母の35日の法要も終わり、、、

今日は友人たちと志々島へ。。。


一年ぶりの大楠さん。




わぁ。





今日はお母さんも一緒だね。





そして、
ヴェランダ日和♪。






キレイ~。




海に来たかったんだ。





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おかあさん

おかあさーん

おかあさーーーーん



お母さん

逝っちゃった。。。




泣いても

泣いても

泣いても


涙が枯れることはなく



叫んでも

叫んでも

叫んでも


母は戻ってこない。



わが家を襲った 春の嵐は


わたしにとって

最も大切で、かけがえのない たった一人の人を
連れて行ってしまった──。




なんでー

なんでなのーーー。


こんなに大声で泣けるのか というほど泣き

気が狂ってしまうのではないか というほど泣いた。



人生のなかで

こんなにも悲しくつらい瞬間が

こんなにも早くやってこようとは、考えてみたこともなかった。



時は非情だ。



わたしは

大好きな大好きな母と

(それが私の執着であろうとも)

1日でも

1分1秒でも長く一緒にいたかったのに


どうして待ってはくれないのだろう。

どうして時を巻き戻すことができないのだろう。



それでも

時は、救いでもある。



もう無理!と思った

あんなにも悲しくつらい瞬間も

どんどんと時の彼方に過ぎ去っていこうとしている。


ああ。

「時」の前に、人はなんて非力なのだ。





母の様態が急変したのは

悲しくも わたしが前回ブログをアップした 18日の夜だった。


その日は朝から

今までにないほど穏やかな一日で


意識レベルは低迷しているものの

すやすやと眠っているように見える母に

わたしは少し安堵していた。



ここ2ケ月ずっと

痛がる顔か、しんどい顔しか見てないくらいだったから

あんなにも穏やかな顔の母を見たのは久しぶりだった。


そしてわたしは

母の顔をふき

看護士さんに手伝ってもらって歯をみがき

アロマで足の裏のマッサージをした。



母はというと

朝からいろんな管に繋がれてはいたが

清拭ですっかり身体を綺麗にしてもらい

ロングの病衣に身を包んだ姿は、まるでお姫様のようだった。


荒れていた唇もすっかりぷるぷるになり

お肌のつやもよく


わたしは

母の身体の中の細胞も

同じように生まれ変わっているんだ、、、と信じていた。



それなのに。



23時15分─

母は逝ってしまった。


とっても穏やかに安らかに。



苦しみ続けた 約2ケ月

そして

母の病室に泊まり込み続けた、母との濃密な40日が

あっけなく幕を下ろした。


享年68歳。



若すぎる。


もっともっとお母さんに教えてもらいたいことがあったのに。

これから余生を楽しもうって時なのに。


母と過ごした最後の40日で

わたしは、母から受けた恩を 爪の先ほどでも返せただろうか。。。


ねえ、お母さん。





そして、先週の日曜日。



突然の訃報にも関わらず

母の葬儀には

500人を超す方々が参列してくださった。


葬儀場は

人で溢れかえった。


あらためて

母の偉大さと

父と母が築き上げてきたものの大きさを思い知った。


そして

失ったものの大きさに

わたしは打ちひしがれた。



それでも救いだったのは

最期の時に、母が本当にキレイで穏やかな顔をしていたことだ。


それが

母の本来の表情なのだろう。


今にも目覚めそうで

そして

口元には、柔らかな笑みさえ浮かべて。



お母さん、

本当に綺麗だったよ。





母の病名を


「原発性胆汁性肝硬変」という。


母が47歳の時に発病した、原因不明の進行性の難病で

国の特定疾患に認定されている病気だ。



2月22日に入院した際には

「肝不全 ターミナル期」と告げられた。



信じられなかった。



黄疸が進んでいることは

見た目にも明らかだったけど

母との残された時間が

そんなに迫りきっているなんて、信じたくもなかった。



だって──。



病気が見つかった当時

養生すれば後1年は生きられる という話しだったが


それから19年、母は生きたのだ。



そして

病気のことなど、ちっとも言い訳にせず働いた。


根っからの商売人で

稼ぎっぷりも良ければ、使いっぷりも見事だった。


うれしい事やおめでたい事があるたびに

親戚や友人たちを招いては、大宴会をした。

そのための宴会場だって作った。


管理栄養士の資格を持っていた母の料理は

本当に美味しかった。


そして

家族をこよなく愛した──。



人に心配をかけるのが嫌で

突然の訃報に、周りの人はみな

まさか母が病気を患っていたとは、、、と口々に言う。


いつでも元気で明るく

思い込んだ わが道 を真っ直ぐにひたすら歩きつづけた

なんとも天晴れな生きざま。


