オーストラリアでは、9月2日の日曜日が「父の日」でした。
ダディが悪性中皮腫の告知を受けた年の父の日、何をしたんだったか・・・なんとなく、海辺のレストランに行った様な記憶があります。どんなにポジティブな気持ちで前を向いていても、「来年の父の日は、もう一緒には過ごせないかもしれない」という現実から逃れる事は出来ず、悲しみと不安、恐怖、複雑な想いでいっぱいだった事は覚えています。ダディも、同じ様な想いを口にしていたと思います。それでも、悲しみや苦しみも、恐怖でさえも、幸せと同じ様に分かち合えた日々、どれだけ心強かったことか。もう今じゃ頼るとか、甘えるとかいう言葉さえも思い出さない自分がいます。大人だからしっかりして当然なんだけど、ダディの優しさにどれだけ自分が甘えていたのか、振り返ると懐かしくもあり、恥ずかしくさえなります。



ぶーぶー達の学校でも「父の日」のプレゼント作成がありました。「僕、今年は何も作りたくない。渡せないし。」と言っていたぶーぶーですが、作成当日、担任の先生がお休みだったので、臨時の先生にはどうしても言い出せず、パパがいるふりをしてプレゼントを作りました。
適当にすれば良いのに、ぶーぶーは心を込めて、誰よりも丁寧に作ったそうです。
生きていることが前提でしか書けない質問事項の解答を、一つ一つ想像して、丁寧に書き上げていました。「パパは僕と走るのが大好きで、車を運転している時が面白いです。バスケットボールが上手です。パパと一緒に公園に行くのが大好き。パパは僕に本当に優しいから大好きです。」これ、読むたびに、なんだか切なくなって泣けてしまいます。もう写真をみて想像する事しか出来ないダディの事を、本当に大切に、想像力を駆使して書き上げていました。ダディが見たら、どんなに喜んだことだろう・・・と、これまた想像することしかできませんが、嬉しそうな表情は目に浮かびます。
父の日は、ぶーぶーが、自分の「何でもノート」にダディの事を書いていました。真ん中には、椅子に座って寛ぐダディの姿。ちょっと似ています。
「大好きです。最高のお父さんです。僕のお父さんでいてくれてありがとう。かっこよくて、優しくて、面白い。会いたいよ。いつも思ってるからね。絶対に絶対に絶対に忘れないよ。大きくなったらダディみたいになるからね。」
ぶーぶー、私がいるから寂しくないって言ってくれるけど、他の子のお父さんや、大人の男の人を見ると、やっぱり淋しそう。その分、たとえ記憶が薄れても、自分の中にいるダディの事を大切にしたいんだろうなと思います。
ダディが亡くなって、二人ぼっちになってしまった私達には、胸がチクチク痛むイベント事がちょくちょくあります。家族が集うイベントなんかも、本当はやっぱり、何年経っても辛かったりします。ダディの不在が浮き彫りになるから。どんな時でもやっぱり悲しみはそこにあります。だから、無理はしない。避けられるところは避けて、二人で穏やかに楽しく過ごす様にします。小さい間は、出来る限り外に連れ出して、楽しい時間を作ることに集中していましたが、周りがみえる年頃になったぶーぶーには、これまた別のアプローチも必要です。こんな立場になって思えば、父兄参観とか、母親参観とか、どうにも出来ない様なイベントで悲しい思いをしていた人のこと、深く考えた事もありませんでした。オーストラリアにはありませんが、家族が見にくる運動会なんかも、幾人かの友人にとっては居心地が悪いものだったかもしれないなと思います。一年に一回あるぶーぶーの学校の演劇も、他の人は家族で最低でも2人から多い人では6人分以上のチケットを買って観に来ているけど、私は1人分だけになるので、こういう時ダディの不在を思い知ります。ぶーぶーも、私一人だと寂しそうです。色々あるけれど、マイノリティになってしまったんだからそれなりに対処法を見つけて、楽しく生きていける様に進もうと思います。


