こんにちは、マティです。

今日は、秋学期に受講していた教育学の授業の、最終レポートを流用しつつ、教育の話をしようと思います。


前期は、明治〜戦前の話でしたが、後期は戦後以降の話でした。

受ける前は、戦後の方が興味があったのですが、結局は、前期の方が面白かったなと感じましたね。


評定は、講義に全部出席して、このレポートで100点満点でした(以下の文章は、提出したものに手を入れています。長いので)。


では、早速ですが、いきますね。

 

課題1:高度経済成長期に起きた、高校・大学進学率の上昇の背景にあった要因を4つの視点から1500字以上で述べよ。


【本文】

0.   はじめに

1945年8月,日本はポツダム宣言を受諾し,敗戦を迎えた.多くの国民は戦後しばらくの間,満足できる量の食事にありつくことさえ困難であった.しかし,朝鮮特需などの外部環境の僥倖にも恵まれ,日本は復興を果たした.それだけでなく,1950年代半ば以降の高度経済成長の期間を経て,敗戦からわずか数十年で世界の経済大国の一つに成り果てた.以下では,そのような経済的状況下で起きていた高校・大学進学率の急上昇について,①経済政策,②産業構造,③人口動態,④家族形態の4つの視点から見ていくことにしたい.

 

1.   経済政策

戦後,日本はアメリカの占領下に入った.これに際してGHQは,戦前の軍国的な日本を民主化するよう努めた.その象徴的なものの一つが,炭で黒塗りにされた教科書である.GHQによって,現在の教育政策の大枠となっている,6.3.3.4制などの政策転換が実行されることになった.(中略)

民主主義および資本主義をとっているアメリカの影響を受けつつ,新たな時代に即したさまざまな政策を制定していた日本であったが,1950年代から,世界の政治対立(冷戦)の影響を受けるようになった.(中略)所得格差は拡大したものの,国民全体が豊かになったのは確かである.国による教育費への財政投入が少なく,教育費の親負担主義が普及している日本において,国民の可処分所得が増えたことは,国民の進学率上昇の一助となったであろう.これは同時に,受験戦争の拡大という負の現象を生むことになった.ここでの日本の特質は,急激に増大した大学入学希望者の受け皿を国ではなく私,つまり私立大学が担ったことである.

また同じく1950年代には,教育にまつわる事柄で規制緩和政策が取られることになった.それが,短期大学という制度の事始めである.この短期大学により,高等教育における女子生徒の受け皿ができた.とはいうものの,1960年代中頃になっても,国立大学において女子生徒が多すぎるとの論が現れるなど,まだまだこの時代でも女子の高等教育は白眼視されていた.

以上をまとめると,国は世界の経済大国になれるような経済政策を実行するとともに,規制緩和を通じて高等教育の拡充を行ったのである.


ひとこと:4つの視点は、先生から与えられていた訳ですが、この経済政策という項には、何を書けばいいやら、分からず。イマイチですね。

 

2.   産業構造

まずは,データで日本の産業構造の変化を確認しておこう.厚生労働省の統計によれば,日本の第一次産業(農林漁業)の従業者割合は,1955年は21.0%であった.これが高度経済成長の終わり頃の1970年には10%を切るまでに減少した.一方で,第二次産業(鉱業,建設業,製造業)の割合は,1955年の36.8%から,1970年には46.4%まで上昇し,第三次産業(サービス業,卸売・小売業など)の割合は,1955年の 42.2%から順次増大していくことになる.このような産業構造の高度化とともに,都市化が進展し,また家計所得の向上もみられた.

この産業構造の転換が,家業継承の終焉を促した.これが,教育に非常に大きな影響を与えた.身分制社会を想像すればわかりやすいが,親と同じ仕事をするのであれば,外部の学校に行く必要はなく,親から知識の伝授をしてもらえればそれで十分である.しかしながら,高度経済成長に伴って,一部の仕事がなくなり,また新たな仕事が誕生するにつけ,学校・学歴の必要性があらゆる階級で増大したのである.皆なるべく「よい」職を得たいがゆえに,個人の能力を示す指標になる「学歴」という看板を追い求めるようになったのだ.

