とある講習を受けてみようと思い立ち、本日、簡単な筆記テストと面談を受けてきたのですが・・・
筆記テストはどうやら小学校6年までレベルの算数と漢字の読み書き。
算数は簡単な問題で、つい暗算でやったんですけれど、
…暗算スピードが激しく落ちていて、少々、ショック!
多分、算数は間違えてない・・・はず・・・?笑~
読み書きも決して難しい漢字ではないんですけれど、
例えば「上手」という漢字、「うわて」か「じょうず」か、どっちがいいかでしばし迷い、両方書いてきてしまいました。
校正する際に、私が学校で習ったのと現在の常用とが異なっていて、当然、この漢字でいいはずと思っていたのが使えなかったり。
そんなことも頭をよぎり~~^o^;
送り仮名も、あれ?「な」はいるんだっけ、いらないんだっけ?ってな具合。
昨今は何でもパソコンで打ってしまっている弊害でてますよね~
何にせよ、うん十年ぶりの筆記テスト、普段使ってないと能力は衰えるものなんだと実感いたしました。
ま、単なる脳細胞の老化かもしれませんけれど??笑~~


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Hands Out Vol.25(2007年6月号)掲載インタビュー記事
web magazine 「HANDS OUT」 まりこの 編集室裏話 http://www.handsout.co.jp
2001年に能と共に「能楽」として、伝統芸能の中で初めてユネスコの世界文化遺産の指定(第1回人類の口承及び無形遺産の傑作の宣言)を受けた狂言。狂言界初の重要無形文化財(人間国宝)となった善竹彌五郎(本名・久治)氏の曾孫・善竹忠亮さんは、市井に能楽を引き戻した彌五郎氏の遺志を受け継ぎ、善竹家と共に狂言界に新風を吹き込みつつある。


狂言師 善竹忠亮

<プロフィール>
昭和55年生まれ。神戸出身。本姓は茂山、流儀は大蔵流狂言方。4才で祖父、先代・善竹忠一郎に手解きを受け、以降、父・忠重に師事。初舞台(狂言「伊呂波」)は4才の秋。平成8年、(社)大阪能楽養成会入会。平成17年、同・研究科卒業。立命館大学産業社会学部卒業。現在、立命館大学・先端総合学術研究科に在籍、主に京阪神を中心に活動中。

http://www.zenchiku.com


狂言界に新風


Q. 善竹家とは?
善竹 江戸時代の京都の茂山家に遡ります。茂山家は江戸時代に千五郎家と忠三郎家とに分派し、曽祖父・彌五郎は忠三郎家に養子に入った人です。

Q. 彌五郎氏は人間国宝だとか?
善竹 狂言界では初めての人間国宝です。曽祖父は時代感覚に優れた人で、能楽堂以外の場所での演能がご法度だった時代に、大阪の朝日会館ができた時に家元クラスの役者を呼んで演能をしたのです。言わば、プロデューサーの先駆けですね。これはその後30年続いたのですが、能楽堂に封じ込められていたものを外へ引き出したという点、プロデュースしたのが三役(ワキ方、狂言方、囃子方)だったという点で画期的でした。その功労を認められて、金春家から「禅竹」をと言われたのですが、その時点では辞退し、彌五郎という名前をいただき茂山彌五郎と名乗りました。戦後、人間国宝になった時に改めて「禅竹」の字を「善竹」と改め、一家を挙げて苗字を変えました。

Q. 狂言も世襲ですが、疑問を持たれたことは?
善竹 4才から稽古を始めたのですが、父がうまく「飴と鞭」をしていたのでしょうね(笑)、別に狂言を嫌とも思わずにすんなりきています。声変わりの時期は声が出にくくなりますが、発声もうまく教えてもらいました。
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Q. 6月下旬の日伊「喜劇の祭典」はどういうものですか?
善竹 これは早稲田大学国際教養学術院・関根勝教授が「2007年国際フォーラム‥狂言とコンメディア・デッラルテ」の中で企画され、イタリアの春の祭典〈Primavera Italiana〉の一環として上演されるもので、日本の古典喜劇・狂言とイタリアの古典喜劇をクロスオーバーさせるものです。関根教授は、元々、観世流の名門の御出身なのですが、学者の道に進まれ、ローマ大学に赴任された折、授業で狂言をとりあげ、学生達と共にローマKyougenを実行した方です。その時の学生も今回、Biloraというイタリア喜劇を翻案した日伊共演の「いたち」で出演します。

