情操教育と言う詭弁で
犬猫を飼うのは
順番が違います。
きちんと命の教育がなされ
情操教育が施された結果
犬猫を飼うことができるのです。
犬猫を自分の癒しや慰みや
プライドや見栄で
その命を消費する人間がいる限り
生体販売はなくならないし
殺処分はありつづけます。
犬消費者。
猫消費者。
犬猫を好きなように扱って
犬猫の命を消費する人達。
自分の気持ちを
ぶつけたり
覗きこむばかりで
彼らの心を見ようともしない
そんな犬猫消費者が
当たり前の世の中なのです。
そこには
犬猫に対しての
思いやりも
尊敬も
畏敬の念も
尊重も
信頼も
何もありません。
なのに家族と言うのです。
恐ろしいぐらいの欺瞞が
家族と言う壁で
守られています。
どこから迎えたとしても
最終的に
自分の犬猫なんだから
何を言われる筋合いもないと
開き直るのなら
そもそも犬猫を飼う
資格はありません。
犬猫を飼養するに
値する人間性もありません。
自分が許容できるなら
何でもいい。
自分に迷惑さえかけなければ
事なかれ主義で貫き通そう。
そんな無責任な
冷笑主義を持って
色柄や大きさにこだわり
ハンドバックを買うように
犬猫のブランドばかり気にして
犬猫の命を消費し続ける
親や大人達の姿を
この国の
明日を担う
命を未来に繋ぐ
子供達が静かに
見つめているんです。
命に対する
何の哲学もなければ
そもそも
人も犬猫も
育てることなんて
出来ません。
荒々しい
粗末な言葉や
感情に溺れた
一見優しい言葉を
用いながら
自分や他者への
淺ましさと
浅はかさが
カッコいいと
思っている時点で
自分自身がすでに
孤独や孤立の
入り口に立っていると
思ったほうがいい。
自らの
立ち振る舞いを
振り返り
それに気づくことが
出来たとしたなら
まだ、間に合うかも
しれません。