このようなイメージを,石田&三輪(2009)のデータで実証的に確認しておこう.社会学の階層移動研究から「全体移動率」の数値の変化を見てみる.この全体移動率は,対象者の父親の階層を出身階層,対象者の調査時点での階層を到着階層として,その移動具合を表すものである.日本においては,1955年に48.1%であったのが,高度経済成長を経た1965年には62.6%に急増した.つまり人々は,高度経済成長期以降,(親の仕事を継ぐのではなく)自らの手で職をつかみ取らざるを得なくなったのである.その際に使える道具の一つが,学歴であった.またこの根底には,親よりも上級の学校に行ければ,親よりよい暮らしができるというイメージがあったわけであるが,高度経済成長によって,このことが予定調和的に成立したのは,この時代の人々にとってとりわけ幸運なことであった.


ひとこと:最後の方の、階層移動の話は、東大の卒論のテーマに近いので、思いつきやすく、また書きやすかったですね。

 

3.   人口動態

戦後の日本社会における人口動態で最も重要なポイントの一つは,なんといっても第一次ベビーブーム世代,つまり団塊の世代(1947~1949年生まれ)の人口の多さである.この3年間に生まれた子どもの数は,政府の統計によると,出生時で約806万人に上る.70年後の2017~2019年生まれのそれが約273万人であるから,その数は今の約3倍にもなる.そんな彼らが高校生・大学生になったのが,ちょうど高度経済成長の頃である.一般に好景気であれば,いわゆる売り手市場になり,仕事を見つけやすい.しかしながら,職が生まれるより速いペースで,流入してくる労働者が増えることになれば,職にありつけない人が出てくる.そうなれば,他者より優れていることを企業にアピールする必要が出てこよう.そんな際に使えるものが,学歴というのは今も昔もそう変わらないことである.人とは違う武器の一つが学歴であり,また時代を経れば,それが標準装備だとみなされるようになるのだ.

 

4.   家族形態

1.で述べた経済情勢を背景にして,日本において新中間層が普及することになった.そして,都市部の彼らを模範にして,「教育する家族」があらゆる階層に汎化することになった(広田 1999).この教育家族は,近代家族の一形態である.(中略)この近代家族を背景にして,教育の責任を担うとされた母親が,子どもの学力・進学に強い関心をもつことになった.つまり,本人だけでなく周りの家族たちまでもが,高学歴を求めるようになったのである.

 

5.   まとめ

以上をまとめよう.高度経済成長の頃に高校・大学の進学率が上昇した原因には,4つのポイントがある.①国が高等教育の拡充を図ったこと.②経済の進展に伴って,世代間で階層移動が起き,人々が学歴という看板を欲するようになったこと.③大勢居る同世代との競争に勝つために,あるいはスタートラインに立つために学歴が求められたこと.④周りの家族もそれを望んだことの4つである.このような外部の作用を背景にして,学生たちは学歴社会に身を投じることになったのである.

 

総字数:3044字

 

というわけで、全体で要求量の2倍くらいになりました。

全般、課題1は、あまり上手く書けなかったなという感じです。

 

ほぼ同じ分量課題2がありますが、ブログを分けずにいきますね。

 


課題2:日本の高等教育の構造的特徴について、2つの観点から述べよ。また、それを踏まえて、問題点を指摘せよ。1500字以上。


【本文】

0.   はじめに

ここでは,日本の高等教育の構造的特徴について,歴史を振り返りつつ(タテ方向),諸外国との比較を行うことにしたい(ヨコ方向).また,それを踏まえて,日本の高等教育の問題点及び未来のあるべき姿を考えてみたい.

 

1.   明治以降の歴史的経緯

人々が,学校という制度を当たり前のものとして利用し始めたのは,それほど前のことではない.1886年の小学校令以来,学校へ通うことが国民にだんだんと受け入れられていったのだ.ここでの小学校は,天皇制国家を支える「忠良な臣民」を育成する場という側面が強く,現在の民主的なイメージとは異なる.一方で,エリート教育としては,帝国大学が設置されることになった.昔ということで,ともすれば牧歌的な光景を想像しがちであるが,明治の末期の頃から,学歴社会の原型は見られた.特に,高学歴を目指す競争は活発であった.時代が少し下り,大正時代になると,子どもの自主性を重んじ,個性(学力・能力差)に応じた教育が求められるようになった.この個性尊重という方向性は,現在も息づいている.これは,皆が学校に通うようになり,生徒の質の差が生まれたことが原因である.