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Q. この時の狂言・濯(すす)ぎ川は新作ですか?
善竹 明治以降に作られた狂言を新作と呼びますが、濯ぎ川は、コメディ・フランセーズのLe Cuvier(洗濯桶)という作品を劇作家・飯沢匡氏が戯曲として書き下ろし、演出家の武智鉄二氏と茂山家が改めて狂言として翻案したもので、茂山家では何度も演じています。善竹はこれまでほとんど新作を扱ってこなかったので、今回は新たな挑戦となります。

Q. 関根教授の活動は今年だけなのですか?
善竹 今年は1年目で、来年の大きなフォーラムに向けてのプレ公演なんです。来年はシェークスピアの4大悲劇と狂言のクロスオーバーです。狂言の美も伝統の中で、ある意味そぎ落とされ過ぎた感があるので、もう一度狂言に演劇的要素を盛り込みたい、モルモットになってくれないかということで、私も「ハムレット」をやらせていただくことになっています。これまでに違う訳のものを2冊読み、映画もいろいろ観ているんですよ。

Q. 狂言と他国の古典劇とのクロスオーバーも大変興味深いです。現代の若者にとってあまり身近なものではない狂言への入口としても、期待できそうな試みですね。

善竹 ぜひ、ご覧ください。


お知らせ!!

狂言師・善竹忠亮さんが、初めての方にもわかりやすく、「狂言入門講座―お題:狂言のお約束」をやってくださいます。

興味のある方は、ぜひ、いかがでしょう?

狂言入門講座 お題―「狂言のお約束」

2009年9月6日午後4時~5時30分

講師:大蔵流狂言師 善竹忠亮

場所:さくらみかふぇ(JR元町駅から北東へ徒歩1分)

http://www.kcc.zaq.ne.jp/sakurami/

会費:1500円(1ドリンク付)


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Hands Out Vol.25(2007年6月号)掲載インタビュー記事


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ジャズオルガニスト

野田正純

<プロフィール>
長崎県佐世保市出身。東京都在住。国立音楽大学ピアノ科卒業。ハモンドオルガン、ピアノ、キーボード奏者。東京、千葉、大坂、広島、福岡でハモンドオルガン、ピアノ、ジャズ理論を指導。佐賀大学医学部大学院・看護学科非常勤講師。編曲、カリキュラム、テキスト作成などをする傍ら、80年代より音楽療法にも携わる。著書も「ジャズ理論の実際」など、龍吟社より多数出版。


東京をベースに、各地でライブやセッション、時にはシャンソンのボーカルのバックをしてみたりと、幅広い活動を展開しているジャズオルガニスト・野田正純さんは、生演奏による音楽療法にも携わっておられる。長年のボランティア活動に彼を突き動かしているものは何なのだろうか。



ハモンドオルガンに魅せられて



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Q.
 クラシックピアノからジャズへの転向はいつ頃ですか?
野田 国立音大の3年生の時に教授から、クラシックは留学などでお金がかかるが君の家は金持ちか?とストレートに聞かれ、うちは普通の家だから「ない」と答えると、じゃあ好きなジャズやポピュラーに進んだ方が良いとアドバイス?されました。これが良かったかな、だから卒業するのに必要な程度にしかクラシックは弾きませんでした。

Q. ハモンドオルガンとの出会いは?
野田 1年生の頃からバイトでカラオケ代わりのピアノや電子オルガンを弾いていたのですが、店の客だった楽器屋でもそれらを教えていました。そこへ日本ハモンドがハモンドオルガンのデモンストレーションをしに来て、ハモンドに出会いました。ハモンド銀座センターで田代ユリさんがジャズを教えておられて、習う傍ら、私も同じセンターで教えたりしていました。(笑)コードは夜のバイトで覚え、オルガンのベース(左足)は中学の頃、ピアノの先生の所で待ち時間にエレクトーンを弾いていたので苦労なくできました。


Q. ライブもよくされていますが?
野田 いろいろやっていますが、最近は自分がメインでやるよりも、誰かの伴奏をする方が何となく性に合っているような気がしますね。


Q. 著書もたくさんですね!
野田 龍吟社はもう無くなりましたが、どれも基本的なことを分かりやすく書いたものが、いつの間にか14冊に。新しく、サーベル社から「初心者のための実践ジャズ理論」が出版され、龍吟社時代の何冊かもこれから順に出版される予定です。


