12・13日、平和をねがう中央区民の戦争展が行われました。

 

この取り組みの始まりは、2000年9月「平和のためのパネル展」。

翌年の2001年9月11日にニューヨーク同時多発テロが起き、その後アフガンへの報復戦争、イラク戦争、自衛隊の海外派遣・・・「戦争は過去のものではない」と実感し、より深く考えていく機会として、実行委員会で企画を考え、毎年行われてきました。

 

   

平和プラザ2017 日本国憲法、日中全面戦争の記録などの展示

 

13日に行われた、東京大学大学院教授 石田勇治さんの講演は「なぜ民主憲法を持っていたドイツにヒトラー独裁政権が誕生したのか?抜け穴は『緊急事態条項』」。

 

2013年に麻生太郎副総裁が「ドイツは、ヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、出てきた」「ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。・・・あの手口学んだらどうかね」と発言し問題になりましたが、石田氏は「議会で多数をとって出てきた」というのも事実と違うとして、当時のドイツ議会の状況、ヒトラーはどのように首相になったか、発足時のヒトラー政権はどんな政権だったのかについて、くわしくお話されました。

 

講演のまとめとして

緊急事態条項は、ワイマール共和国末期からヒトラー独裁成立期にかけて濫用され、

①議会制民主主義を空洞化し、

②ヒトラー政権の誕生を可能にしただけでなく、

③首相となったヒトラーが強固な独裁体制を樹立する上で不可欠の法的手段となった

―ということです。

 

→(詳しくは「ナチスの『手口』と緊急事態条項」長谷部恭男氏との共著、集英社新書、近刊)

 

   

講演する石田教授          会場からの質問に答えて

 

 

歴史の教訓から、過ちを繰り返させないために、これからもこうした機会を通して学び合い、政権の危険な動きを許さない声と運動を広げていきたいと思います。