気合いと性根の入った すごい人だったなあ。



ぜったいにカナワナイ。

わたしは 本当にヒヨっこだ。



こんなにもわたしを愛し

信じつづけ

命をかけて、守ってくれたお母さん。


これからは

もっと大きな愛で、大きな存在となって

いつでもわたしを見てくれているんだね。





母はきっと、旅立ちの日も決めていたのだろう。


4月18日。

「よいはは」 ってね。


先日お風呂で見たアマガエルは、

「もう天(アマ)に還る。」と言っていたのかな。



そして、葬儀明けの次の日(21日)から

悲しみに暮れる暇もなく

みんな仕事に復帰している。


仕事が大好きで

働くのが大好きで

人に迷惑をかけるのが嫌いだった 母らしい気遣いだ。



おかあさん。



お母さんと巡り会えた奇跡に感謝

そして

ふたたび巡り会う奇跡に・・・☆。



今度は、わたしがお母さんになるね。


そんなヴィジョンを

こんなことになるなんて

まだ何にも知らなかった、桃の節句のセッションで

わたしは垣間見ていたのだ。





『娘さんにこうしてず~っと付き添ってもらえるなんて

本当に幸せですね。そして、お互いに幸せなことですね。』


母の病室を訪れた人は

口々にそう言った。



あの濃密で狂おしく

そして、とても幸せな40日。


悔いはないけれど


もっと「大好き」って言えばよかった。

もっと「ありがとう」って言いたかった。


もっともっと

母のわがままを聞いてあげればよかった。


たくさんたくさん


「おかあさん」って呼んでおくんだった。



家中に残る母の面影に

悲しみが癒えるのには まだまだ時間がかかりそうだけど



潔く、気丈だった母なら こう言うだろう。


『いつまでも めそめそせんと

しゃんとしょーで!』



そうだね

お母さんの旅立ちをお祝いしよう。

そして

わたしは、「今」を思いっきり生きよう!




みなさまからの

たくさんの愛・祈り・ヒーリングのおかげで


母の旅立ちは、とても穏やかでした。


本当に

本当に

ありがとうございましたm(_ _ )m。



最期の時が

あんなにも穏やかで美しかったこと


最後まで

母には生き方を教えてもらいました。



おかあさん

おかあさん

おかあさん


お母さんの娘で本当に幸せだったな~。

母への言葉は尽きない・・・



気高く

強く

優しいお母さん



大好き☆。



ずっとずっと大好きだから。

いつまでもわたしの誇り。



これからはいつも一緒だけど


また


すぐに


会おうね!!






母の旅立ちは

わたしにとって、本当に新しい世界への幕開け ともなった──。



結局いつだって、わたしの背中をおしてくれるのは

やっぱりお母さんなんだね。




あ~た~らしい朝がきた

き~ぼ~うの朝だ


よろこびに胸を広げ、青空あおげ!



さあ

涙をふいて、、、わらおう。







『お母さん、今日も綺麗よ。』

今は
目を開けることも
わたしの呼びかけに反応することもない母に、1日に何度も何度もそう声をかける。

激しい痛みも感じず
辛すぎる嘔吐もなく

今、母の中は平和なのだろうか。。。


転院して少し元気になっていたのも束の間、だんだん食事がたべられなくなり。
母とほんの少しでも言葉をかわせたのは3日前だっただろうか。

それまでは
夜中に小さな小さな声でわたしを呼んでは、わたしは母の身体をさすった。

声が出せなくなってからは
しんどい時、ベッドの柵を弱った手で叩いて私を呼ぶ。
一晩中鳴り響く、柵を叩く音。

たまらない光景。

私も
もう1ヶ月以上 
まともな環境で寝てないのと
まともに寝ていないので、キツイ。

だからそんな時は
母のベッドに一緒になって横になり
母の背骨の一本一本に気を通していく。

小さな病院のベッドでも
すっかり痩せて小さくなった母に添い寝するには、充分だ。

そうして添い寝をしながら
声にならない呻き声を上げている母の背中に向かって思わずつぶやいてしまう。

『おかあさん、まだいかないで。
おねがい。』

(殺す気か!)

白目をむいて震え出す母を
私は抱きしめてあげることしかできない。

ツラすぎる。
これは悪夢か。。。


て、、、
まてよ。


おかしいじゃないか!


こんなの私の見たいドラマと全然ちがう。

女の子は
ハッピーでかわいくなくっちゃって常々思っているのに、なんだこのザマは。
(サバイバル能力も大切だけど)

もうホント
修業とか我慢とか忍耐とか
結構ですから。


これはあれだ
チャンネルを変えよう!
誰が書いたシナリオか知りませんけど(わたし?)、
ハッピーラッキーミラクルチャンネルに
チェンジだ☆。

今は冬眠中の母が
眠りから目覚めて復活するチャンネルへ!


そんなことを考えながら
昨夜お風呂に入っていた時のこと。
ふとお風呂の窓に目をやると、

オー マイ ディアー
けろきち。

私のラッキーアニマルのアマガエルが。
君も
冬眠から目覚めたのね、よっしゃ!