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Q. 80年代からは音楽療法にも関わっておられますが、きっかけは?
野田 福岡の大野城市で特別養護老人ホームを作られ、様々な療法を試されていた音楽療法医・田中多聞先生が「やはり音楽には大きな力がある、いろんな音楽を録音して処方曲として使いたい、誰か演奏者を紹介してほしい」とハモンド銀座センターに来られました。で私がやることになり歌謡曲から演歌、唱歌、ポピュラー、ジャズ、クラシックなど1000曲以上録音しました。これがきっかけで、福岡で生演奏による療法をボランティアで始めました。

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Q. 音楽の力とはどんなものなのでしょうか?
野田 主に認知症の患者さんとホスピスで音楽療法をやっていますが、どんな人にも人生の中で忘れられないキーとなる曲があり、その曲を療法の中で見つけられた時にすごい変化、感動が生まれます。鳥肌が立つこともしばしば!自分のライブではまずありませんが。(笑)ホスピスでは若い方からお年寄りまで年齢の幅が広く、リクエスト曲のジャンルも多岐にわたります。また平均1ヶ月で亡くなる方が多く、曲を知らないから次回に、では間に合いません。だから楽譜もできるだけ準備していきます。大変ですがお金以上のものを毎回いただいています。これは一生やめられませんね。


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11月19~25日に淀画廊(大阪市北区西天満)で「MINIMALISM」と題された森澤達夫個展が開催された。微細な空間をマクロに切り取るリアリズムの世界は、非現実的な構図が写真のような精密さで描かれていた。硬と柔、曲線と直線、生物と無生物など、対極的なものが随所に感じられる作品はあくまでもリアルだが、明らかに写真とは異なっていた。


画家

森澤達夫

1951年兵庫県芦屋市生まれ。'73年より数度の渡欧を経て、'78~'83年はイタリア・ミラノで活動。'94、'95年、渡米。'96年、美術研究所アトリエ1017開設。'05年、吹田市市民文化功労賞受賞。'81年のシンガポール日本文化使節交流展招待出品をはじめとして、国内外で活躍。その他、舞台美術、エッセー、講演、企画などでも幅広く活動中。


東洋の微細性を


Q. 若い頃何度も渡欧され、結局、ミラノに腰を据えられたのは?
森澤 ヨーロッパの中世(14~15世紀)の絵画が好きだったのです。例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロなどですが、その時代はイタリアが中心でしたし、当時はアルテスタ(アーティスト)、マエストロ(頭領)、その下の名もなき職人達で構成される工房で巨大な作品の制作をしていたのですが、イタリアデザインの基礎となったアルチザンの職人的世界と芸術との関連性もとても気になったのです。
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Q. ミラノ時代、描くことを止められていた時期もあったとか。
森澤 精神世界で大きな影響を受けたのが、京都の龍村平蔵氏のご子息で、武士道や日本の古いものに精通しておられた現代抽象画家の龍村明氏なのですが、「今は描かずに、とにかく観ることに徹しなさい」と言われたのです。観るということは識るということ、そして見分けることに繋がります。ミラノを拠点に、あちこち足を伸ばして徹底的に観に行きましたよ。マントバの城の中にあるマンテーニヤの作品やパドバのスクローニ礼拝堂やアッシジのジオットの作品は特に印象深かったですね。


Q. 他に影響を受けた方は?
森澤 小磯良平の弟子・真殿(まどの)宏二郎氏にデッサンを習い、二紀会の中西勝(まさる)氏や元町画廊の佐藤廉(れん)氏にも多くの事を学びましたが、絵のテクニックではなく、絵をどう観るか、感動することの根本にあるものをどう作るか、文学的な見方・哲学的な見方も大切だということを教えてもらいました。今は亡き、韓国のリアリズム画家・朴玄奎(パクヒョンギュウ)氏とも韓国での個展で出会って、彼を通じて東洋美術のルーツに触れられたことも大きかったです。
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Q.
 ボストンにも行かれていますが。
森澤 日本の古今の美術品が海外に流出した第2次流出の時にボストンにもかなりのものが流出していて、岡倉天心の研究をしていた頃に行きました。


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Q.
 東西の美術に触れて思うことは?
森澤 西洋美術と東洋美術の距離感の違いというか、東洋美術の微細さは日本のような狭い空間の中ではしっくりくるんですね。アートをプロデュースする力は欧米が格段に優れています。東洋、特に日本はプロデュース面では未成熟です。

