女の一生
私の部屋に母がやって来て、小さな段ボール箱に目を止めると、
「何それ?」と興味を示した。
「昔の写真の整理をしていたの」と答えると、
「若い頃は、そりゃみんな綺麗でいいものよ」と、言ってきた。 しかし、母のその答えは私にとっては些か、的外れで、
「私は昔より、今の方が好きだけど」と、また答えた。
母「顔の事?」
私「全部だよ。何もかも今のほうがいい」
母「やっぱり、高校違うところのほうが良かったの?」
私「私に合わなかっただけだよ。何が悪い訳でもないよ。もう、昔の事だし」
と、言って会話を打ち切った。母は私の意思を尊重せずに、私の事を地元の伝統深い女子高に入学させた事を少なからず、負い目に感じているのだ。
正直、私はその高校に少しも興味がなかったし、他に行きたい高校もあった。でも、そこに入学さえしてしまえば、両親も喜ぶし、私にとっても、そこそこの勉強さえしていれば入試に苦労のない高校だったので、その女子高生へ入学した。
でも、不思議な事に、表向きは誰とでも仲良くなれて、どんな環境でも上手くやる事が何より得意なわたしが、クラスの誰とも馴染めず、教師たちとも何かと衝突する事が、多かった3年間だった。(かと言って、誰かさんの歌の歌詞の様に校舎の窓ガラス割ったり、盗んだバイクで走り出すような、お茶目さんでもなかったけどねっ)
ホント、水が合わなかっただけ。後にも先にも、あんな経験ないもの。
友達も出来ないと言うより仲良くなりたいと、思う子が、全然いなかったの。どっちかと言うと、ご免こうむりたいキャラばっか。
逆を言えば、私が浮いてたんだろうね。
だからって、少しも母があの女子高さえ、ゴリ押ししなければ、なんて思ってないのにな。
家庭内の不協和音を避けたかった私の15歳なりの未熟な判断が招いた結果。
「誰が選んでくれたのでもない、自分で選んで歩き出した道ですもの」
名女優、杉村春子さんの舞台『女の一生』の劇中のあまりにも有名な台詞ですが、本当にその通りです。
私のグレーの雲がかかった高校3年間も、自分が大好きな今も。自分で選んで歩んできた結果だから。
これからも、自分の信じる道を歩みまりや
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