今回、喜多村緑郎さんと初めてご一緒させていただいたのですが、


私は小学生の時から三代目市川猿之助さんの追っかけをしてまして、
毎年七月の歌舞伎座奮闘公演はもちろん
地方公演にも着物を着て新幹線に乗り、
日帰りで芝居を見に行ってました。

きっかけは四の切を見たこと
澤瀉屋の本を取り寄せて
当時はネットなんてないから本屋さんに頼んで何週間も待って。。
何度も読み、全部を頭に入れ
(当時は頭が柔らかかった。。)
何回見にいったことか

中学生になった頃だったか
伊達の十役が初演され、
NHKで放送した
猿之助奮闘
というスペシャル番組を
どうしても録画したくて
当時はまだVHSのビデオも普及しておらず、
母が踊り用で持っていた業務用のビデオしかなくて、
その60分テープがたしか10000円!
それをお小遣いをはたいて買って
何度も見て
なんてやってました!
老けた子供でした。。。

高校生になって、
学校の歌舞研に入り、
当然発表材料は澤瀉屋のこと

若いというのはパワフルなもので、
歌舞伎座に出かけていき、
直談判!
よく口番さんも入れて下さいましたよね

たしか幹事室の方が出ていらして
高校生で歌舞研とは珍しいと
衣裳さん
床山さん
小道具さん
段四郎さん
門之助さん・・先代の
そして
猿之助さんも紹介していただきました。

そのときちょうど
澤瀉屋が天竺徳兵衛で舞台裏で怪我をされて
いつもは一度出たら夜まで出ずっぱりなはずが、
骨折のおかげで楽屋にいらっしゃる時間が長くて
3回くらい伺ってゆっくりお話出来たんです。

門之助さんにはその次の浅草にまでお邪魔して
後々まで優しくしていただきました。。

それを機に
毎公演感想文を送るようになり、
楽屋で出番前のお支度中にいろいろお話を伺ったり。。
その後、猿之助さんからお声かけいただき、
澤瀉屋の後援会のお手伝いをさせていただくことになりました。

劇場で公演があると、
劇場の受付て番頭さんのお隣に座り、
チケットやプレゼントの受渡しや楽屋へのご案内や
いろんな橋渡しをして、なんていうお仕事

ちょうどヤマトタケルが始まった後ぐらいまではコンスタントにやらせていただいてました。

そのあとはポツポツと仕事の合間に伺って。。

だから、喜多村緑郎さん、つまり市川段治郎さんがいらっしゃってしばらくは
澤瀉屋の関係者のはしくれだったので、
実は当時楽屋でもよくお見かけしておりました。

その頃から若手の方々が次々入っていらして
華やかになり、
澤瀉屋が倒れられた舞台まで、
可能な限り拝見していたので、
身内のような気持ちで皆様の活躍をずっと見ていました。

なので、今回、あれからお名前が二回も変わられた緑郎さんとお仕事でご一緒できて
とても嬉しく思っていました

ただ、私は道中で歩いてるだけだし、
緑郎さんは出づっぱりでいらっしゃるし

いつかまたお会い出来たときに。。
と思っていたら
千穐楽にお話出来て

お忙しいなか、笑顔でこたえていただき
本当にありがとうございました

身を削るように毎日進化しながら頑張っていらっしゃる姿
毎日揚幕から拝見してて
とっても素敵だな〜と思ってました

ぜひ、新派の未来のために
素敵な作品をたくさん見せていただきたいと思います
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