうか迷いました。
ウィキペディアに「マルクスは『資本論』第3部で、「自由の国」(自由の王国とも)と「必然の国」の問題に触れ、共産主義革命の目的を述べている」とあったので、共産主義としましたが、直した方が良さそうでしたら教えてください。

共産主義と社会主義の違いは、共産主義が理想の形で社会主義がその理想に至るまでの過程とか共産主義よりも妥協した感じらしいのですが。