ゆるしてこそゆるされ… | Renge☘️下大静脈平滑筋肉腫

Renge☘️下大静脈平滑筋肉腫

2018年5月下大静脈平滑筋肉腫を地元病院で切除。6月K病院の肉腫科と医療連携。2020年3月再発。下大静脈を人工血管、肉腫と右の腎臓と副腎摘出。10月O大呼吸器外科で肺転移切除。12月睡眠時無呼吸症候群。2023年子宮内膜異形増殖症。5月右肺転移手術。2024年5月左肺転移切除

この年齢で思いがけず悪性腫瘍の病気になったことで、
目を背けたり、後回しにしていた「ゆるし」が突然、目の前に突きつけられた。

病気なったから、ゆるせるのかもしれない…と
自分の心に期待し、大丈夫かも…と思った時期があったけど、
手術し、退院し、体力が回復し、元気になると同時に、
「あ…やっぱりゆるせないかもしれない…やっぱりだめか…」
と自分の器の小ささと頑なさに驚いた。

内容を聞いた殆どの人が
「それは……自分は絶対無理…」
ということだけど、
かみさまは私にチャレンジやチャンスを与えておられるのかな…と思ったりもする。

ゆるせますか?

と。

何かを、誰かを、

ゆるせないまま旅立つこと、看取られること、

ゆるされないまま旅立つこと、看取られること、

ゆるせないまま旅立たせること、看取ること、

ゆるされないまま旅立たせること、看取ること、

どれもそんなに簡単なことではないだろうし、
本当に…本当に難しい事のように思う。

思い込みかもしれないし、
考え過ぎかもしれないけど、
私自身は相手にゆるされないまま旅立たせた経験がある…と感じている。
その人に関わった多くの人がそう感じているのだけど、
その様な旅立たせ方は、遺された人々に深い傷と自責と悲しみと苦悩を残す。

そんな経験をしたからこそ、余計に…私は最期の最期はゆるさないといけないのだろうな…と感じている。

私もこれまでの人生、迷惑をかけて生きて来た。
腫瘍が見つかった今年3月から今日までの数ヶ月間だけでも、
家族や子どもや医療従事者の方々や周囲の方に心配や迷惑をかけて来た。
私だって日々ゆるされて生きている。

ゆるしてこそゆるされ…

私もいつか、ゆるせない事をゆるせる日が来るのだろうか…
最期の最期の、心身共に一番苦しい時には、きっと…
大丈夫だと思う。

今はそれが出来ない弱い人間だからこそ、
いつかゆるせる自分になれます様に…と小さな心に願って行ってみようかな…と思った。

以前までは、絶対にゆるせないし、ゆるしたくなかったから…
ゆるせることを願ってみようと思うことは、小さな一歩。
病気のおかげ…なのかな…


[追記]やっぱり、厳しい…そんな簡単なものではなく…無理です…🙇‍♂️💦💦




そして、今日は午前中、大切な用事を済ませ、
午後は、お盆のお参りの人を迎えながら、
子ども達は夏休みの宿題のお絵描きをしていました。


「疲れた!休憩」と何度か言いながら、休み休み、時間をかけて仕上げていました。


夏休みも後半、あっという間に新学期、
宿題や絵描きや作文は、早め早めにやっておかないと(やらせておかないと)、
登校日直前で、「やってない!終わってない!」と焦り、青ざめます💦

とりあえずお絵描きは、今日仕上げてくれて良かったです。


今日は終戦記念日…
約73年以上、ゆるせない気持ち、受け入れ難い気持ちで苦悩されている方々が影ながら多いのではないでしょうか…
その方々の想い、計り知れません。
日々の癒しと助けと支えを…どうかお願いします。










(夜の出来事)
私以外の人達の行いで、私が叱責されて、
「この10年間、あなたは何をやってたの?
(あなたのやって来たことは、何の実にもなってないよ。無意味だったよ」)
みたいに言われたから、

「だからこの10年間の歩みの結果として、病気になったでしょう?
そんなに長生きしないから」
と売り言葉に買い言葉で返事した。

これまでの人生、ショッキングな事がいつくかあり、
病気になる前から「もう無理」と生きることが苦しいことがあった。
ここ2〜3年も特に酷く、今、振り返ると、色々とピークの時に病気が発覚したかもしれない。

自分が体験したいくつかのショッキングな事が耐え難くて、同じ様な経験をして命を絶った人達もいる。
でも私は生き続けて来たし、その様な経験をしても生きている人は山程いる。
殆どの人が口に出さずに耐えて生き続けている。
それでもやっぱり弱い自分は、時々生き続けるのがきつくなる。

病気になって初めて、生きたいと思えたし、生きることに執着する自分に出会えた。
生きないといけない…と思えた。
この気持ち、継続させたい…

けど、時々本当に何もかもがどうでも良くなる。
全ての全てから解放されたくなる。
何故、いつまでもそれが許されないのか?
どうして許される人と許されない人がいるのか?

あと何年、生きるのだろう…
闘病生活など、まだ何も始まってないけど、
これから先、何があっても、どんなに痛くても苦しくても、
周囲から色々と言われても、孤独感を感じても、
誰も知らない誰にも話せない訳の分からない病気であっても、
ずっと「生」に執着し続け、生き続けることが出来るのだろうか…

時々、こんな事を思っていて、ごめんなさい。
本音は誰にも話せないから、一人で心の中で思わないとダメなんでしょうね。

明日も自分なりにがんばります。
疲れました。



今年5月の手術前後の4月〜7月、体力作りの為に一人でよく歩きに来ていた公園へ、久し振りに子ども達を連れて来た。
鳥とセミの鳴き声と、風と木々のざわめきとせせらぎの音しかしない大好きな公園…。
手術前後の4月〜7月に歩いていた頃は、
「ただ生きたい、まだ生きていたい」
という一心で黙々と歩き続けていた。

「この木々が赤や黄色やオレンジに色付く秋まで生きるぞ〜」
と、不安や心配を覆う前向きな気持ちで一杯だった。

その頃を思い出し、
「もう少し涼しくなったら、また体力作りの為にここへ来よう」
「昨年の様に、この公園全体を覆い尽くす紅葉がまた見たい」
と前向きな気持ちが戻ってきた。

良かった…。
ありがとう、自然や生き物たち。
ありがとう、影ながら見守ってくれている人達。
感謝を忘れずに8月後半を過ごそう…。







早く患者会に行きたいなぁ…早く…充電しないと電池切れる…(なんてね…)
早くみなさんに会いたいな。
それぞれが弱さや悩みを打ち明け、分かち合い…
あたたかくて優しい時間と空間、大好き。
頼んで預けられないと行けないから、環境が整い、また行けます様に。