火曜日にお届けしているのは
~あなたの笑顔を紡ぐ介添人~
伊藤ひろみさんのコラムです。
今日のテーマは、悩み苦しんでいる女性が
多くいらっしゃるのではないでしょうか。
もし、お近くで該当する方がいらしたら
伊藤ひろみさんの存在を教えてあげてください。
彼女はきっと、苦しい気持ちを
分かち合ってくれることと思います。
イイオンナ通信はこちらから
http://www.1107woman.jp/1107mailmaga01.html
第3回 子供を授かることができなかった私
私は 19年間企業に勤める会社員として、結婚した女性として過ごす中で、いつも生きづらさを抱えて過ごしてきました。
今振り返ると、「あの時こういうことを知っていたら、こうしていたら」という思いがたくさんあります。
今の自分からあのときの自分に掛けてあげたい言葉、それを今必要としている方にお伝えすることが「あなたの笑顔をつむぐ介添え人」でありたい理由なのです。
あなたの笑顔をつむぐ介添え人でありたい理由を6回にわたり、綴ってまいります。
第3回目の今回は、子供を授からなかった私について綴ってみたいと思います。
●子供のいない私
私には子供がいません。

子供がいない人には様々な理由があったり、理由などなかったり、それもいろいろだと思います。
私は子供を授かりたいと思っていましたが、授からなかったタイプ。
27歳で結婚し、ずっと子供を望んできましたが、確たる理由がわからないまま38歳のときに子供を諦めることを決めました。
子供を授かるためにしてきたこと、感じてきた思いを綴ってみたいと思います。
子供を授かろうと努力してきた経緯やその時、その時感じてきた気持ち、今わかったことなど
●結婚当初のこと
第一回のコラムで綴ったように、私は新婚時代あまりにも心身ともに余裕がなく体も不調が続いていました。
そのためか27歳と若かったにもかかわらず子供は授からず、そうしているうちにうつの症状のために休職、療養となってしまいます。
うつの症状が改善し、復職が近くなった頃、子供を授かりにくいということを感じ、クリニックに相談に行きました。
そこでは女性のホルモン周期に合わせて何種類もの検査をしました。
もちろん夫の方も検査をします。
検査が一巡するだけで2カ月ほどかかったでしょうか。
検査が一通り終わった後は、まず自然に妊娠するようタイミング法の指導を受けました。
半年ほど続けましたが授からず…
そのクリニックは不妊治療専門ではなかったため、妊婦さんにまじって待合室で過ごす時間は非常に居心地の悪い思いでした。
その後不妊治療専門のクリニックに移り、人工授精も経験しました。
このときは既に復職していたので、ホルモンの周期に合わせて注射をしに行ったり、診察を受けたりするために会社に休暇を願い出なくてはいけないことがとても大変でした。
不妊治療をしていることを職場で公にして休暇を取りやすくするということもできたかもしれませんが、自分ではそれを望まなかったので、あれこれ理由をこじつけてお休みを頂いていました。
勤めに出ながら不妊治療をするというのは、たびたび休暇やフレックスタイムを使わなくてはいけないことも負担でした。
大変でも子供が授かればよいのですが、人工授精を3回ほど試しても授からず、理由をつけて休暇を取ることにも限界を感じ、治療をストップしました。
●その頃感じていたこと
私が結婚したのは27歳で、大学の友人や会社の同僚と比べて決して遅い方ではありませんでした。
でも、私より何年も後に結婚した友人たちが次々と出産していく。
友人の出産は私も嬉しい思いでしたが、どんどん追い越されていくようで、とても寂しい気持ちでいたのも事実でした。
30歳手前でうつを患ったため仕事を休んでいたことも手伝い、
「私は仕事も頑張れなければ、子供を産むことも出来ない。どうしてこんなに出来損ないの人間なんだろう」
そう思って自分を責めていました。
今思うと、仕事、家事、育児をしている同僚と同じようにしなくてはいけないという基準を自分に課していたのと思います。
でも、私は子供が好きかと問われると、正直なところ、子供は苦手で自分が本当に子供がほしいと思っているのかどうかよくわかりませんでした。