戦後には,教育と国家との密接な関係は多少和らぐことになった.しかし,1947年には国から学習指導要領が発表され,公教育はこれに影響されるようになる.これにより,経験主義的な指導がなされたのだが,時を経て,このような経験主義教育が学力低下を招くと批判されるようになった.そして1958年には,学習指導要領が法的拘束力を有するようになり,国がますます国民の教育に関わるようになっていく.(中略)

そんな状況下で,1950年代半ば以降,教育というフィールド上で「人づくり」というコンセプトが流布していくことになり,1960,70年代には,教育における能力主義をめぐっての論争が生じた.そして1970年代後半からは順次,今となっては悪名高いゆとり教育が実施されることになったが,2000年代前半にはこれによって学力低下が起きているとされ,2010年代から今に至るまで,脱ゆとり政策が実行されることになった.

概して,日本の教育は民主的になったし、都道府県間の格差も小さくなった。しかしながら、理想的なものからは程遠いのが現状であるし(問題点については、3.で触れる)、今後も教育をめぐるコンフリクトは続いていくであろう。

 

ひとこと:ゆとり教育と聞くと、ザワっとするんですよね。Hさんが書いた、ゆとり教育のエッセイが、思い出されて。


2.   諸外国との比較

日本の大学を外国,特に欧米のそれと比較しようとすれば,その一つの指標として世界大学ランキングが使えるだろう.そして,そこでの日本の大学の低調ぶりについては,暫く前からよくメディアなどで喧伝されているとおりだ.

しかしながら,ここで考えたいのは,根本的に日本の大学と欧米の大学を比較することにどれほどの正当性があるのかということである.例えば,日本で専門大学と四年制大学を同列に比べて論じている人がいれば,それはおかしいのではと言いたくなる.なにがいいたいかといえば,日本の大学と,特に西欧のユニバーシティは,本当に同じものであろうかということである.(中略)勿論,私たち日本人はUniversityを大学と翻訳している.しかし,西欧由来のユニバーシティは,教師と学生の協同組合として誕生し,その前提には,ボーダーレスなキリスト教世界のネットワークが存在していた.このような「自由の結界」としての大学とは対極的に,日本の「大学」は,世俗権力に奉仕するエリートを養成するためにこそ設置されていたのである.日本の大学は,教師と学生の協同組合ではないのだ.そのような制度上の違いをもつにも関わらず,日本は近代化に遅れた国として,西欧各国から各国の優れた制度モデルを取り入れていった.これは一見、後発国としての優れた戦略のようにも感じられるが,その副作用として,外見と中身にズレが生まれてしまっている.そして,それは現在も解消されていない.だからこそ,そのような矛盾を解消せずに小手先だけの改革を行っても意味はないと吉見は看破する.

どこの国のどんな制度であれ,問題がないわけはない.だからこそ,どこでもいつでも,種々の改革が試みられる.教育というフィールドでは,量・質・財政の三つの危機がある.これに対する公と私の分業においても,国によって違いがみられる.日本は,国立大学に対して優先に財政投入することで質を担保し,量は私学にお任せというスタイルを取ってきた.一方で,ヨーロッパの多くの国では,質・量ともに大規模な公的財政投入を行っている.他方,アメリカは,日本とは反対に公的財政で量を確保し,私立大学で質を担保しようとしている.教育における公と私の位置づけは,万国共通というわけではないのだ.

 

3.   教育の問題点と未来

以下では,まず教育制度の問題点を3つ指摘することにしたい.まず,一つ目が教育制度の評価の難しさである.今は失敗だったとみなされることも多い,ゆとり教育.これは,実施直後のPISAの成績が悪化していたことから,この制度に対する異論が噴出することになった.いわゆる2004年のPISAショック(実施自体は2003年)がその一つである.しかも,この頃の調査では,日本の子どもたちの学力低下だけではなく,学習意欲の低さも明らかになった.これにより,国は脱ゆとりへ大きく急転回することになったのだが,PISAのその後の成績(2009年および2012年、いずれも脱ゆとり教育の実施前)を見ると,ゆとり教育と学力の低下に相関関係があることさえ怪しくなったように思われる.このこと自体は,仕方のないことであろう.むしろ,サンクコストに気を取られて,必要なときに政策の方向転換ができないことの方が問題である.しかしながら,だからといって,遡行的な政策評価をしなくていいということにはならない.教育だけに留まらないが,あらゆる政策は振り返って良かった点・改めるべき点を洗い出す必要がある.それを踏まえてこそ,新たにより良い政策が作れるというものだ.その瞬間のお祭り騒ぎに興じるだけでなく,祭り後の振り返りが欠かせないのである.