Q. 作品のモチーフには意味があるのでしょうか。
森澤 そういう時もありますが、全てに意味を持たそうと意図している訳ではなくて、タマネギがあったから、なんてこともあります。(笑)ただ、あり得ない空間を描く訳ですから、構図として偶然の配置はないですね。

Q. 森澤さんにとって、リアリズムとは?
森澤 ほんの数センチ四方の微細な表現に拘っているというか、東洋の微細性を狭い空間に描きたい。ミニマリズムですが、何故、それを描くかという動機付けが大事です。無い物をあるように描くには虚々実々の感性を大切にしていないと、と思います。


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Hands Out Vol.31(2007年12月号)http://www.handsout.co.jp/


web magazine 「HANDS OUT」 まりこの 編集室裏話 http://www.handsout.co.jp アクリル板、洋紙、和紙、布、磁器、ステンレス、さまざまな素材の質感を自在に取り込み、或いは全く異質な質感に変貌させ、ジャンルを超える挑戦の作品の数々は、自由奔放で意外感、透明感がある。「無用の彼方に」という個展タイトルに心惹かれて、美術家・山本美智代さんを訪ねた。


美術家

山本美智代

<プロフィール>
1941年大阪市生まれ。19歳より東京都在住。多摩美術大学平面デザイン科卒業。雑誌表紙、造本デザインを1000冊以上手がける。舞台美術、国際扇面展、磁器制作、エッセイ執筆等、友情を大切に幅広い活動を展開。国内外での展覧会・講義多数。海外では特にポーランドとの親交が深い。画集「Silvering」('70)、「Mirroring」('75)、「全景・山本美智代の世界」('96)、「本の造形」('03)など。


無用の彼方に


Q. ブック・デザインとは?
山本 本は中身を読むだけのものではなく、どういう形体で愛蔵・座右の書となるか?紙の厚さ、大きさ、手触り、本としての存在感を持たせることが重要な総合芸術なのです。

Q. ブック・デザインへのきっかけは?
山本 グラフィック・デザイン科を卒業すると広告代理店へというのが一般的な時代でしたが、亀倉雄策氏の新聞コラムのタイトル、「表紙は本や雑誌の顔」に、これだ!と思ったのです。人だって、最初からその人の性格が解るわけではなくて、第1印象からだったりするでしょう?当時は大手の出版社でも装丁デザインのために専属のデザイナーを置くという発想はなくて、南北社という小さな出版社の社長を説得してブックデザイナーとしての一歩を踏み出しました。


Q.
 中身を読んでからデザインされるのでしょうか?
山本 最初の頃は当然そうしていましたが、内容に囚われてしまっていい装丁ができません。中身と対決するくらいの姿勢でないといけないのではないかと思うようになりました。

Q. 個展タイトル「無用の彼方」に心惹かれますが?
山本 アートとはなんぞや?すぐに役に立つものではないけれど、生きている時代の中で独自の想いを表現していくもの、また、それに共感してくださる出会いと交流の、より良き連鎖なのだと最近思うようになりました。絵は決して壁飾りだけではないのです。

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Q. 他にもテーマがあるのですか?
山本 昨年までは「顕微鏡と宇宙から」というタイトルでしたが、私はその中間の、肉眼で見えるものには興味がないのかもしれない。(笑)抽象・具象という先入観もナンセンスだと思います。例えば、飛行機から見える景色や顕微鏡で見えるものは抽象的に見えるでしょう?風景も生物も抽象になります。解り易い絵でないと若い人は観ようとしなくなってきているように思いますが、想像力の低下が抽象画を解ろうとしなくしている。地方によって特色があるのが文化なのに、最近の均一化に向かう社会の中で文化全体が衰退していっているように感じます。

