怨霊とは死後に落ち着くところのない霊魂である

菅原道真・平将門・崇徳院が三大怨霊とみなされるのはなぜか。

 

 

1,霊魂とは何か

魂を入れる容器が「カラダ」で、魂が抜けた肉体は「ヌケガラ」で、魂は口から出入りして、玉のような形だそうです。

 

2,怨霊の誕生

非業の死を遂げ供養されなかった霊魂が、自分を追いやった人物に祟ったり社会に災いをもたらすのが「怨霊」で、「怨霊」という言葉が使われたのは早良親王の祟りの頃かららしいです。

 

3,善神へ転化した菅原道真

菅原道真は845年生まれ、優秀な文章博士でしたが、陥れられ大宰府に左遷となり、59歳で死去。その後、醍醐天皇の皇太子が若く亡くなったり、内裏に落雷し火災により死亡者けが人が出るなどすると、道真の祟り・怨霊と噂されるようになり、霊魂が北野に祀られたとのことです。

 

4,関東で猛威をふるう平将門

平将門の身体は、金属だけどコメカミだけは肉体なのでそこを突かれて倒され、首をさらされたが目も閉じず歯をかみしめ怖ろしい形相で言う「ばらばらになった胴体と合体して復活し戦をしよう」940年に亡くなったあと災害が続き、将門の怨念とされ神田明神に祀られたのだそうです。

 

5,日本史上最大の怨霊・崇徳院

崇徳院は1119年生まれ、複雑な出生と権力争いから陥れられ讃岐に流されます。戻りたい願いもかなわず生きながら天狗の姿になる。その後、戦乱や飢饉が続き鎮魂のために、名誉回復や怨霊鎮めが行われたといわれます。

 

6,怨霊から霊魂文化へ

その後も数々の怨霊が登場し鎮魂されますが、怨霊が信じられたのは室町時代までで、戦国時代には秀でた人物が神として祀られるようになります。その後は、敵も味方も平等に供養する考えに変わります。

 

現在は怨霊が存在しなくなった時代なのでしょうか。

人々の気持ちの中に巣食っていた幻が怨霊でしょうか。

 

読む力が弱すぎるからなのですが、すらすら読み進めなくて難航しました。和歌や古典からの引用も多く『怨霊とは何か』というシンプルな問いかけの答えは簡単ではありません。

 

八幡神は祟り神でもあるとか、道祖神(岐神)は10世紀頃から民間にあったという話が新鮮でした。

 

理解力が追いつかず、Wikiの説明レベルで十分かなという気がしなくもないとこっそり自覚した次第でございます。