その後はしばらく子供のことを棚上げした状態となり、そうこうしているうちに夫が慣れない業務をする職場に移ったストレスからうつになり、療養に入ります。
こうなると子供どころではなくなってしまいました。
●不妊治療の再開
棚上げにしていた子供のことでしたが、再び授かる努力をしてみようと決意する出来事がありました。
2011年に起こった東日本大震災です。
あの地震では、被災地だけでなく埼玉県に住む我が家にも生活に大きな影響があり、毎日家族と無事に過ごせることのありがたみを再認識しました。
そして、子供のいない私たち夫婦も、やはり大事なのは家族という気持ちが高まり、私の年齢が38歳と妊娠にはギリギリの年齢に来ていたこともあり、不妊治療を再開することにしました。
●2回目の不妊治療
この時受診したクリニックは完全予約制で、夜間・休日も診療をしていたので、仕事をしながらでもどうにか検査や治療をすることができました。
幸か不幸か不妊治療を受けることに慣れていたので、治療の再開を思い立ってからは基礎体温を記録するなど準備をし、検査にかかる期間も最短で済ませることができました。
1回目の治療のときもそうでしたが、ここでも夫も私も確たる不妊の原因がわからないままでした。
当時は震災の影響もあり、仕事が多忙でしたが、診療時間が長く休日診療もあったのでとても助かりました。
こちらのクリニックでも人工授精を行いました。
本当は年齢が38歳と高くなっていたので、人工授精を飛ばして体外受精をお願いしたい気持ちでしたが、7回ほど人工授精をしてダメなら体外受精と言われてしまい、人工授精となりました。
どうしても子供が欲しいという気持ちがあったら、医師にもっとよく相談する、場合によっては転院する選択をしていたかもしれません。
治療は会社帰りにすることができたので、その面では楽でしたが、人工授精後に服用するホルモン剤の副作用が強く出て、仕事に行くのも難しいほどの吐き気に悩まされました。
吐き気止めを処方してもらい、おさまるようになりましたが、つわりを疑似体験させてもらったような辛さでした。
2回の人工授精を行いましたが、妊娠には至りませんでした。
●夫の病気と治療の中断
そうこうするうちに、夫の様子が変わっていきます。
1回目の不妊治療の後、夫はうつを患い、継続して抗うつ薬を服用していましたが、東日本大震災の後1カ月ほど経った頃から、それまでの夫からは考えられないほど陽気になり、もう少し経つと、話し出すと止まらない、余分なものをたくさん買い込む、睡眠をほとんど取らないという通常では理解出来ない様子を見せるようになりました。
かかりつけの医師に相談すると、躁鬱病との診断を受けました。
夫のあまりの変わりように私は動揺し、どうにか早めに躁鬱病の治療をさせなくては、と病気のことをいろいろ調べました。
躁の症状を発症している夫と過ごすこと自体が私は苦痛になっていき、そのことに必死で、もはや子供どころではなくなりました。
こうして2度目の不妊治療も中断となりました。
●その後の心の動き
夫のケアをするうちに私も調子をくずしてうつを発症したことは前回のコラムにも書いた通りです。
(前回のコラム:http://ameblo.jp/mariami1114/entry-12157861614.html)
そのときは自分のありとあらゆることを責めていて、子供を授からないことについても同様でした。
治療をしようとすると継続することが難しくなるような状況になることを思って、せっかく治療を再開したのにすぐに断念しなくてはいけなくなるなんて、私に何か悪いところがあるのではないかと思うようになりました。
自分が子供好きではないことも気になっていたため、
「私には母性がないから子供が授からないのだ」
と思い、それを気にやむようになりました。
今振り返ってみて思うのは、私の中で女性はこうあるべきというものを勝手に決めているところがあったということです。
「女性は結婚して出産しなくてはいけない」
当然にこのプロセスを踏める場合はそれでもよいのかもしれませんが、子供を授かることが自分にとっては容易ではないということがわかったときに、このルールを自分から外してあげる必要がありました。