教育制度の問題点の2つめが,不平等の問題である.1960年代の学歴主義において,学歴取得以前の不平等に対する差別が問題視された.しかしながら1980年代以降は,ネオリベ的な見方が日本中に広がり,現在の教育に蔓延る不平等は見逃されがちである.確かに,上述したような都道府県間の高校進学率の如実な格差などはみられなくなった.しかし,その前段階にあたる学習塾などにお金を使えるか,という差は未だに厳然と存在するし,むしろ今の方が厳しいかもしれない.(中略)日本では,試験時間中の平等ばかり重視されるが,その前段階の差を生徒たちの自己責任と帰するのであれば,「親がチャ」という言葉がますます説得力をもつことになってしまう.セーフティーネットをしっかり整備しなければならないだろう.

3つめが教育改革の問題である.数年前にも,大学入試改革が行われたが,すったもんだの末,変わったようであまり変わっていないというのが現状である.このような「改革」を日本は,ずっと繰り返してきた.しかしながら,教育改革における問題は本当に入試なのだろうか.むしろ,大学入学後の教育の中身を考える必要があるのではないか.日本では,大学の専門知識や学業成績は,将来のキャリアに無関係といわれることも多い.つまり,国民が学校の育成機能に期待していないのである.つまり,日本の教育改革の一番の問題は,大学の役割をきちんと定められていないことにあるのではないだろうか.

さて,以上の問題点を踏まえつつ,教育の未来について考えることで,本稿を終わりにしたい.日本の人口動態を鑑みれば,18歳人口が減っていくのは確実である.その他の統計などを利用した未来予測と比しても,人口統計は確度が格段に高いので,これは今後必ず起きることである.そうなれば,学生を集められなくなった多くの大学が経営の危機に陥ることになろう.むろん,大学進学率が急速に上昇することになれば,その限りではないが,そのような展開はまず起こらないだろう.しかし,ここで別の解決策がある.それは,より幅の広い年齢層からの受験生を受け入れるという方向性である.戦後日本の大学の特徴であった18歳主義から脱して,リカレント教育の充実を図るという方策である.このことは,科学技術の発展,また寿命の増大によって「学び直し」が必要とされる時代の流れと合ったものである.

能力というものは,案外曖昧なものである.私たちは,ともすれば東大に行ける学力などを能力と捉えがちであるが,東京大学自体がここ200年ほどのものに過ぎないし,国が変われば,入試で問われるスキルも変わる.私たちは,改めて教育において何が大事なのか,

Top downにすべきかBottom upにすべきかなどを考えなければならない.現代に生きる日本人はほぼ全員が,学校教育を受けてきたがゆえに,それぞれが持論をもっている.しかしながら,その経験は殆どがn=1のデータに過ぎない.自分の経験に拘泥することなく,社会にとって何が大切なのか,社会として学生たちにどのような教育を施すべきなのか,それを皆が考えなければ,日本の将来の発展はないだろう.もちろん,私たちが理想だと思う働きかけをしたとしても,教育のもつ不確実性が,見えない明日を招くことになるのだろうが.

 

総字数:4249字

こちらは、私としてはそこそこ書けたかなという感じです。


これまでのブログでは、敢えて参考文献は省いてきたわけですが、まあ大学生への参考にということで、載せておきます。

 

【参考文献】

石田浩, & 三輪哲. (2009). 階層移動から見た日本社会 長期的趨勢と国際比較. 社会学評論59(4), 648-662.

おおたとしまさ. (2023). ルポ 無料塾 「教育格差」議論の死角. 集英社新書

広田照幸. (1999). 日本人のしつけは衰退したか--「教育する家族」のゆくえ. 講談社現代新書, 112.

山田浩之. (1994). 戦後の経済成長・都市化と国土政策. 土木学会論文集, (494), 1-12.

吉見俊哉. (2020). 大学という理念 絶望のその先へ. 東京大学出版会

政府統計の総合窓口(e-Stat). 人口動態調査 人口動態統計 確定数 出生

文部省. (1959). わが国の教育水準 1958年高等学校進学率

厚生労働省. 産業社会の変化と勤労者生活, 85-86


前のブログで書いたとおり、この頃(テスト期間)体調を崩していて、満足いく下準備ができなかったのですが、別に参考文献が多いのが偉いわけでもないですし、この程度の本文の分量なら、こんなものかなという気もします。


このレポートは、そういえば、Chat GPTになにもしてもらってないですね。

idea出しくらいしてもらっても、よかったかな。。



今回は、こんなところです。

結局、レポートを流用してるだけの割に、結構時間かかっちゃいましたね。


次回は、この春休み期間中に受けていた集中講義の感想と、学んだことを書き記そうと思います。

よろしければ、またご覧ください。