満月の夜から
愛ある方々によるグループヒーリングが始まったり、
いつも遠隔をしてくれている友人たち。
祈ってくれているたくさんの方々。

満月の日の夜には
松下先生も来てくれて、母と私の整体をしてくれた。

私の心の平安のために
禁点のチェックもお願いした。

あまりにひどい私の身体を整体しながら
『あなたの身体は僕がサポートするから。』
週に一度来てくれると言う。


そう
まだ白旗は上げられない。


そして
これは

さらに大きないのちのいとなみと
家族の絆を取り戻すための

八重子(母の名前)の一世一代の自作自演劇だったってことにしておくれ。

だから
私はまた立ち上がる。



ふと思い立って
ある神社にいく途中、偶然立ち寄った神社の境内には
素晴らしい榎の木があった。



その昔
この大樹の根元から水が湧き出し
かれることがなかったと言う。
水神社もお祀りされていた。

そして
お目当ての神社では



そういえば
今いる病院の裏にも竹林。


今日は朝から
いろんな管に繋がれている母。

だから私は
空間を清め、祈り、ましない、時に踊り
そして
そっと手を添える。

素晴らしく綺麗ずきのこちらの病院は
先日から院内の大掃除。

病室の窓は磨き上げられ
網戸も洗われ
床にはワックスが綺麗にかけられてピカピカだ。
今日は最後の廊下のワックスがけがされている。

母が目覚めたら
そこは、す~っかりピカピカのニューワールドさ☆。




だからお母さん
気が済むまで休んだら
『あ~、よく寝た!』って目覚めてね。

どんな喜びと楽しさと煌めきが待っているのだろう。

わたしも復活の様子。



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おととい。

アロハちゃんから
『日暈がでてるよ!』とメールをもらい
急いで外に出てみると、、、



空に大きな 目 があるようだった。

『いつも見てるよ。』 

お空から、そんな声が聞こえたような気がした。

それにしても
母に付き添っている間に
季節がすっかり変わってしまったなぁ。

どうしても桜が見たくなり
近くの名所へ。



花曇りの中
例年とは全く違う気分で、桜をみる。



幻想的な満濃池。





さて
父の誕生日に、母は家の近くの病院へと
転院となった。

転院の話しが急に動いたのは

わたしが
『ここでのお役目終わった感があるんだよね~。』と、

お見舞いに来てくれたアロハちゃんに
ふと呟いた次の日だった。

そんなこんなで
わたしは1日だけ、家のお布団で眠ることができた。


そしてまた
塾の仕事が終わってから、母のいる病室へと通う日々。

結構身体もキツくなってきたので
ここいらで、
ちょっと身体のリセットをと思い
断食をした。


3日間。


断食明けの、朝方の夢は最悪だった(汗。

わたしの中にあった
また見たくない所が現れたかのような夢だった。


くすん。


それでも
思いがけず届く“春”に
人のあたたかさを感じずにはいられない、、、春。




きっと自分で設定したのであろう
わたしのジャンピングボード(踏み切り板)。
どこまで沈み込むつもりなんだ。

そして
いったい、どこまで飛ぶつもり?

さっ、
掃除しよ。



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眠れぬ夜は、、、

母と娘の 絵本タイム。

母娘といっても
母66歳、娘44歳という
なんとも渋い年齢の「絵本の時間」。

なんだか昔に戻ったような錯覚に陥る。
ただ違うのは、
絵本の読み手が逆ってこと。

これまた乙なものかな。


病室の明かりを落として
アロマを香らせて
ピアノのBGMを流しながら、絵本を。

お気に入りは
親戚が持って来てくれた
千住さんの『星のふる夜に』。




星をちりばめた絵が美しすぎる
文字のない絵本。

中に出てくる親子のシカをみては
何故か涙が流れる。

毎晩のように飽きずに眺めては
流れる涙。

白いうさぎと
黒いうさぎの話しも素敵だったなぁ。

なんとも、せつなく愛おしい時間。


そして
それでも、母が痛かったりしんどかったり
する時は、昔話しをして気を紛らわせる。

『お母さんはどんな子供だったの?』

『お父さんとの新婚旅行はどこだったっけ?』

『そう言えば、あの時のこと覚えてる?』


とりとめのない話しを
とめどなく。

母の身体の状態を見ながら
ゆっくりゆっくりと。

そうして、こんな機会でもなければ聞かなかったかもしれない母の昔の話しを聞いては、母の人生に想いを馳せる。

これまた
なんとも宝物のような時間(とき)。


わたしの知らない母。 
わたしの知ってるあの頃の母。 
そして
ず~っとずっと
ず~~っと頑張り続けてきた母。


そんな母を想うと
母の身体に触るたび、わたしの頬には幾筋も幾筋もの涙がしたたり落ちる。

病室では
笑いの数と同じだけの涙が流れていく。


結局
いちばん癒されているのは
わたしかもしれない。。。




と、
こんな風に少し余裕が出てブログなど書いてるとやってくる修羅場な夜。

そのたびに
わたしは自分の小ささを知るのだ。


それでも
また朝はやってくる。



これは二日前のご来光だったかな。


そして
ここはまた夕景も美しい。




いくつもの
いくつもの眠れぬ夜をこえて、
病室のソファーの上で目覚める21日目の朝。

あ~
今日は父の誕生日じゃないか。




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