これまでは、ポンコツなりに他者や世間から評価される部分もごくわずかですが存在していて、そこにすがって生きることができました。


また、コミュニケーション能力がなくても、幸運にもこれまでは型にはまった儀礼的なコミュニケーションで一応足りていたので、「自分はなんて価値のない人間だろう」と思うことは少なくて済みました。



看護学校では、私が唯一、比較的得意にしている数学的思考のスキルはさほど必要とされていません。

むしろ、苦手な中でも特に苦手な「コミュニケーション力」「場の空気を読んで対応する応用力」「どんな人とでも打ち解けて仲良くする」ことが必要とされる事が多く、「もうアラフォーなのに、19歳の子達が出来ていることが全くできない」と自信をなくすことの連続です。


また最近、40代で入学された3年生の先輩と知り合うことができたのですが、本当に同級生とよく馴染んでいらっしゃる立派な方で尊敬の気持を強く持つ一方で「ああ、私は本当にだめだな」と劣等感を感じることが多くなりました。



何よりこうしてストレスを感じて学生をやっていること自体、私はなんて駄目な人間なんだ、同級生は立派に仕事をして、子供を育てて親までやっているのに……親にも迷惑をかけて……というところにつながってしまって、いよいよ気持ちが沼につかったような感じになってしまいます。


  知性化



先日、精神医学の授業で、防衛機制の一つに「知性化」というものがあることを知りました。



知性化とは、感情や衝動を経験する代わりに、考えることによって統制すること。 過度に整然と考えることによって感情を喪失させ、受け入れ難い衝動から生じる不安から自身を防衛する(早稲田メンタルクリニックさんのサイトから引用)



私の感情コントロールはまさにこれです。



「なぜ」同級生は私と距離をおきたいのか?

「なぜ」私はコミュニケーションを学習してこれなかったのか?

「なぜ」先輩とわたしにはこれほどの差があるのか?



こういうことをとにかく分析してして考えていると、不思議と感情の方は落ち着いてきます。


そして一応の結論が導かれたりすると、やはり嬉しくなります。例えば、私は髪型も服装もセンスがないから同級生からみるとポジティブな気持ちが生まれにくいが、先輩はその真逆だ。ここの一つ差があったのか!と、今までにない発見があります。


それをブログに書いてアウトプットを確実にすると、すっかり感情は平らかになっています。


このブログがあって良かったと心から思います。

読んでくださってありがとうございます。