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Q. 個展の作品は素材もテクニックもさまざまですが、透明感を感じます。
山本 私にとって全てが同時進行なので、1つに絞られていないのですが、全体として作風は透明感だとよく言われます。陶器よりも硬い磁器に紙のような質感を持たせて水彩画のにじみのような絵付けを目で感じさせてみたり、固定観念を裏切る作品作りを目指しています。紙で作った半立体作品を実際に目の前で観ている人に、「金属でしょう」と言われた時には嬉しかったですよ。(笑)誰もやらないことをやるのが前衛アートですから、師匠が前にいる職人の技ではなく、素材やジャンルを超えて、誰のようなものでもない私らしさをどこまで出せるかを常に心がけるようにしています。
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神戸港開港以降、来神した諸外国人達が神戸の街に多くのものをもたらしてくれた。阪神淡路大震災後、各国領事館や外国籍企業の流出によって、神戸の外国人の数も激減したが、変らず神戸の街を愛し、留まってくれている外国人もまだ大勢いる。トニー・トーマスさんもその1人だ。


Tony Thomas

<プロフィール>
1939年、イギリス・ウェールズ生まれ。神戸市在住。1960年、船舶技師として香港へ。1968年に来日し、横浜・東京・神戸で日本企業に勤務。1975年にMarine Consulting Seiviceを起業、ウェールズ料理&Pub「Uplands」も開店。1987年、日本企業のウェールズ支店総務部長として帰英。1997年に、再来日。


人生は楽しむこと!


Q. 日本に来られたきっかけは?
トニー 香港時代は香港―日本―オーストラリア―香港というルートの船に乗っている技師でした。寄港地だった神戸で妻と出会って、プロポーズしましたがOKを貰うのに2年も!(笑)でも、当時の英国籍企業では東洋人と結婚すること自体、認められなくて、折角結婚したのに、2年間は別居せざるを得なかったのです。日本の船舶会社から引き抜かれて、やっと妻と一緒に暮らせる!と横浜に来たのです。

Q. 横浜、東京、神戸と移ってこられたのは?
トニー 船舶会社は海外との取引をしないといけないのですが、当時、横浜の会社には英語を話せる人間がいなくて、私が入社してから業績は10倍に伸びました。でも、サラリーは上げてもらえなかった。東京の船舶会社から2倍のサラリーを出すという提案を受けて、転職。その頃新幹線が大阪から福岡まで延長され、神戸は中心的な位置になり、2年後にその会社の神戸支店に配属されて神戸に来たのです。

Q. ご自分で起業もされましたが。
トニー 神戸に来てから3年後に、造船と船の修理・監督を行う会社を作りました。頻繁に私が出張して、暇を持て余した妻がウェールズ料理がメインのパブレストラン「Uplands」を始めたので、神戸にいる時にはバーテンダーもしましたよ。(笑)この店は、外国人にも日本人にもとても人気がありました。今でも、当時のお客さん達と交流があります。

Q. ウェールズに戻られたのは?
トニー ちょうど日本の船舶業が傾き始めた頃、日本企業のウェールズ支店の総務部長として招来されたのです。3年間はビジネスマネージメントもとても面白かったけれど、後の2年間は同じことの繰り返しで、面白くなくなって、別の日本企業のウェールズ支店に転職しました。日本に帰ってきたのは、同じ会社の千葉支店に行くことになったからです。60才からは、ベルリッツで5年間英会話教師もやりましたよ!(笑)今も頼まれて、週4日5時から9時まで「ブルーフォックス」でバーテンダーをやっています。

Q. 転職を繰り返されましたが、外国の方にとっては普通なのですか?
トニー 常にレベルアップを考えますから、普通です。私は仕事の忙しさや困難さは全然苦にはならない、むしろ楽しい。でもつまらなくなってくると、それはストレスです。人生はいい思い出がないと!私には楽しい思い出がたくさんあります。

Q. 最近の神戸をどう思われますか?
トニー 神戸はブーム&バーストの街。ボーリングが流行るとあちこちにボーリング場ができるけれど、ブームが去ると一斉に無くなってしまって、1つも残らない。ディスコもそうでした。新しいものにすぐに飛び付くけれど、すぐに飽きてしまう。レストランも今はイタリア料理店ばかり、しかもイタリア人には食べられないイタリアン!良いレストランは競争できなくて、昔良かったレストランが残っていません。残念ですね。

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消え入りそうなのにはっきり耳に届いてくる繊細な声がギターやベースの音色に優しく絡み合う。ある時はパッショネートにうねり合い、波にさらわれるかのよう。ジャズボーカリスト・藤村麻紀さんのライブでは、声もまた楽器なのだということに気付かされる。そして、歌う彼女の表情の美しさも魅力だ。


