寂しくてもいい | ぶーぶーとダディ


学校が始まって1週間が経ちました。毎日元気に登校しています。学校が終わったら、お友達と遊びたいと毎日毎日大騒ぎです。1週間目の最終日、クラスで一番仲良しのアルフィーを招いて、念願のプレイデート^^

変な眼鏡をかけてお絵かきをして、何を描いたか当てっこするボードゲーム。結構盛り上がっていました。




ぶーぶーは、学校で、ファミリーの写真を持ってきてくださいとか、ファミリーについて発表する授業があると、すごく嫌だと言います。発表が始まると、2週間は続くので、毎日小さいため息。前のクラス担任は、ぶーぶーのダディが亡くなっている事を気にかけてくれるタイプ、今の先生はそういう事に関しては、あんまり言葉かけがないタイプ。そのせいもあるのかもしれない。強制ではないようなので、嫌なら別に持って行かなくていいよと言いました。



ダディが死んでしまって、ダディの親族も離れていって、周りから人がすっといなくなって、気が付いたら、ぶーぶーのそばには、私しかいませんでした。ぶーぶーが自転車に乗れるようになった時も、はじめてのクリスマス会で羊飼いの役をした時も、初めて小学校の制服を着た時も、学校主催の劇で、大きな舞台に立って緊張しまくるぶーぶーも、応援していたのは、見つめていたのは、私だけです。いつも、嬉しくて、悲しくて、幸せでした。ダディも、兄弟姉妹も、祖父母も、叔父叔母も、誰もそばにいないぶーぶーだから、私だけでも沢山の時間を一緒に過ごして、いっぱい、いっぱい愛情をかけて育てようと、ダディが亡くなった時に、そう決めました。ぶーぶーは、明るくて、幸せで、私が言うのもなんですが、かなりの仲良し親子です。家の中も、二人だけな割には賑やかで、いつも楽しいです。


だけど、私一人では埋められない寂しさもあります。ぶーぶーのクラスでは、一人っ子も母子家庭もぶーぶーだけで、家族の写真を持ってこいと言われると、ダディが写っているものでも、写っていないものでもやっぱり寂しい。そういうぶーぶーの気持ちを否定するつもりはこれっぽっちもありません。それでいい。悲しいのも寂しいのも、ダディが大事な人だから。それに、なんやかんや言っても、毎日楽しく元気に、前向きに生きてるし。


ぶーぶーが読んだ本に、こんな感じのことが書いてありました。

「I think I’d rather miss him than forget about him—even if it hurts sometimes.」

そういうことだと思います。