9月23日 年間第25主日

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使徒ヤコブの手紙

愛する皆さん、ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがあります。上からでた知恵は、何よりもまず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。憐れみと良い実に満ちています。偏見はなく、偽善的でもありません。義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです。
何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、願い求めないからで、願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみで使おうと、間違った動機で願い求めるからです。


マタイはカファルナウムに生まれ、イエスに招かれたときは徴税人であった。ヘブライ語(アラム語)で福音書を書き記し、東方で福音を宣教したと伝えられている。
(『毎日の読書』より)


使徒パウロのエフェソの教会への手紙

皆さん、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。
しかし、わたしたち一人一人に、キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています。
そして、キリストはある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧舎、教師とされたのです。こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。


十七世紀初め、何人かの信徒の努力によって韓国にキリスト教がもたらされた。この勇敢で熱心な教会は、1836年まで信徒によって指導されはぐくまれ、その年に初めてフランスからパリ外国宣教会の司祭たちがひそかに入国した。1839年、1846年、1866年に迫害が起こると多くの人が殉教したが、その中から百三名が1984年に列聖された。この中で特に秀でているのは、最初の韓国人司祭で司牧の心に燃えたアンデレ金大建(キム・テゴン)と、優れた使徒的活動を行った信徒パウロ丁夏(チョン・ハサン)である。殉教者たちの大部分は、既婚者、未婚者、老人、壮年、青年、少年など勇敢な男女の信徒であった。彼らの尊い殉教は、韓国教会の貴重な初穂である。
(『毎日の読書』より)


ルカによる福音

そのとき、あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた。
この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持ってきて、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。
イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思った。
そこで、イエスがその人に向かって、「シモン、あなたに言いたいことがある」と言われると、シモンは、「先生、おっしゃってください」と言った。イエスはお話しになった。「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。」シモンは、「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えた。イエスは、「そのとおりだ」と言われた。
そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ないものは、愛することも少ない。」
そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。
同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。
イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。