これにプラスして、仕事、家事、育児をしている同僚と同じようにしなくてはいけないという基準を自分に課していたことでさらに自分を追い込んでいました。
●子供が欲しいという気持ち
私の場合、今でも本当に子供が欲しいと思っていたのか、女性は子供を産むものという勝手なルールからの焦りをもっていたのか、わからない部分もあります。
でも、私は今そのことが気になることはほぼなくなりました。
「自分には母性がないのではないか」という気持ちは、病気療養中にペットとしてうさぎをお迎えし、育てるうちに、自然と消滅していきました。
赤ちゃんのときにお迎えしたうさぎがだんだんに大きくなり、懐いたり感情豊かな仕草を見せてくれたりすると、無条件に可愛く、出かける前、就寝前など何回も振り返って声をかけてしまいます。
私にもどうやら母性があるらしいと、以前の悩みが嘘のように感じます。
私は行動することで気持ちが変わるということが多いほうだと思います。
ペットをお迎えすることが子供を授からない人すべてによいということを言いたいのではありません。
私の場合、子供を授からなくて寂しいという感情の奥にあったものが、母性がないのではないかという囚われだったため、うさぎを育てることを通じ、その囚われから解放されていきました。
そうしているうちに、子供を産まなくては女性として一人前ではないという囚われにも、「いやそんなことはない」と自然に思えるようになりました。
●こんな私だからできること
心底子供好きな方のことを思うと、私よりさらに辛い気持ちをお持ちだろうと思います。
不妊治療を経験した私ですら、もっと辛い思いをされている方々の気持ちのすべてがわかるわけではありません。
多額の費用を負担し体外受精に挑戦したのに無事に出産にこぎつけることのできない方もきっとたくさんいて、経済的にも精神的にもどれだけ辛いだろうかと思います。
でも、治療の過程で感じるプレッシャーやストレス、不自由さ、周りで出産していく女性を目にしてきたときの気持ちなど多くの部分を共有し、共感することができると思っています。
初めて会った人で、未婚か既婚かすらまだ話していないのに「お子さんはおいくつですか?」と尋ねられることもしばしばあり、その時に感じる寂しいような、困ったような感情、「子供はいないのです」と答えた後の微妙な空気もわかります。
子供のことだけでなく、結婚についても然りで、結婚をしていない人にもいろいろな理由や背景があったり、理由などなかったりさまざまだと思います。
子供を授かることができなかった代わりに得られたものは、
・まるで当たり前のように言われてしまうことが当たり前ではないことが身をもってわかること
・そんな人の気持ちに寄り添うことができること
だと思います。
最後に、あの時の私にかけてあげたかった言葉、すなわち、今同じ思いをしている皆さんにかけて差し上げたい言葉を記します。
・「女性は子供を産むもの」という観念で自分を縛っていないか?
・周りの人と自分を比べなくてよい。
・治療のことを一人で抱え込んでいないか?必要な場合は助けを求める。
・「結果が全て」の不妊治療であっても、今頑張っている自分をねぎらい、いたわることを忘れない。
【あなたの笑顔をつむぐ介添え人ができること】
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●伊藤ひろみ プロフィール
大学卒業後、大企業に就職、結婚。
自身の多忙と配偶者の病気を機に2回の抑うつ状態・休職を経験。
在職19年目、41歳のときに会社を退職。
その後天然石アクセサリーのオンラインショップPetit Lapinの代表として、
お客様の心をやさしく包むようなアクセサリー作りを開始。
その後「おもてなし心理学」と出会い感銘を受ける。
頑張っているのに上手くいかず、幸せに過ごすことのできなかった自らの会社員時代を振り返り、「おもてなし」を「相手と自分の気持ちに寄り添うこと」と定義する「おもてなし」の精神をもって、今同じ気持ちに苦しむ女性が心からの笑顔に出会えるよう寄り添う活動を開始。
◇天然石アクセサリーPetit Lapin 代表
◇おもてなし心理学協会 認定コーチ、協会認定ジュニアインストラクター
◇コミュニティ・カウンセラーネットワーク認定コミュニティ・カウンセラー