ジャズボーカリスト

藤村麻紀

<プロフィール>
東京都出身。大阪市在住。15才より東京・吉祥寺等でライブ活動開始。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。1992年、東京都Vocalコンテスト最優秀歌唱賞受賞。2005年、初ソロアルバム「With Love」(クールエイドレコード)を発売、メジャーデビュー。京阪神、東京、名古屋などで活躍中。オリジナルポップスユニット「CHOKAMI IT!!」のバンドリーダーでもある。

http://www.maki.tv/


謙虚に、誠実に、感謝して


Q. 精力的にライブをされていますね。
藤村 お陰様で東京、名古屋などでも、ジャズだけではなく、オリジナルポップスやゴスペルなどのライブもやらせていただいています。

Q. 15才からジャズだったのですか?
藤村 高校時代は剣道部で朝に夕に剣道に明け暮れていたのですが、軽音部のライブに助っ人で呼ばれて歌い始めて、当時は主にJポップスを歌っていたんですよ。大学時代は軽音でバンドを組んでハードロック。(笑)2回生の時に短期留学したスタンフォード大学でゴスペルに出会い、クワイヤーに参加させてもらったりしたのですが、まだジャズには出会っていませんでした。

Q. 紆余曲折がありそうですね?
藤村 検事になりたくて法学部へ行って、法律の勉強も面白かったけれど、留学した時にコミュニケーションが面白くなって、人と接する仕事が自分には向いているかもしれないと、小さな旅行会社に就職。旅行の企画から添乗員まですべてこなしたことが今の私にとても役立っていますね。でも、この会社が倒産!そういえば、1度も歌のトレーニングを受けたことがなかった。で、近くの音楽学校へ行ったのです。その時の先生がジャズベーシストで、ジャズと出会ったのですが、でも「おまえはジャズには向いていない」と先生に言われて、ジャズに対しては壁みたいなものに捕らわれてしまった時期もあったんですよ。それが吹っ切れたのが7、8年ほど前でした。

Q. 藤村さんにとってジャズとは?
藤村 自由度。即興芸術なんですね。楽譜通りに演奏する、歌うものではなく、その都度違っていて、そこが面白い。11月半ばにギターの村山義光さんとのデュオで2枚目のCD「Sincerely」がリリースされるのですが、コンセプトが「ガチンコ」だったので、レコーディングではリハもなし、選曲すら当日だったんですよ。(笑)

Q. 歌うということは?
藤村 楽器の中で歌だけが唯一、意味を伝えることを許されています。歌は心に届くもの、人となりが出てしまうものだから、謙虚に、誠実に、感謝して、日々精進して自分をいつも耕していないといけないなと思います。私は人との出会いにとても恵まれてきました。人のために自分は何ができるかを常に考えて行動する人間でありたいですね。

Q. 今後の方向性は?
藤村 本を読んだり、自分自身を豊かにする時間も大切ですから、少しペースダウンして、自分の時間をもう少し持ちたいなと思い始めているんですよ。チャージしなくっちゃ!(笑)ニューヨークにも1年くらい行ってきたいですね。


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Hands Out Vol.28(9月号)http://www.handsout.co.jp/


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大阪・神戸を中心にライブ活動を展開してきたシンガーソングライター・春日麻友さんの初ミニアルバム、麻友あさとも「蝶」がエピソードレコードから9月17日に発売されることになった。麻友さんの弾き語りは、ふと、自分の中にいるもう1人の自分が語りかけているような錯覚を覚える。


シンガーソングライター

春日麻友

<プロフィール>
兵庫県明石市生まれ。ピアノを3才から始める。2001年頃から大阪・神戸を中心にライブ活動を開始、オリジナル曲を作り始める。「震災10年目イベント夜空のミュージックポット」のテーマソングに「こころのうた」が選ばれる。2006年に麻友バンド「猪鹿蝶」を結成、同年8月解散。2007年9月17日にミニアルバム、麻友あさとも「蝶」(エピソードレコード)リリース。

http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=mahyou


心の裡に潜む想い


Q. ライブ活動は22才頃からということですが。
麻友 歌は好きだったのですが、人前で歌うということに結びついていませんでした。実は短大の保育科を卒業してから6年ほど幼稚園の先生をしていたんですよ。それはそれなりに充実していたのですが、これで人生終わっていっていいのかな?何か自分を表現する術が欲しいと音楽活動を始めました。


