週末、久々にゆっくりと散歩してきました。以前住んでいたアパートのそばからバルト海沿いをお散歩。首都ヘルシンキ、土曜日の昼だというのに、がら〜ん。

 
目の前でクロスカントリースキーを履き出す方、ちらほら。広い場所でトレーニングしていました。ヘルシンキにもきちんと整備されたクロスカントリースキー場はあるんだけどなぁ。近所で練習できちゃうなんて、やはり身近なスポーツです。ちなみにフィンランドでスキーというとクロスカントリースキーを指します。しかし、太陽を携帯で写真に撮れちゃうって、どれだけ日差しが弱いんだ…


凍ったバルト海に雪が積もっていました。海が凍るって、よく考えるとすごいことだなぁ。氷がもっと厚くなれば、海の上でスキーができます。


バルト海が凍るのは、水温や外気の低さだけでなく、内海のため波が少ないこと、塩分が低いことも理由なのだそう。ちなみにフィンランドは湖で泳ぐ魚と海で泳ぐ魚が一部同じなのです。普通、淡水と海水に生息する魚は違いますよね。

この弱々しい太陽、午後3時ちょっと前。


厳しい厳しい自然の中で、人もイキモノも生きている。一瞬雪と氷に閉ざされたように見えても、雪の下には春に向けて準備をしている花や虫がいて、凍った海の下には魚が泳いでいるのです。

雪が溶けて凍ってできる巨大つららのかたまり。


ソリで引っ張られている子どもたち。


そういえば過日、友人宅に招待された時、「小熊くんと来るよね?ベビーカーで来るの?それともソリで来る?」と聞かれました爆笑 ソリはサンタさんだけの乗り物じゃないんだなサンタ

フィンランドに引っ越してから、私の人生はあまりに色々ありすぎて、「書いて本にしたらいいよっ。」と世界各国の友人たちにお墨付きをいただいているほど。

もうムリ。と思うことがこれでもかというほど押し寄せて、でも過酷な冬でもまだ生きている自分、というより人間という存在の強さに驚いて。

私が引っ越した年の冬は、これまで経験した6回の冬の中でもかなり厳しく、南に位置するヘルシンキでも11月でマイナス18度に、12月のクリスマスにマイナス20度に達し、とにかく雪も多い年でした。

マイナス20度以下でも人の足は動くんだ(一度気候に見合わない靴を履いてしまい、脳が命令しているのに足が全く動かなくなったことはあり)とか、ちゃんと生きられるんだ(でもマイナス10度を切ると、深呼吸しちゃうと咳が出るね)とか、頭も機能するんだ、とか感動しまくったのもこの年でした。生きている実感がありすぎた、この年の冬。

でもこういう厳しい環境だからこそ、人の優しさとか、少しの微笑みも、じーんとくるんですよね。

道の除雪は夜中の2時3時から始まって、私たちが1日を始める頃には運転や歩行に支障がないような状態になっているのです。雪かきをする方たちは雪が降っていなくても、いつでも出動できるよう、アルコールは一切飲めないのだそう。ありがたいことです。

中央駅前に積み上げられた雪の山、すごい!


除雪した雪を運ぶ車。毎年のように捨てる場所がなくなり、どこに捨てるかが議論になる。海に捨てると、凍結した道が滑らないように道に撒く砂利まで一緒に捨てられるので、環境によくないとか。


こういう中をお散歩していると、いらないものが削がれていくような気持ちになって。つらいことがたくさんあった季節が冬だったためなのか、厳しい寒さの中でも頑張って生きている人や生物に勇気付けられるためなのか、はたまた両方かもしれませんが、寒い中を歩いているとまだまだ自分は頑張れるな、と思えるのです。

なーんて精神的に強そうな誤解を与えてしまいそうですが、プラス25度を超える真夏はまったくダメな私。36度の真夏のサントリー二を魂を抜かれたかげろうのごとく歩く私に、70代の両親が「あら、だらしないわね。日本に比べたら湿度がまったくなくて、景色も素晴らしくてラクよ。」と言ったのが忘れられない…笑い泣き

大変だった冬から8年経った今、また選択の時。今回の選択はアパート選びで、かつての選択や決断に比べれば、でもありませんが、家族ができて、自分の決断が家族にも影響するようになった今。重いね…。

ギリシャ人であり、日本人である小熊(つまり北欧のDNAが全くない子ども)に、こんな格好をしなければならない気候で生活させるのは、かわいそうなのかなぁ。。


う〜む、自己責任では済まされないような決断の重さ。こんな複雑なことになっているのも、フィンランドでとても好きな仕事に就けたからなのだけれど、私の場合、何かを手に入れるとほかの誰かや何かに犠牲を負わせることがある…。

ムリが生じたら、その時はギリシャに住もう。暑いけどね…。明日のヘルシンキはマイナス18度になるらしい。あれこれ考えずにもう寝ようっと。