保護犬や保護猫の中には

幼少期に人との

接触がなかったために

極端に人を避ける逃避や

人からの接触を

極端に避けるための

闘争を繰り返す子がいます。

 

一般の人の

犬猫のイメージである

誰にでも懐いて

従順というところから

外れた行動や態度を取る犬猫は

事前の想定や理解を

超えてしまうために

人間の方の思考がロックして

柔軟さを失い

気持ちばかりが焦るという

悪循環を生み出します。

 

大切なのは

人と犬猫の本来の姿を

しっかりと念頭に置き

理解しておくことです。

 

そもそも

人と犬猫の関係は

縄文時代まで遡ります。

 

その頃の人間の寿命は

今の犬猫達と

同じくらいのものでした。

当時は、心や暮らしのみならず

その寿命までを

共に添い遂げていた

動物であったのです。

 

長い年月をかけて

人間は独自の

文化や知識を蓄え

寿命を伸ばし続けることに

成功してきました。

 

しかし犬猫達は

良くも悪くも

その心や身体

寿命までも

縄文時代のままに

今に至るといっても

過言ではありません。

 

人間が人間に対して

知識を積み上げて

きたとしたなら

犬猫達は人間に対しての

知識を蓄え

人間に糧を得ることで

生き抜いてきたと

言えます。

 

そんな動物は

他にはいません。

 

特にアイコンタクトや声色

人の身体全体から発せられる

動きや気配

それらの持つ意味を

生得的に理解しているのが

犬や猫という動物であります。

 

この当たり前な事実から

人々を遠ざけてきたのは

複雑に見せることで

それぞれの何かを

満たそうとしてきた人達

そこに糧を得てきた人達が

多く存在してきたためです。

特に人と犬の関係を複雑に

言語化することに

傾いていった結果

一般的な飼い主さんが

情報過多な渦の中で

迷走に迷走を重ねるような

結果になったと

推察しています。

 

本来の人と

特に犬の関係に必要な

シンプルな考え方や物の見方が

淘汰されてしまった結果

犬との穏やかな関係性を

築くこと自体に

価値を見出せなくなって

しまったような気もしています。

 

普段のお世話以上に

何かをさせたり

してあげたりすることばかりに

気を取られていたら

犬との生活が

無意識のうちに

しんどいものになるのは

当たり前です。

そして、そんな生活に

疲れるのは

人間ばかりではなく

犬達だって

大いにシンドイ思いを

しているはずなのです。

 

基本的なお世話と

同じ空間の中

お互いの存在を感じながら

穏やかな安らぎの時間を過ごす

ただそれだけで

犬達は満たされているものです。

 

家の中で

穏やかに

お互いのニーズを

尊重し合いながら

過ごせていたなら

お散歩で引き摺り

回されるようなことも

ないはずです。

 

犬に見られる

問題行動の原因は

普通に生きるために

与えられるべきニーズの

過不足によるものが

ほとんどです。

 

問題の根本を

「点」で探すことは

ある意味では

ナンセンスです。

 

犬の全体の状態を

引き上げるために必要な

運動と睡眠と食事を

過不足の調整がつくまで

しっかりと与えること。

 

日々の成長点を

一つずつ繋げて

より良い方向に導く智慧が

私達人間に

求められていると言えます。

 

この作業には

根気がいります。

 

人間の

思い通りに

するための作業と

混同してしまっては

うまくいきません。

 

個々の個性を見極めて

お互いに

落ち着いて

暮らせる状態を

探していく作業になります。

 

それは

違うところで育った

人と人が

一緒に暮らし始める時と

同じだと思って

いいかもしれません。

 

犬猫との暮らしの

イメージが

先行し過ぎていれば

目の前の犬猫との暮らしに

戸惑うのは

当たり前なことです。

 

素晴らしい生活を

彼らが与えてくれるわけではなく

ともに学び合う日々こそが

素晴らしいのだという価値観が

人と彼らの暮らしを

真に支えるのだと思います。

 

彼らとの心の距離が

遠いと感じたとしても

いつになったら・・なんて

焦りは捨てて

共に暮らす日々を

純粋に感謝していたなら

いつの日か必ず

彼らは本来の

穏やかな姿を必ず

取り戻してくれます。

 

「待つ」という愛情は

諦めとは違います。

相手を真に

信じる気持ちからしか

生まれません。

 

人によっては

彼らによって

我慢や根気を

鍛えられることも

あるでしょう。

でもそれは

その人が生きる上で

必要な学びである場合が

多いように思います。

 

そして、その人の成長を

見届けたとでも言うように

彼らはある日を境に

見違えるような笑顔を

向けてくれるように

なるのです。

 

彼らの在り方は

身近な人間の

在り方そのものなのだと

我が身を振り返りながら

今に思い至っている

次第なのです。

 

我が家の家野良

サンボとヤミヤミ。

この方達には

「一日ワンタッチ」という

地味な手法で

心の距離を縮める作戦

継続中💦