第310話 入院生活 | らぶどろっぷ【元AV嬢の私小説】

第310話 入院生活

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閉鎖病棟での入院生活が始まった。


蓄積された覚醒剤が身体から抜けていく間は

いくら寝ても寝足りなかった。


父と母が見舞いに来ても

ろくにベッドから起き上がることが出来ず

二人は私の顔を見ると「ゆっくり休みなさい」と言い残して帰っていった。


日に二度

看護婦が体温と血圧を測りにやってくる。

食事と薬もベッドサイドまで運んでくれた。


三日目のお昼

煙草を吸いたくなり看護婦にその意思を伝えると

ナースステーションに預けられた煙草ケースをもってきてくれた。


ここでは煙草もライターも危険物扱いで

自分で管理することは禁止されている。


「本来は喫煙の時間が決められているから、これからは守ってね。

喫煙所はこっちよ」


言われるまま

私は看護婦の後をついていく。


病棟の片隅の奥まった場所が喫煙所になっていた。


高い場所に小さな正方形の窓があり

ワイヤーを引くと窓が開いて空がほんの少しだけ見えた。


看護婦は

備え付けの戸棚の鍵を開けると

中からアルミ缶の灰皿を取り出した。


私は煙草に火をつけ

看護婦に煙草とライターを返した。


小さな窓にむかって

煙が昇っていくのを見上げた。


看護婦は私が煙草を吸うのを黙って見ている。


「戻っていいよ? 煙草吸うのにも付き添ってないといけないの?」


「規則なの。 煙草を食べちゃう人もいるし、煙草の火で自傷行為をする人もいるから」


「ふぅん、なるほどね… そういえば、お風呂にはいりたいんだけど」


「お風呂も決められた曜日にしか入れない。

月曜日と水曜日と金曜日だから明日まで我慢して」


「えー… もう三日入ってないからどうにかしてよ」


「ここにはいろいろな規則があるの。 それを守るのも治療のうちだからね。

社会はルールがないと成り立たない。 社会復帰するためにはルールを守ることを覚えないと。

覚醒剤だって法律で禁止されてるんだもの。 ルールさえ守れるようになれば手を出そうなんて思わないはず」


説教じみた看護婦の物言いにうんざりして

私は煙草を灰皿に押し付けた。


「三日も寝ればシャブは完全に抜けるよ。 八代先生呼んでくれる?」


「午後に診察の予定があるからそれまで待って」


「ここではなんでもやたら待たされるのね…」


「堪え性を養ういい機会だと思って! みんな我慢しながら生きているんだから」


看護婦は励ますような笑顔で言った。


「はぁ? …なんで私が我慢しないといけないのかね? はぁ…」


私がしかめっ面で溜息を吐くと

看護婦は予想外の反応だったのか返す言葉を失っていた。



午後の三時過ぎに

ようやく八代は私のところにやってきた。


クリアファイルを持っていて

中から何種類かのまとまった紙を取り出しサイドテーブルに並べた。


「今日から少しずつ簡単なテストをしてもらいます。

知能、性格、心理、適正、などを診断するものです。 まぁ気楽にやってください」


私は数ページづつまとめられた用紙を指でめくった。


「あ、ダメですよ。 時間を計ってやるので。 今看護婦がきますから」

八代が制止した。


「ねぇ、あたし、もうシャブは抜けたよ!

いつ退院できるの? もぉ絶対にシャブはやらないから退院させてよ!

前みたいに、ちゃんと通院はするからさ」


「まだ3日じゃないですか。 もう少し様子を見ましょう」


「てか、退院できる目安みたいなのを教えてよ? 何をどう判断して決めるわけ?

絶対にシャブやらないってばっ! またやったら入院するって約束してもいい!」


「まあまぁ、そう慌てないで…

そうそう、先日の検査の結果ですが脳には異常がありませんでしたよ。

脳波も通常通りですし、萎縮なども見られませんでした。 良かったですね」


八代がカルテを目で追いながら言った。


「そうでしょ! 肉体的にはどこもおかしくないはずだよ!

もう大丈夫だって! とにかく退院させてよ!」


私がしつこく退院を迫っていると

ストップウォッチを持った看護婦がやってきた。


「それでは頑張ってくださいね」

八代はそういい残して病室を出て行ってしまった。



「疲れてしまわないように一日一つづつやっていきましょう。 

今日はどれをやってみます?」看護婦が尋ねた。


「どれでもいいよ…」

私は投げやりに答えた。


適当に選んだ用紙は心理テストだった。


いろいろなシチュエーションの会話の吹き出しに

自分で言葉を入れるようになっていた。


人物の顔は空白で表情はわからない。


お店で買い物をしている所だったり

人に道を尋ねたり、火事を目撃したり

様々な場面が描かれていた。


車同士の接触事故の絵は

自分がぶつけられた場合と自分がぶつけた場合の二種類があった。


自分がぶつけた絵には『すいませんでした。 お怪我はありませんか?』と書き入れ

ぶつけられた方には『大丈夫ですよ。 心配には及びません』と書き入れた。


「どこ見て運転してんだ! バカヤロウ!」などと書き込めば退院が遅れるのだろうか。


こんなものは採点者を意識すれば

どう答えればいいかわかりそうなもので

えてしてバカバカしいと思いながらページを送った。


二十分ほどでその心理テストは終わった。



その日の夕飯は

はじめてホールで食べることにした。


献立はクリームシチューだった。


特別美味くもないが不味くもない。

病院食でこれならそこそこマシな方かもしれない。


隣に座ったお婆さんも向かい側に座ったお婆さんも年齢は60歳を超えている。

食べている間はとくに会話をしなかった。


正面のお婆さんがシチューを食べ終わり

お皿を手に持って舐め始めた。


私は少し驚いたけれど

ここではこういうこともめずらしくないのだろうと思い

見て見ぬふりをした。


するとお婆さんは今度は皿を置き

パジャマの袖口をめくりあげて手首をペロペロと舐め始めた。


「なにしてるの?」私は思わず尋ねた。


お婆さんは顔をあげると細い目をもっと細めて笑いながら

「ここだけの話ね、私は猫の生まれ変わりなのよ」と囁くように言った。


「ねこのうまれかわり?」

私は反芻した。


「そう、猫はいいよ。 気ままにどこにでもいけるしね

日向ぼっこして散歩して自由なもんだよ」


「お婆さんが猫なの?」


「私は猫の言葉はわかるの。 だから猫の生まれ変わりなんだよ。

家にいた頃ね、猫といつも話していたのよ。 そうしたら嫁が変人扱いしてねぇ

頭がおかしいって喚きたてるもんだから爪で引っかいてやったんだよ。

でも気をつけないといけないよ。 本当のことを言ったらいけないんだ。

わからない人には隠さないといけない。 あんたも気をつけるんだよ」


お婆さんは目を細めて笑い

ペコリと会釈をすると自分の病室に戻って行った。


取り残された私はしばらく不思議な気持ちだった。


あのお婆さんは本当に猫の生まれ変わりなのかもしれない。

そう思いながらホールのテレビをぼんやりと眺めていた。


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