平氏との死闘の末1192年に鎌倉幕府を開いた源頼朝は、1198年に落馬し、体調を崩して1199年に死亡しました。
※教科書にも載っているこの絵は実は頼朝ではなく、足利尊氏の弟、直義のものという説があります。
この死因については諸説あり、脳卒中または落馬の傷から破傷風にかかり亡くなったというのが一般的に良く語られているのですが、気になるところでは水を飲んで死亡したという説があります。
※甲斐善光寺にある頼朝といわれているこの像は、妻である北条政子が作らせたものだそうです。
この説によると落馬は脳溢血発作によるもので、一旦は回復したものの、療養中に水を誤嚥した事を原因とした誤嚥性肺炎で亡くなったと考えられています。
誤嚥性肺炎とは虫歯菌や歯周病菌が水分と共に誤って肺に入ってしまうことで、肺が炎症を起こし、もともと抵抗力を失っている身体が耐えきれずに死に至ってしまうことのある、現在でも高齢者がかかりやすい肺炎です。
生涯を通じて権力抗争に明け暮れ、一族でさえも容赦なく切り捨てる苛烈な政治を行ってきた頼朝はおそらくストレスから、軽からぬ虫歯や歯周病を抱えていたでしょう。
想い半ばでこの世を去ることになってしましました。そして頼朝の死後2代で源氏の嫡流は途絶えてしまうのです。