Q. 曲を作るようになったのは?
麻友 初めてライブをした時はシェリル・クロウやアラニス・モリセットなどのカバー曲をやったのですが、ある人に歌が上手くなりたければ楽器を弾けないと駄目だと諭され、ピアノを弾きながら歌うのなら、オリジナル曲でないと駄目だなと思って作り始めたんですよ。子供の頃から文章を書くのが大好きで、詩もたくさん書いていましたし。オリジナルばかりでライブをするようになった頃から心斎橋のライブハウスのレ

ギュラーでやらせていただけるようになりました。

Q. 作詩に込める想いとは?
麻友 表面的には面白い奴だと思われているみたいですが、実は根暗ちゃんなんです。(笑)弱い面が自分の中にあって、それをいろんな角度から眺めて曲に繋げていくことが多いですね。人には話さないけれど心の裡にある想い、言葉を綴っています。初めて聴いてくださった女性の方から、あなたの歌と声に出会えて良かったと言っていただいたりすることが増えてきて、同性の方々に共感してもらえる、伝わっている、というのがとても嬉しいです。


Q. 「こころのうた」という曲が震災10年目イベントのテーマソングに選ばれたとか。
麻友 応募したら採用されたのです。イベントでは数百人の人々が大合唱してくださって、今でも学校などで歌っていただいたりしているようなんですよ。オンキョーからCDでも発売されました。


Q. 今回のCD発売までにはいろいろあったと思いますが?
麻友 インディーズ・レーベルに所属したこともあったのですが、私はこのままでいいのかしらん??みたいな気がして辞めました。ライブの時にもバック・サポートを頼んだりしていたのですが、自分のバンドが欲しいとずっと思っていて、一昨年念願のバンドを結成することができたのです。でも方向性が一致しなかったりして、結局解散してしまい、落ち込んだ時期もありました。いろいろなことがあり、さまざまな人との出会いがあって、喧嘩することもあるけれど、結局すべて自分の力になっている、関わってくださる人達の力を貰っているのだなあって思えるようになりました。いつも感謝しながら、筋道を通しながら、ライブをしていけたらいいなと思っています。


Q. ライブの予定は?
麻友 CD発売記念イベントのライブや、10月9日(火)の東京高田馬場・CLUB PHASE他、東京方面4ヵ所を回るツアーを開始する予定ですし、大阪・神戸のライブもいろいろ予定がありますので、HPでチェックしてくださると嬉しいですね。

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Hands Out Vol.28(2007年9月号)


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にこやかに陽気に登場したジャズボーカリスト、ロアナ・シーフラさんがリズミカルに軽やかに歌い出すと、一瞬で彼女の歌に惹き込まれ、正に、エンタテインメントとはこういうものなのだ、ということを実感させられる。心から楽しむ彼女から、歌への愛情と情熱が伝わってくる。


ジャズボーカリスト

Loana Cifra(ロアナ・シーフラ)さん

<プロフィール>
フィリピン・マニラ市生まれ。マニラ育ち。12才よりクラシックピアノを始める。教会のクワイヤーをはじめとして、ハイスクール時代にはすでに頭角を現し、プロ・ミュージシャンからの誘いは受けるものの、プロ活動は大学卒業後から。韓国、香港、シンガポール、マレーシアなどを経て、来日。現在は日本で活動中。

http://www.lornacifra.com/index.html


Singing is my life!


Q. プロ活動は大学卒業後だとか。
ロアナ ハイスクール時代も大学時代も、ミュージシャンの友人達からは、一緒に香港へ行こうよなどと誘われていたのですが、両親に反対されるに決まっていましたから。

 
Q. 厳しいご家庭だったのですか?
ロアナ 子供の頃から両親が聴く音楽を聴いて育ち、両親にしょっちゅう連れられて行ったミュージカルに魅了されて、歌うことが大好きになったのですが、父は新聞記者、母も雑誌のライターで大学にも教えに行くような、マニラではアカデミックな家だったのです。家系的に皆、楽器も弾けるし歌も歌えるのですが、それを職業にしている人が誰もいませんでした。イベントなどで歌う程度は許してくれていましたが、娘がプロになるなんて考えられないことだったんですよ。とにかく、大学を卒業しろと言われました。(苦笑)


