今年からベビーシッターさんに週3回子どもの面倒を見てもらっています。

ママ仲間たちが勧めてくれる保育園はうちから少し遠くて往復の時間が惜しいこと、マヨルカ島の公用語であるカタロニア語とスペイン語の保育園は私たちの今のニーズに合わないこと(パパはギリシャ語、ママは日本語、二人の会話や友だちとは英語という中、さらに2つの言語を混ぜたくない)などから、英語ネイティブであるアイルランド人のベビーシッターさんにお願いすることにしたのです。

が、このシッターさん、73歳ながらめちゃくちゃ忙しい。英語を教えたり、孫の世話をしたり、チャリティーショップのお手伝いをしたり、ハイキングやヨガに行ったり…。私もこんなおばあちゃんになりたい、思わせてくれる、バイタリティー溢れるおばあちゃん。そのため一度にお願いできるのは、1時間半から2時間が精いっぱいなのです。

この時間は自分の好きなことに使いたい、と思っていましたが、現実には散らかった部屋を片付ける、洗濯機をまわす、簡単に掃除する、であっという間に過ぎるのです。はじめの45分は家のこと、残り時間は自分のために使おう、と心がけながらも、子どもの食べこぼしでベタベタになった床を拭いたり、なくなったパズルを探したりしたら、自分の時間は皆無。

子どもが帰って来ればおもちゃはまた散らかるから片付けるのはやめることに。…あーでもパズルの欠けたピースはどこにあるんだ?モヤモヤしながら床を水拭き。

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最近はどこに行っても足にまとわりついてくる息子。母親としては最高にかわいいのですが、人の活動においては最高に非効率。だからベビーシッターさんが見てくれている間に自分のペースでさっさと動ける時間は大変貴重です。ただし自分の采配によって、1時間は有意義になることもあれば、ちょっとムダにしちゃったかも、と感じることもあります。普段と同じ時間でありながら、多少のお金を払っていることを考えると、1時間の価値というものを非常に意識させられます。

日本やシンガポールで働いていた外資系コンサルティング会社では、クライアントに請求する額は、各スタッフの時間単価に基づいていました。職位によって時間単価が決まっていて、時間単価 x その仕事に費やした時間数で請求額が算出されるのです。コピー機やプリンターを使う時にもクライアントや仕事に付与された番号を入力しないと機械が動かないという仕組みになっていました。こうしたコピー代やプリント代も経費としてそのまま請求に回るのです。

フィンランドの給与明細には、私の時間単価が記載されていました。フィンランドの労働法で労働時間は1週間35時間と決まっていて(つまり1日7時間、昼休みは含まれず)、それを越す残業時間や休日残業は時間単価が変わります。日曜日や祝日に残業した場合は、なんと時間単価 x 4倍を支払うことが義務付けられています。

そんな働き方や労働環境は、私に非常に大きな影響を与えたように思います。今のこの1時間は何のために使っているのか、どういう風に進めれば予定通りに仕事を終わらせられるのか、と。前日の終業時に翌日することをリスト化して、不意のメールや電話対応などに追われながらもto do listの項目をほぼやっつけられた時の満足感は、仕事の満足度につながりました。

…が!子育てはこんな風にはいかず。to do listがあっても自分を苦しめるだけ。社会人のメンタリティを引きずっていると、非効率、不合理なことばかりで、満足度どころかかえって疲れてしまいます。To do listは頭の中で膨れ上がっていくだけで、一向に消えていかない。それが原因で子どもにイライラするのは避けたい。

そう思いながら、次にベビーシッターさんに来てもらう時は何をしようか、どう使おうかとぐるぐる考えている私なのであります。