ここしばらく、阿寒湖のマリモに関する報道が続いています。「直径15cm以上のものが6,000個増えており、1980年代に行われた下水道整備の効果で光環境が改善したため」との説明がなされていますが、長くマリモの保護研究に携わってきた者として看過できない誤りを含んでおり、マリモの科学的な理解および普及啓発に逆行すると考えられたため、本ブログで指摘・解説することといたしました。
一番下にリスト化した記事では、「直径15cm超のマリモの推定個数は前回(1997年)が105,000個(マリモ保護管理計画 p.57)で、今回(2019年)は111,000個と推定されたので6,000個増えた」という内容になっています。
マリモの採取に通常用いる円筒形の枠は面積が50cm×50cm、もしくは25cm×25cmに相当し、これで周辺20m×20mの範囲のマリモ集団を代表させるので、当然、誤差が出ます。この調査を数十か所で行うので、調査区にもよりますが、たいていは数割の誤差を含む予測値が導かれます(ベルトトランセクト調査の結果を基にして推計を行いますが、詳細は省きます)。
今回、同じような方法で調査しているのであれば、誤差は大きく違わないと予想されます。つまり、比較しようとする年の違うデータがそれぞれ誤差を含んでいるわけで、これらを比較する場合は、両者の誤差を加味する必要があります。
さて、先の6,000個は全体の5%に相当します。私は今回の調査データを持ち合わせていないので、数値を示して断言することはできませんが、上述したように誤差範囲の方がはるかに大きいので、この範囲内に含まれると見て差し支えないと思います。従って、今回の結果から増えたか減ったかを判断することはできません。
また、光環境が改善してマリモが増えたとの主張ですが、一般に、光強度が上がるとマリモの最大直径は大きくなります(メカニズムに関する説明は長くなるので省きます)。しかし、個数を変動させる要因としては、光条件よりも、台風などによる打ち上げ、すなわち減耗が大きく作用します。
阿寒湖のチュウルイ湾では、マリモが成長して直径を増大させると、波浪によって湖岸に打ち上げられるか、浅瀬で壊れてバラバラになります(マリモ保護管理計画 p.28, 50, 67)。従って、このイベントの直後に、大きなマリモは一過的に数を減らします。影響を受けるマリモの大きさや量は、波浪の大きさや向き、持続時間によります。壊れて生じた小さなマリモは、また数年かけて大きくなり、ふたたび打ち上げられるというサイクルを繰り返します。
今回の2019年に行われた調査では、2016年の強烈な台風7号で大きめのマリモが一掃されてしまったので、残った小さいマリモが大きく育っている過程を見ていることになります。マリモは年に2~4cm大きくなるので、最初10cmだったものは3年で16~22cmになる計算です。25cmを超える大物がたくさん見られるようになるのは、まだ2~3年先(2021~22年)になります。
記事の中で「15cm以上」と線引きしたのは、おそらく15~20cmのマリモが多く採取されたからで、「20cm以上」で線引きしたら、1997年よりも数が少なく出たであろうと予測します。また、同じ理由で、1年前の2018年に調査を実施したら、15cm超のマリモはずっと数が少なかったはずです。すなわち、単年だけを切り取って、大きさ別に多い少ないを議論してもあまり意味はありません。重要なのは、上述した崩壊と再生のサイクルがきちんと回っており、成長の最後のステージで、阿寒湖でしか見られない30cm級の大物が出現してくることなのです。
最後は公共下水道について。阿寒湖では20世紀の後半に富栄養化が深刻化して、1980年代の半ばから下水道の利用が始まりました。汚水の供給を止めても、湖内に蓄えられた栄養物質はすぐになくなりません。湖に流れ込む河川水によって少しずつ希釈されて行くことになります。
それまで蔓延していた植物プランクトンが過増殖するアオコが軽減され始めたのは1990年代の後半で、2000年前後には30cm級の巨大なマリモが現れるようになりました。上述したように光条件はマリモの大きさに影響するため、湖水浄化の効果と考えられました(マリモ保護管理計画 p.74)。
湖水浄化はこれ以降も進行し、2010年ころには透明度が20世紀初頭のレベルまで回復しました。しかし、その結果、光の届きにくかった深所で水草が増えるようになり、そのことが逆にマリモの生育を脅かすとして問題になっています。近年の調査で、水草が増えすぎるとマリモ群生域の波動が緩和され、球状マリモが回転できなくなって壊れてしまうメカニズムが明らかになっています。
以上のことから、15cmを超える大きさのマリモの出現が、湖水浄化の効果であると推論する根拠はないと思われます。
マリモの生態には他には見られない独自なものが多く、今回のように、一見しただけでは妥当性を判断するのが難しい場合が少なくありません。だからこそ、研究者はエビデンスをきちんと提示し、批判や疑問に応えて行くことが大切です。
一方で、新聞などのメデイアは独自の判断基準を持って記事となる情報を選択し、また記事として仕上げ、発信する過程で、信憑性の真偽を吟味・検討しているはずです。今回のマリモ関連報道が、果たしてこうした手続きを経たものなのか、今一度、問いかけたいと思います。
直径34cmの巨大マリモ(2002年9月).
【産経新聞,2020年3月13日】
大型マリモ、6千個増加 北海道阿寒湖22年ぶり調査
https://www.sankei.com/life/news/200313/lif2003130106-n1.html
【日本経済新聞,2020年3月14日】
大型マリモ、6千個増加 北海道阿寒湖で22年ぶり調査
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56793950U0A310C2CR0000/
【毎日新聞,2020年3月17日】
大型マリモ、6000個増加 阿寒湖22年ぶり調査 80年代、下水道整備で水質改善 /北海道
https://mainichi.jp/articles/20200317/ddl/k01/040/050000c
【MHK,2020年3月22日】
阿寒湖のマリモ 水草増で重さ減
https://www.nhk.or.jp/sapporo-news/20200322/7000019353.html
※3月22日にリリースされたNHKのTVニュースでは、「直径15センチ以上の『大型』が11万1000個と前回より6000個増えた一方で、5センチ未満の『小型』は前回の2割余りにあたる9900万個と大幅に減り、全体の重さは131点6トンと前回より12トン率にして8%余り減った」、「その原因はマリモの生育を妨げる水草が10年ほど前から急増しているため」とのこと。それまでの報道で強調されていた「下水道の効果」が鳴りをひそめ、「水草の効果」が取り上げられていますが、ならばなぜ「大型だけが増えた」のか、これでは説明になっていないと思います。
《後記》
・本ブログの著者である若菜は、1997年調査の総責任者を務めましたが、2019年調査については、現場作業について助言しただけで、調査そのものには関与しておりません。
3月20日: 内容を詳しい解説に改めました。
3月20日: 日本経済新聞の記事を加えました。
3月21日: 内容の一部を修正いたしました。
3月21日: テーマの分類を「新聞・テレビ報道-2020」から「解説やエッセー」に変更しました。
3月23日: NHKの記事を加え、コメントしました。