Q. 日本に来られたきっかけは?
ロアナ マニラでもハイアットやシェラトンなどいろいろなホテルで歌っていたのです。ヒルトンもその1つで、マニラの支配人が大阪ヒルトンの支配人になり、私達のバンドを呼んでくれたのです。ヒルトンが初めて外国から招いたバンドだったんですよ。ワーキング・ビザで行き来していたのですが、ホテル側がしなくてはいけないビザの手続きがとても大変で、そのうち、ロアナだけ来て日本人バンドとやって欲しいと言われ、単独で来日するようになり、日本人と結婚したのでこの13年ほどはずっと日本で生活しています。


Q. 日本人バンドとフィリピン人バンドとの違いもあるのでは?
ロアナ 日本人のミュージシャンもとても上手いですよ。ただ、日本人のボーカルが歌う歌と私が歌う歌ではやっぱりレパートリーが違っていて、最初は彼らも戸惑ったみたいでした。(笑)


Q. 心から歌うことを楽しんでいらっしゃいますね?
ロアナ 歌うことは本当に楽しくて大好き!大切なのは、歌への情熱、歌うことが心から好きだという気持ちです。I can sing.とI love to sing.のどちらになりたいの?と、私に歌を習いに来る生徒にもよく聞くのですが、Singing is my life.というところまで考えていないと良い歌手にはなれないと思います。


Q. 生徒達に教えておられることは?
ロアナ まず歌詞を覚えることは最低限ですが、英語ならその発音をものにする、その上で歌詞を理解して、その曲の背景にまで思いを巡らせないと、人に伝わる歌は歌えないということですね。


Q. 10月にはNYへ行かれるとか?
ロアナ 一応、1年契約なのですが、音楽学校で子供達にはミュージカルとポップを、大人にはジャズを教えに行くんですよ。今からとても楽しみです!


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昨日までの「つぶら英 油彩展」、無事に、大盛況の内に閉会しました~~


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80歳をちょっと超えていらっしゃるけれど、とってもお元気なつぶらさん♪
初日、9時半に会場入りしようと、家を出ようとした時に、
「鳥取県在住で伺えないので、お花を贈りたい、手配してくれないか」という電話が飛び込み、
いやいや、私、遅れちゃいそうなんですけど?と思いながら
「お名前とご住所をお教えください」と、メモメモ。
ダッシュで会場へ駆けつけたのを皮切りに、個展に突入しました~~
10時半にはお客様がいらっしゃるので、持参したコーヒーメーカーでコーヒーを作っていたら、ヒューズが飛んだ!!
助っ人の次女に、「守衛さんの所に走って!」
「ママっ、あそこの電源は1000Wまでしか使えないって~~。うちのコーヒーメーカーは1100だし、ティファールは1200だから、どっちも使えない!!」
「うっそ~~!!もう時間ないのに~!冷たい飲み物でも買ってきて、間に合わせるわっ」
と、大丸芦屋店の地階には冷たいドリンク類は置いてないので、生協さんまでダッシュ~~
手作りクッキーをご用意していたので、本当はホットコーヒーとお紅茶をお出しする予定でしたが、急遽、冷たい飲み物で対応することに。
でもですねえ、冷蔵庫がないんですよね!
氷を買ってきても、溶けちゃうからダメだし、仕方がないので、少量買ってきては、無くなり次第買いに走り、合間に、朝依頼されたお花も手配。
つぶらさんのご交友範囲がとても広いので、お客様も続々といらっしゃいます。
芳名帳にご記帳いただき、頃合を見計らって、クッキーと飲み物をおすすめし、お帰りの際には、進呈される「つぶらのつぶやき―絵と文」とお土産をお渡しするのですが、
事前に本をいただいてらっしゃる方もいらっしゃるし、ややこしい!!
お花やお菓子などを持ってこられるお客様も大勢いらっしゃって、お名前と品を書き留め、包みにも名前を書いて間違いのないように記録。
助っ人次女と私は、2日間、てんてこまい~~足もパンパン!
2日目は、足の裏にシップを事前に貼って行ったら大分楽でした♪
無事に終わって、今日は月曜日ですが、一日オフに♪

なんとまあ、10時間も寝ちゃいました~~笑

でもでも、つぶらさんの絵も素晴らしかったし、お客様も大勢お見えになって、大盛況!いい個展になって良かったです♪



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もし、好きな絵をあげますよとおっしゃっていただけたならば~~この、「セザンヌの庭でお絵かきする少女」がいいなあ!最後の打合せの折に、森澤画伯がこの絵の最後の手ほどきをされた現場を目撃♪思い出のある作品だし、なんとも言えず、少女が愛らしい!!!


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