こんにちは

まーにゃですニコ

今日は「武家茶道」と「おもてなし」について。


こちらは以前に書いたお茶の記事です🌱


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徳川政権は武家による軍事政権でありながら、

戦争をほとんど経験してきません。

それは、交際儀礼に心を砕いたことも

影響していると言われています。


大名だけでなく、下級武士にいたるまで、

武士の交際費が占める割合は高かったそうで、


衣食住の費用を削ることはあっても、

交際費だけは削減することはなかったそうです。


それくらい茶道は武士の名誉にも繋がっていて

交際儀礼を養う教養の一つとして

必須だったようです。


そして茶道の精神のひとつが「もてなし」で、

もてなし」の精神こそが、

戦争がほとんどない平和の時代を築くことに、

大きな影響があったとも言われています。




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わび茶


わび茶を大成させ、

芸術的な領域にまで導いたのが、

安土桃山時代に活躍した、

千利休ですね。


遊興的な要素を削り、

精神的な要素を重視しました。


自らがデザインした「楽茶碗」、

広さが4畳半以下の小間の茶室、

竹を削った簡素な道具などなど、

今も続くわび茶の要素を確立しましたね。


武家茶道

江戸時代になると、

武士のたしなみとして、

大名家それぞれの流儀が発展して、

わび茶とはだいぶ様子が変わります。


利休のわび茶は、

小さな茶室で質素な道具を用いて

おこなわれていましたが、


武家茶道は、

将軍はじめ武士たちへのおもてなしとして、

広間の茶室に意匠を凝らし、

比較的豪華な道具が用いられるようになります。


利休は茶室に身分の上下を持ち込みませんでしたが、

武家社会の厳格な主従関係を壊さないよう、

身分の違いに応じて、

接遇を区別する作法を取り入れたそうで、

これは「分相応の茶」といわれ、

帯刀も許されるようになりました。


歌川国貞/「伽羅先代萩」「帯刀宗重」


武家茶道の流派の石州流では、

正座の際、

ひざの上で軽く握りこぶしをつくり、

その中に親指を隠すように入れます。

これは武士として、

大切な親指を守るための作法だそうで、

親指を失うと、

刀を握ることができなくなってしまうからです。


またお辞儀をする時も

頭を深々とは下げず、

浅い角度で頭を下げます。

いついかなるときも気を抜かず、

周囲の気配に注意を払うためとのこと。


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疲れた心を癒やすため、

人格を養うため、

豪華で美しい茶道具で自身の権勢を見せつけるため、

などなど、さまざまな理由がありましたが、

茶道は教養、豊かさ、格式などの象徴にもなり、

茶道に秀でているかどうかが、

武士としての評価につながるようになりました。


茶道は武士たちの「必須の教養」となっていったのです



武士としての礼儀、禅に通じる精神的な教えなど、

茶道は徳川幕府が統治する武家社会に、

欠かせない規範となっていきました


武家茶道のおもてなしの心は、

現代日本にも受け継がれていてますね。


「茶道」というものが、

このような形で浸透していなければ、

歴史も変わっていたかもしれませんね💫


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